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250本塁打以上を打ちながら「日本シリーズに出場していない」打者たち。最多は465本。現役選手では…

宇根夏樹ベースボール・ライター
土井正博 1977(写真:岡沢克郎/アフロ)

 通算250本塁打以上を記録した65人のなかには、日本シリーズに出場していない打者が、6人いる。そのうちの2人、土井正博山﨑武司の通算本塁打は、400本を超える。歴代12位の465本と、歴代20位の403本だ。

 土井は、1962~74年に近鉄バファローズ、1975~81年は太平洋クラブ・ライオンズ/クラウンライター・ライオンズ/西武ライオンズでプレーした。日本シリーズ出場に最も近づいたのは、1969年だ。あと4試合を残し、近鉄は72勝48敗6分で勝率.600。ゲーム差はゼロながら、73勝49敗4分で勝率.598の阪急ブレーブスを上回り、首位に立っていた。けれども、そこから、阪急に3連敗を喫した。

 山﨑は、2003~04年のオリックス・ブルーウェーブと2005~11年の東北楽天ゴールデンイーグルスを挟み、1989~2002年と2012~13年に中日ドラゴンズでプレーした。中日がリーグを制した1999年に、山﨑はチーム2位の28本塁打を記録したが、シーズン終盤に左手首を骨折し、日本シリーズでプレーすることはできなかった。その前に中日が日本シリーズへ進出した1988年も、山﨑は球団に在籍していた。ただ、一軍デビューはその翌年だ。

 また、2009年の東北楽天と2012年の中日で、山﨑はクライマックス・シリーズに出場している。どちらも、最初のステージから次のステージへ進んだものの、日本シリーズにはたどり着けなかった。

 なお、1994年は、中日と読売ジャイアンツがともに130試合中129試合を終え、69勝60敗0分(勝率.535)で首位に並んでいた。そして、130試合目に中日を破った読売が日本シリーズへ進んだ。もっとも、この年、山﨑の出場は38試合。中日が優勝していても、山﨑は日本シリーズでプレーしなかった可能性が高い。

筆者作成
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 土井と山﨑の他に、通算250本塁打以上で日本シリーズ出場なしの4人は、283本のレロン・リー(1977~87年=ロッテ・オリオンズ)、278本の田代富雄(1976~91年=大洋ホエールズ/横浜大洋ホエールズ)、277本の大豊泰昭(1989~97年=中日、1998~2000年=阪神タイガース、2001~02年=中日)、268本のレオン・リー(1978~82年=ロッテ、1983~85年=横浜大洋、1986~87年=ヤクルト・スワローズ)だ。

 リー兄弟のうち、兄のレロンは1969~76年にメジャーリーグでもプレーしたが、ワールドシリーズだけでなく、ポストシーズンも経験していない。レオンの息子、レロンにとっては甥のデレク・リーは、2003年にフロリダ・マーリンズの一塁手としてワールドシリーズに出場し、チャンピオン・リングも手にした。レロンのメジャーリーグ通算本塁打は31本、デレクは331本だ。

 日本シリーズに出場したことのない現役選手の通算本塁打は、浅村栄斗(東北楽天)の230本が最も多く、177本の山川穂高(埼玉西武ライオンズ)が浅村に次ぐ。通算150本塁打以上は、この2人だ。彼らは、2018年まで埼玉西武でチームメイトだった。埼玉西武は、2018~19年に2年続けてリーグを制し、両年ともクライマックス・シリーズで福岡ソフトバンク・ホークスに敗れた。2位あるいは3位から、クライマックス・シリーズを勝ち上がり、日本シリーズへ進んだこともない。

 日本シリーズに出場した選手のうち、初出場までに最も多くのホームランを打ったのは、田淵幸一だ。日本シリーズ出場は、1982年と1983年の2度。最初のシリーズに出場した時点の通算本塁打は、430本だった。田淵は、阪神(1969~78年)と西武(1979~84年)でプレーし、レギュラーシーズンに計474本のホームランを打った。

 通算150勝以上で日本シリーズ出場なしの投手については、こちらで書いた。

「通算150勝以上を挙げながら「日本シリーズに出場していない」投手たち。現役投手には100勝以上が2人」

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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