大人の日帰りウォーキング 夫の定年とこれからの夫婦の関係を見つめなおし パートを始めようとする話
そろそろ研修開始の時間になろうとしている。
数分前、私と同じような年齢に感じる女性が急ぎ足で研修会場に到着した。女性は額に流れる汗をハンカチで拭いながら担当者より研修資料を受け取ると、そのまま移動して最後の空席に座った。
会場内には30名以上はいるのではないだろうか。大学生らしい若い男性や女性が多いように思うけれど、他にも30代、40代と思われる主婦、そして、私と同じような50代のおばさんも何人かちらほらいることに少し安心する。
研修は午前中であり、お昼に差し掛かるころまでと聞いている。就業手続きに服務規程、販売研修に加えて最後にはデモ機を使ってのレジ操作の実習まである。おばさんにとって機械の操作は敷居が高い。覚えるしかないと思うと、さらに緊張が増した。
今朝は、9時半の集合時間に余裕をもって研修会場に到着しようと、少し早めに自宅を出た。
最寄りの駅から地下鉄に乗ると朝の通勤ラッシュは過ぎていたようで、比較的空いている車内に安心しながら吊革につかまる。パートが始まっても出勤時間は同じ9時半なので満員電車に乗らずに済みそうだと安心する。これから週3日、パートの勤務先になる巨大デパートは、都心のターミナル駅に直結しており地下鉄の改札を出るとそのまま歩いてすぐの場所にある。
通勤時間は30分もかからなさそう。靖子は久しぶりの仕事に緊張しながらもホッとしていた。今日は研修だけどね。
大学卒業後は就職し、20代半ばで結婚した。結婚後も働いたけれど、子どもが生まれるのをきっかけに退職。長女に続いて長男にも恵まれ、2人の子育てや家事に何かと慌ただしい毎日を送りながら専業主婦を30年間もした。子どもたちはまだ結婚をしていないけれど、長女は大学卒業と同時に独立し、長男も三年前に会社の転勤をきっかけに独立している。
夫婦二人の暮らしになって三年が経っているが、靖子の日常生活が大きく変わったのは一年前の夫の定年退職だった。
靖子の夫は60歳まで働いた後、きっぱりと定年退職をした。そのまま嘱託形態で働く事も出来たけれど、本人はもう働きたくなかったらしい。退職金と年金を使えば夫婦2人で生活するには十分とはいえないまでも、何とか困らない程であり、贅沢をしなければそれなりに暮らしていけると考えていた。
そうかもしれないけれど。
毎日顔を合わせているのも大変だし。私、パートで働こうかしら。
靖子は、適度な距離感を保つことを選択した。日常の細かい事を言い出せばきりが無い。しかし、些細な事でも重なると、積もり積もれば山となってしまう。
六郷橋を降りるとすぐに川崎宿に入った。
川崎宿は江戸時代には東海道の宿場の機能に加え、川崎大師への参拝客で賑わった宿場であるが、江戸時代の二度の大火や安政の大地震、第二次世界大戦による空襲により、江戸時代を感じる面影は全て焼失してしまっている。しかし、地元では川崎宿を盛り上げようとしており、史跡があった多くの場所には説明版が立てられており、街道ウォーキングでは学びが多い区間になっている。旧街道を歩いて宿場内に入ると、両脇にはビルやマンションが立ち並んでいる間を旧街道は通り抜けていく。
「そろそろ川崎駅だけれど、もう少し頑張って歩こうか」靖子が言った。
靖子、明子、晴美のおばさん三人は江戸時代に造られた五街道の1つである東海道を、日帰りで歩きつなぐ旅を始めて今日が2回目になる。東海道、最初の宿場である品川宿、京急青物横丁駅を出発し、途中で昼食を食べ、東京と神奈川の境を流れる多摩川を渡って、ここまで歩いた距離は10km以上にもなり、足の疲れもたっぷり出ている。
「今日はもう少し距離を伸ばしたいね」
前回と違って少し余裕があるのか、明子が答えるけれど、その隣では晴美が苦笑いをしようとして顔は引きつっていた。無理だって言えない雰囲気だよ。晴美は心の中でつぶやいていた。
