閉会のあいちトリエンナーレ、不自由展を本気で美術批評してみる
愛知県で開かれていた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」が10月14日に閉会した。8月の開会から想像以上に世間を騒がせ、9月の文化庁の補助金不交付決定でピークに達した(ある識者は「ギアが一段上がった」と表現した)ほどの喧騒は静まった。代わりに台風19号が長野、関東、東北を中心に甚大な被害をもたらしている。私も心苦しい気持ちを抱えながら、地元にいる人間として最後の閉会の現場を見届けた。そして、もうほとんど注目を集めないことを分かった上で、私自身がこれまで持てなかった純粋な「芸術」としての観点から不自由展をはじめ今回のトリエンナーレを総評してみることにした。
閉会後に初めて入った展示室
ちなみに私は大学の建築学科の意匠系で学び、新聞社では11年間の記者生活中、最後の2年間(2006〜08年)を文化部で過ごした。アートは直接の担当ではなかったが、ちょうどあいちトリエンナーレの初回(2010年)の計画が持ち上がっていた時期で、さまざまな関係者の話を(積極的な声も消極的な声も)聞いていた。というわけで、あいトリについてはかろうじて批評できる資格があるのではないかと思う。
なお、この4回目のトリエンナーレについてはヤフー個人の8月5日付の記事をはじめ、同じヤフー系のTHE PAGEで以下のような記事を書いている。主に「政治」や「社会」面的な見方はそちらを参考にしていただきたい。
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あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」問題 あえて「前向き」に考えてみる
不自由展に対しては内覧会も、中止される前の最初の3日間も別の仕事で観覧がかなわず、再開後の1週間も計4回の抽選に臨んだがすべて外れた。しかし14日夜の閉会直後、報道関係者向けの公開撮影に臨む機会を得られ、初めて展示室の中に足を踏み入れることができた。なお、閉会の翌15日をもってSNSへの写真投稿禁止も含めすべての制限が解けたので(もちろん著作権法の範囲内で)、写真と合わせて記事を公開する。
すでに一般客は退館し、他の展示室は片付けが始まっているようなタイミングだった。不自由展に隣接するアメリカのCIR(調査報道センター)の展示室は照明が消され、モニターが撤去されようとしていた。
そうした状況で数十人の取材者(撮影者)がグループに分かれて20分ごとに不自由展の中に入る。私は最後の4組目のグループで、時刻は午後8時半を回ったころ。他の取材者3人とカーテンで仕切られた室内に入り、20分間という制限付きで展示を見て回った。スタッフは2人いたが、ツアー形式ではなく、自由に鑑賞しながら聞きたいことがあればスタッフに声を掛けるというスタイルだ。
そして一通り展示を見た私に残った印象は、政治性よりも「非現代性」とも呼べそうな、その表現様式だった。
気になった「非現代」的な表現
実際、昭和天皇の肖像画をあしらった大浦信行氏の作品「遠近を抱えて」は1975年から85年が制作期間。86年にその作品が富山の美術館の展示で問題視されたことに呼応した嶋田美子氏の「焼かれるべき絵」は93年の作品だ。
これらは写真や図を組み合わせた典型的なコラージュと版画、そして「手紙」などで構成されている。
他の作品も、全体的には2000年代のものが多いのだが、新聞を張り合わせる、ペンや毛筆で書きなぐる、布で覆う…など、表現としては実に古典的だ。
もちろん、その様式自体が良い悪いではなく、やりようによっては現代的なコラージュも現代の書もクリストの進化形もあり得るだろう。しかし、今回の不自由展はメッセージ性と社会性が第一にあるためか、「現代美術展」のくくりとしては大きな違和感があり、むしろ博物館的な印象を受けた。
何でも映像やデジタルにすればいいわけではない。ただ、現代の多様な鑑賞者に、デリケートな問題や複雑な心の内を伝えようとするならば、適した表現の選択肢はもっと広がるはずだ。だから、と言ってしまっていいのだろう。大浦氏が今回「遠近を抱えて」の続編として制作したのは20分間の映像作品だった。これについては当初、通路の壁掛けモニターで上映されていたため、人が滞留して見切れなかったり、断片的な映像がSNSで出回ったりした。だが、10月上旬に開かれた愛知県の検証委員会主催のフォーラムで、大浦氏の許可が出て全編を上映、メディアでの中継も許されたため、今はYouTubeでいつでもすべてを見ることができる。
その映像の中でも、天皇の肖像(大浦氏の作品)を火で燃やすという、実に現代的でない、むしろ前近代的な手法が使われる。バーナー(しかもかなり高性能に見える)は現代の道具とも言えるが、とにかく執拗に燃やす。バックに流れる音楽と合わせて、非常に儀式的、呪術的だ。
再開展示では、通路を抜けた先に新しくモニターを設置して滞留を防いだらしいが、今回の報道公開時はモニターの電源が落とされ、上映はされなかった。もしあの映像と音声が流れていたら、さらに「非現代性」の印象は強まったろう。
