【国富町】大将軍の称号授かりし古墳あり:意外に知られていないその意味は?
《本庄古墳群》
( 10 ) 8号墳(大将軍塚)
大将軍というと、どんなことを想像しますか?アニメや歴史作品に登場する剛腕の武将など、いずれも強さと偉大さを感じさせます。8号墳の別名は大将軍塚。なんだかとても強そうです。
・大将軍塚とは?
まず名前の由来を考える前に、「大将軍」とは何者なのかをご紹介しましょう。
八将神とその最強の神
陰陽道(おんみょうどう)では八将神と言われる、方角を守る8人の神様がいます。その中で最も力が強いとされるのが大将軍です。その力は人に災いを及ぼすとされ、大将軍のいる方角はすべてにおいて凶とされています。
陰陽道についてはWikipedia「陰陽道」を参照してください (外部リンク)
地域に根付く大将軍信仰
しかしその強大な力は、味方につければ最強の守り神となります。平安時代の京都では、悪霊から平安京を守るために大将軍神社が建立されました。一方、全国に点在する大将軍神社は、地域の信仰や風習に基づいて、様々な性格を持つようになりました。宮崎県では瓜生野の大将軍神社を初め、大将軍を農耕で重要な牛馬の守護神としている神社が多くあります。
国富町で親しまれる大将軍
では国富町の場合はというと、由来は明確には分かっていません。しかし国富には、牛馬を供養するための馬頭観音像が、数か所に建てられています。そこから考えると国富の大将軍も牛馬の守護神なのかもしれません。
・大将軍神社が鎮座する古墳
国富の大将軍神社は、8号墳の上にあります。大将軍塚の名はそこから来ており、最強の神の名を持つ古墳です。
それでは、その大将軍神社を支える8号墳を見てみましょう。
・大将軍塚:名前に反してかわいらしい古墳
8号墳は、直径約30m・高さ約2mの小柄な円墳。旧道の六日町簡易郵便局近くの小道を、南側に入ったところにあります。大将軍神社の鳥居が古墳の登り口になります。
階段を上ると、そこは墳丘です。右側に石標があります。
小さな円墳なので、立ち止まって周囲が見渡せます。
大将軍神社側の光景。
神社横には標柱と案内板があります。
南側は墓地に抜ける道があります。
古墳を下りて、下から見てみましょう。高さ2mなので、こんもり盛り上がっている感じです。
馬頭観音が語る信仰の謎
宮崎の多くの大将軍神社は、大将軍を牛馬の守護神としています。そして境内には、牛馬を供養する馬頭観音像が建てられています。「国富郷土史」によると、8号墳にも馬頭観音像があるそうです。しかし、どこを探しても見つかりません。何らかの事情で撤去されたのでしょうか。それとも単に見つけられなかっただけでしょうか。
あきらめて帰ろうとした時です。ふと拝殿向かい側の木に目をやると。木の陰に何か建っています。もしかして……
馬頭観音は顔が3つ、手が6本ある、三面六臂像と言われる仏様。よく見てましょう。
確かに顔が3つあります。長い年月で痛みが激しいですが、手も6本あるようです。三面六臂像。間違いなく馬頭観音像です。
大将軍とともにこの像が建てられているということは、やはり国富の大将軍も牛馬の守護神なのでしょうか。どう思いますか?
・静かに町を見守る古墳
ここの大将軍神社が、悪霊から守るためか、牛馬を守るためかは不明です。しかし、いずれにしても陰陽道と何らかの関連があるかもしれません。また、稲荷神社の夏祭りでは、稲荷の神様がお旅所としてここに1泊されます(ヨイマカ)。地域の信仰の場として親しまれている大将軍様に、町の平和を祈るのもいいかもしれませんね。悪霊から国富を守る結界が、見えるかもしれませんよ。
取材協力:中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄(地図)
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