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『漂着者』最終話で明らかになったメッセージ 「未来を予知する方法」とは

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2017 TIFF/アフロ)

(ドラマ『漂着者』について、最終話の最後までネタバレして書いています)

「勝者に何もやるな」という意訳に込められた意味

ドラマ『漂着者』で、漂着した男(斎藤工)が最初に放った言葉は「勝者に何もやるな」であった。

そこから彼はヘミングウェイと呼ばれる。

おそらくヘミングウェイの第三短編集のタイトル「Winner Take Nothing」から取られているのだろう。

「Winner Take Nothing」はいまはそんなふうに訳されていない。

新潮文庫では『勝者に報酬はない』となっている。

たしかにそのほうが近いだろう。

「何もやるな」というのは、かなり乱暴な時代の意訳のように見える。

でも敢えて古風な訳「勝者に何もやるな」を使わせ、それをアーネスト・ヘミングウェイの言葉としたのは、このドラマの根本的な方向を示していたのではないだろうか。

「自分でしっかり調べないと、ほんとうのところは何もわかりませんよ」

そういう不気味なメッセージが、すでに最初から込められていたようにもおもえてくる。

まったく謎が解かれていなかったドラマ『漂着者』

『漂着者』を謎解きのドラマとして見ていたなら、全然謎は解かれていないじゃないか、と感じる終わり方であった。

その方向で見ていて、不満たらたらになった人も多いとおもう。

このドラマの謎は、まず「未来を予知できる漂着者・ヘミングウェイの能力は本物なのか」という部分と、それとは別に「連続幼女殺人事件の犯人は誰なのか」という推理ものとしての謎が提示されていた。

そのように見えてしまった。

そこからいくつかの別の謎も派生している。

どれもきちんとは解明されていない。

ここまで解明されない「謎ドラマ」というのも珍しい。

最後まで見て気がつくのは、ひょっとしてこれは謎解きのドラマではなかったのではないか、ということである。

日常生活の謎は解き明かされない

日常生活では、意味のわからない理不尽なこと、とても不思議なことが起こっても、その謎がいちいち説明されるわけではない。

何だったんだろうねえ、とみんなで噂しあって、でもやがて忘れていく。

日常はそれの連続である。

このドラマもそういう日常感覚をそのまま示しているかのようだった。

何もそれをわざわざテレビドラマでやって多くの人に見せることはないだろう、とおもうのだが、まあ、そういうことをやる人がいたとしても不思議ではないし、止められない。

たぶん狙いが別にあるからだ。

中学生男子の妄想と同じレベル

謎は謎のままである。

ロシア語を使うどこかの怪しい国が日本国を転覆させる大掛かりなテロを企てていた。

それはどうやら阻止されたらしい。

テロ計画が発覚したときは、かなり本格的な国家レベルの陰謀のようだったが、人が撃たれ、犯人が撃たれたら、それで阻止された、ということになっていた。

少人数のおもいつきテロか、もしくは妄想だったのではないかというあっさりした扱いであった。

国家レベルのテロなら簡単な失敗で引き下がらないとおもえるのだが、そのあたりの説明がない。

このへんはもう「中学生男子の妄想」と同じレベルで、かえって痛快だった。

そういえば爆弾を腹に据えて突入してきたテロリストを突き飛ばして一緒に落ちていった公安部の刑事は、やっぱり死んでしまったのだろうか。彼の英雄的行為はまったくそのあと触れられていなかったがどうなったのだろう。アーネスト・ヘミングウェイが冷徹に描いていた戦争の描写を踏襲していただけなのだろうか。それともみんなで幻影を見ていたのか。

驚かされるアトラクションと同じで、うわっと驚くその刺激だけが連続して起こる。いまのは何だったのか、いちいち説明してくれない。

アトラクションでもそうだしドラマ『漂着者』も同じである。

謎解きのドラマではなかった

「超能力は本物なのか」や「シリアルキラーは誰なのか」を謎だとおもって、その謎解きを期待して見ていたのは、どうやら勘違いだったようだ。

続編が作られようと、解決されないとおもわれる。

たしかに「連続殺人犯は誰なのか」という推理をメインに据えたドラマだったら、もうちょっと犯人探しが緻密に描かれるはずだ。でも『漂着者』はそんな作りではなかった。

刑事(生瀬勝久)がこいつが真犯人だと確信しているばかりだった。

最終話前に、真犯人に目星をつけ、超能力者がお墨付きの言葉を添えている。

最終話では、真犯人は、人に聞かれていないとおもって、私が犯人ですと独り言として告白している。

たぶん、これでこの件は済んでいるのだ。

もしこのまま証拠が見つからなければ、彼はまた証拠不十分で不起訴になる。

でも視聴者には、犯人が誰だか、ほぼわかった。

見ている者に、犯人がこいつだとわかれば、それでいいじゃないか、というドラマだったのだ。

未来を予知する能力については説明が必要ない

“漂着者ヘミングウェイ”が持つ「未来を予知する能力」は、これは本物だ、と納得するしかない。

能力は能力だ、ということである。

「この人はどうしてどんな人よりも速く走れるのか」という能力と同じである。

それを解明しようとしても後追いの説明が少しできるだけであって、速く走れない者にとっては意味不明の能力というしかない。

その能力は、ただ、そこにあるのだ。

ウサイン・ボルトは100メートルを9秒5で走れるし、漂着者・ヘミングウェイは未来が予知できる。

他の人にやれといったってできない。

不思議な自然現象だとおもって、納得するしかない。

そういう、いわば無茶な設定のドラマであった。

未来を予知する方法は「何となく」にある

最終話の最後で、じつは漂着者・ヘミングウェイは能力の説明してくれていた。

いわく、予知はべつだん特殊能力ではない、とのことだ。

「ほんとうに苦しいとき、困ったときは“何となく”考えてみてください。“何となく”そんな気がする。“何となく”こっちのがいい。そんな“何となく”という直観が、あなた自身を、あなたの大切な人を守ります」

(チョッカンは「直感」ではなく「直観」とするほうがいいのではないかとおもってそう記した。「直感」と当てられてもいいとおもう)

たぶん、この奇妙なドラマが届けようとしたのは、このメッセージではないか。

未来を予知するのは「何となくという直観(直感)」から生まれる。

「何となくという直観(直感)」を大事にしてください。

コロナ禍で窮屈なおもいをしているとき、多くの人に必要なメッセージとしてそれは発せられたようも見えた。

ある意味よけいなメッセージにもおもえるが、必要な人もいるはずだ。

ドラマは気楽に見ればいい

人それぞれの見方があるだろうし、このドラマを最後まで見て、なんだこりゃと力が抜けたり、意味がわからないと腹を立てるのもふつうの反応だろう。

直観を大事にしろというメッセージを受け取るのもいいし、そんなもの受け取らなくてもかまわない。

勝者には報酬はない。

勝ったからといって、勝ったことのほかに何かを得られるわけではない。

最後の展開は、見ていてちょっと「新喜劇みたい」とおもってしまった。

こういうドラマは、気楽に見たほうがいいようにおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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