奥深さ感じた少女像
では、もう一つの問題作であった「平和の少女像」はどうだったか。やはり表現としては古めかしく見えたが、思った以上に奥深い作品だった。特に、裏に回り込んではっきり気付く、足元から伸びる白い影。作者の説明によれば、少女がハルモニ(おばあさん)になって、女性として一生の痛みをひきずっていることを表しているという。しかし、私は一瞬、悪霊か亡霊に取り憑かれているか、襲いかかられようとしているかに見え、大きな不安感を抱いた。胸の部分にある空白は蝶の形だというが、「心」が抜けているようにも見える。多義的、多層的な見方ができるという意味で、私は間違いなく芸術作品であると感じた。
ただし、繰り返しになるが、表現手法として洗練されているとは思えない。言うならば「ベタ」である。その素朴さが「民衆美術」として親しまれ、広まり、あるいは政治的に利用されている理由なのだろう。しかし、日韓関係の複雑さを抜きにして、世界に通用する普遍性があるかというと首をかしげざるを得ない。
国内最大級の国際芸術祭をうたい、同時に愛知という地方で催す展覧会で、不自由展のこうした作品群が過剰に注目を集め、他に十分な目が向けられなかったのは、つくづく残念だった。それがようやく不自由展も見終えての、私の偽らざる感想だ。
圧巻の作品と疑問の展示
メイン会場の愛知芸術文化センターに名古屋市美術館、地元商店街の円頓寺(えんどうじ)と四間道(しけみち)、そして豊田市。3カ月をかけてそれぞれの会場を見て回った。(演劇や音楽プログラムはまったく見られなかったが、劇評も書く知人のライターによれば、今回は例年以上に充実したプログラムだったという)
圧巻だったのは、多くの批評家も評価する高嶺格氏の高校跡地のプールの床を切り取って立ち上げた作品「反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで」。これは中学生の息子とも一緒に見たが、「トランプの壁の高さ」だという説明とともに圧倒的に関心を持たれていた。
あるいは円頓寺・四間道地区の旧家の蔵にたんすや家具を積み上げ、近くを実際に流れる堀川の底を歩く感覚を生み出した岩崎貴宏氏の「町蔵」。
建築出身なので、どうしてもこうした既存の空間や都市を生かした作品が好みになってしまう。なお、円頓寺に関してはここ数年、建築家らが入ってまさに既存資源を生かしたまちづくりが進められてきた。古い商店を改装してボルダリングジムができていたり、女性客が行列をつくって観に行くのが「カブキカフェ」という常設劇場だったりと、アートイベント顔負けのポテンシャルがすでにあった地区だということは付言しておきたい。
ついでに、これは素人目線での苦言になってしまうが、昨今の美術展で映像作品ばかりがあると正直、げんなりしてしまう。
技術の発達で動画が容易に撮影、編集できるようになり、各作家がストーリー性や凝った表現を追い求めている。その分、一本の作品を見るだけで大変なエネルギーと時間を消耗する。それが分かっているから、スクリーンといすが置かれただけの部屋に入り、何分続くか分からない映像を途中から見始める状況になると、それだけでストレスを感じるのは私だけだろうか。
そうした意味で、不自由展と同じ芸文のフロアで上映されていた台湾の袁廣鳴(ユェン・グァンミン)氏による「日常演習」は出色だった。1978年から毎年行われているという防空演習時の台北市内を上空からドローン撮影した映像。真昼の大都市に人っ子一人いない光景が延々と続く。それだけと言えばそれだけだが、どの場面から見ても見終えてもよく、どの場面も違う。そして戦争と平和の意味を静かに考えることができた。
不自由展隣のCIRの映像作品8本も、中止時期をはさんでほぼすべてを鑑賞した。いわゆる「GAFA」の脅威を告発する作品はポップなアニメで、「赤狩り」の歴史に触れる作品はモノクロや新聞のコラージュを織り交ぜて。テーマに応じた見せ方と掘り下げ方があって飽きなかった。
芸術監督の津田大介氏は閉会直後の会見で「現代美術が作品そのものだけでなく、文脈や背景を大事にするもの」だと分かったとした上で、不自由展では「その一部が切り取られ、誤解され、SNSで拡散された。現代アートとSNSの組み合わせの悪さを感じた」と述べた。いわば“文脈主義”に依存し過ぎる危うさを指摘した問題提起だ。
それは一理あると思う。しかし、そもそも今回は不自由展という、それ自体が微妙なバランスで成り立つ企画展を、キュレーターの調整なしで本展に組み込む「組み合わせの悪さ」が、全体の調和やバランスを崩してしまった面は否めないのではないか。
加えてもちろん、許されざる脅迫や過度な電凸、劣化した政治の問題が大きかった。それらに粘り強く対応し、必死に態勢を立て直した多くの関係者の努力と奮闘には、部分的にだが間近で見た者として最大限の敬意を表したい。
その上で、本来なら活発に行われるべき健全な批評ができていなかったとしたら…。今回のトリエンナーレが残した最大の不幸の一つではないかとも思うのだ。