旧東海道はJRと京急の川崎駅近くを通り、駅前の繁華街を通り抜ける。
おばさん三人は少しゆっくりのペースになっているが、何とか歩き続けられている。
「私、パートを始めようと思ってね。先日、研修を受けてきたの」
靖子が二人に言った。
三人のおばさんは高校時代の同級生であり、先日の同窓会で久しぶりに再会をした。
「靖子はずっと専業主婦だったの?」
「そうよ。だから、働くのは30年ぶり」
「何で、いきなりパートをしようと思ったの?」
「主人の定年。お互いに少し距離がある方が気楽かなって思ったの」
夫婦の形はいろいろだと思っている。だから、私たち夫婦には私たちの形がある。定年後には、2人一緒に趣味を楽しむ夫婦もいれば、熟年離婚に踏み切る夫婦だっている。
熟年離婚とまでは思わないけれど、私たち夫婦は何かを一緒に楽しめる関係ではないと、靖子は感じていた。適度な距離感を持つ方が良い夫婦だってある。
私たちにとっては私たちなりの夫婦関係であって良いと思っている。
そう気づいた時、1人でカフェに出かけてみたら、物理的な距離がとれる時間がとても心地よかった。しかしすぐに、カフェと言えども頻繁に行くとそれなりにお金もかかると感じた。そして、私たちは退職金の貯金と年金生活に突入している事を痛感した。
お金がかからない図書館や公園にも足を運び、それはそれで良い時間を過ごせるけれど何かが違った。靖子は、何となく自分の居場所と感じられる場所が少なくなったように感じていた。
そして、50代半ばの自身の年齢を考えると、この気持ちのままでいる時間が長く続くように感じた事を不安に思った。
働こうか。週に何日かでも、自分が出かけられる場所をつくろうか。
この歳になって働く事に緊張もしているし、不安もたっぷりある。しかし、良い機会だから60歳までは働いてみようと思っている
川崎宿を過ぎようとする場所に、芭蕉の句碑と説明版がある。
1694年(元禄7年)、芭蕉は江戸深川を出発し故郷の伊賀上野に向かい、同年10月に大阪で永眠している。芭蕉の出発の時、名残を惜しむ弟子たちは多摩川を渡り川崎宿の外れのこの場所まで見送りに来た。その時に、芭蕉が弟子たちに詠んだ句が書かれている。
麦の穂を たよりにつかむ 別れかな
「深川からこの辺りまでは20km以上もあるけれど、この辺りまでは何とか、日帰りできるほどの距離だったのかもね」
JRと京急の八丁畷駅を通り過ぎると川崎市から横浜市に入り、歩き進んだ先に市場の一里塚が見えてきた。
東海道で日本橋から5番目の一里塚で左側の塚が残っており、昭和初期まで塚の上には榎の大木があったと説明が書かれている。こんもりとした小高い塚は、周囲が崩れないように囲いがされており、塚の上には稲荷社がまつられていた。
街道沿いに作られた一里塚には松が植えられた場所もあるが、榎が一番多く植えられていた記録がある。一里塚に榎が多く植えられた理由は、榎は落葉樹であり、夏には生い茂る葉で日影が出来るからでもあった。
街道を歩いて大変だと感じることの1つは、太陽の下で歩き続ける事だった。冬は温かいけれど夏の暑さは相当厳しくなる。
先ほど通り過ぎた八丁畷の地名の由来は、八丁(約870m)の畷(なわて:田んぼの間の道、あぜ道)が続いていたことによるという。日差しを遮る物が何もない場所を歩く旅人は、一里毎に造られた一里塚に植えられた落葉樹の榎が作る日影で休憩した。その気持ちが本当に良く分かると実感する。
一里塚の隣の公園のベンチに座り休憩をする。公園にあった水道で、汗だくになっている手と顔を洗ってさっぱりする。
「この先の鶴見川を渡ると鶴見駅に着くからね」
歩き疲れて頭の中が真っ白になっている晴美にとって嬉しい言葉がやっと聞こえた。今日は何かの修行の一日だったように思った。
東海道を歩く旅 品川~鶴見 約14km
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