2000試合以上に出場しながら「日本シリーズには出場していない」選手たち。現役最多は…
日本プロ野球で通算2000試合以上に出場した選手は、54人を数える。そのうちの3人、出場2449試合(10位)の土井正博、2249試合(21位)の山﨑武司、2010試合(52位)の藤田平は、一度も日本シリーズでプレーすることなく、選手生活を終えた。
土井と山﨑については、昨年3月に「250本塁打以上を打ちながら「日本シリーズに出場していない」打者たち。最多は465本。現役選手では…」で書いた。
藤田は、1966年から1984年まで、阪神タイガース一筋にプレーした。2064安打、355二塁打、50三塁打、207本塁打。1981年は打率.358を記録し、僅差で首位打者を獲得している。2位の篠塚利夫は、打率.357だった。
阪神の日本シリーズ進出は、1962年、1964年、1985年、2003年、2005年、2014年の6度だ。その2度目は藤田が一軍デビューする2年前、3度目は藤田が最後にプレーした年の翌年。その間には、1965年から1984年まで、球史のなかで最も長い、20年間に及ぶブランクがある。
このスパンを通して、阪神はずっと弱かったわけではない。なかでも、1968~76年の9シーズンは、2位が6度だ。けれども、その6シーズンのいずれも、上には読売ジャイアンツがいた。1973年は、読売と0.5ゲーム差。最終戦で読売に0対9で敗れ、優勝を逃した。この試合に勝った読売は、連覇を9に伸ばした。
藤田は、1995年の途中から1996年の途中まで、阪神の監督を務めた。両シーズンとも、阪神は最下位に終わっている。
一方、最後の最後に日本シリーズで初めてプレーした選手もいる。出場2190試合(32位タイ)の松原誠がそうだ。
1962年から1980年まで、松原は、大洋ホエールズ/横浜大洋ホエールズで2154試合に出場した。そして、1980年のオフにトレードで読売へ移り、36試合に出場後、日本シリーズの第1戦と第3戦に代打として起用され、ホームランと三振を記録した。
日本シリーズに出場していない現役選手のなかでは、浅村栄斗(東北楽天ゴールデンイーグルス)の出場1662試合が最も多く、浅村の現チームメイト、鈴木大地の1449試合がそれに次ぐ。
通算150勝以上で日本シリーズ出場なしの投手については、こちらで書いた。