戦争の時代を生き延びたイラク人姉妹が今、アートで何を描くのか【後半】
幼少期を常に戦争の恐怖と隣り合わせで生きてきたイラク人姉妹のサハルとファラハ。その恐怖を紛らわせてくれたのが意外にも日本のアニメや漫画だったという。登場人物に自らを重ね合わせることで、彼らのように困難を乗り越えようとしていたというのだ。
後半では作り手としての姉妹の話。
■怒りの表現から人を考えさせる表現へ・妹ファラハの場合
ファラハのここ数年の自信作1つ目は、日本の漫画コンペのために描いた「フェア・プレイ(公正な試合/行動)」をテーマにした漫画。
フェアな試合/戦いとは何か。暴力で決着を求めるやり方が続いたイラクで、そうではないファラハなりの悪との戦い方、向き合い方を描こうとした作品だ。
またカタツムリの視点と人間の視点の違いを描いた『unlucky』という作品。
相手のためと思ってしたことが、その人にとっては実は良いこととは限らないという問いかけにいざなう話。ちょっとシュールな笑いでもあるが、読み手に難民・避難民の多いこの地域で「支援」とは何かを考えさせたり、様々な制約がある中で生きてきた彼女たちの境遇につながる何かを感じさせる。
「コメディ」が今のファラハのテーマだというが、しかし昔はかなりシリアスな漫画を描いていたそうだ。
16歳の頃のノートを取り出しながらファラハは照れるような笑いをした。
「政治的なマンガなんだ」
彼女はかつて風刺マンガを描いていた。
例えば、2人の登場人物が「爆発もないし、治安がよくなったね」と会話していたその1分後に隣で爆発が起きるという漫画。貧乏人のフリをして、実はお金をたくさん貯め込んでいる人がいるという漫画。電力事情が悪くて夏も冬も苦しんでいるという漫画。
「学校の友だちに風刺漫画を見せたりもしたけど、その時はコメントをもっと害のない柔らかいものに変えていたんだ」
日本であればそれほどどぎつい風刺には入らないだろうが、イラクでは政治への不満を表すことの意味が違う。
現在はコメディを描きたいというファラハの今の作風には、風刺漫画を描いていた時のような政治的な毒や批判も、また暴力の描写も直接的にはない。その変化について尋ねると彼女はこう答えた。
「私のあの当時の考え方は怒った、ダークな考え方だった。そう感じたのならそれをアートで表現したらいいと思っていた。
でも今は自分の気持ちをコントロールしようとしている。自分がシェアするアイデアに対して責任を感じるから。怒りの表現をしたら、見た人も1日中、怒りを感じることになってしまう。悲しいことからはじめてもいいけど、いい終わり方をしないと、最後には悪魔だけが残る。何かいい影響や力を与えたいと思う。意味を持たないメッセージでは良い風に人の気持ちは動かされないから」
人を考えさせる工夫をし、何かを伝えたい。シェアしたい。そんな気持ちがファラハの表現のもとになっている。
■哲学を時に絵で表し、時に建築で形にする・姉サハルの場合
姉のサハルは少しタイプが違って、
「絵で表現することができなかったら気持ちが爆発してしまっていた!」
と本人も認めているように、自分の考えや気持ちをアートとして表現したいというタイプ。
しかしただ気持ちを表現するだけではなく、世界を成り立たせるものは何か、自分とは何かなど彼女の哲学をその絵で表現する。
建築のデザインが出来ることも彼女の強みだ。卒業制作でデザインしたというスポーツスタジアムは、陰の中にも陽が、陽の中にも陰があるという太極図の考え方が気に入りそこからアイデアを膨らませた。コンセプトを考えるのにかなりの時間をかけたという。
ただサハルは美しい色使いやダイナミックな形でそれを表現する一方で、何か思い悩んでいる姿の絵も多い。
「私の問題は考え過ぎること。一番、辛いのは人生のゴールを失ったこと。理由はいろいろあるけれど、社会や宗教に関する原因が多い」
■彼女たちが抱える葛藤
サハルもファラハもイスラム教徒だ。
イラクではイラク戦争後、原理主義者が増え、また宗派対立の中でスンニ派、シーア派のそれぞれの宗教指導者が力を持つようになった。イスラム教は宗教指導者によって様々な形で教えが解釈され得るのだが、それまでにはあまり言われなかった厳しい解釈や、また他の宗派に対するヘイト・スピーチも現れるようになった。
「宗教指導者は神を信じ、お祈りをするだけじゃ十分ではなくて、ヒジャーブをしないといけない、ニカーブでないといけないとか、家を出ちゃダメ、スポーツも音楽もダメと言うようになった」
そう説明するサハルとファラハ。彼女たち自身は現在までそのようなプレッシャーを直接的には受けずに暮らすことができたというが、気持ちは混乱した。さらにはイスラム教徒をテロリスト扱いする世界の眼差しにも苦しんだりもした。
自分自身の力で神に近づくためにインターネットの情報を読んだり、調べるようになったという。
彼女たちを困惑させたのは、宗教に関する考えだけではない。家族の勧めで2人は5年前から、生まれ育ったバグダッドを離れ、治安の比較的いい北部のクルド自治区のアルビルで姉妹だけで暮らしている。
しかし彼女たちの暮らすクルド自治区は独自の言語と文化を持つ地域。彼女たちはアラブ人だ。クルド人はサダム・フセインの抑圧をはじめ、アラブ側の政府に苦しめられて来た歴史があるので、アラブ人への感情はあまりよくない。
しかも姉妹がアルビルに来た2014年に、イスラム国がイラクのいくつかの街を占拠し、外国企業が一斉に撤退したのをきっかけにクルド自治区の経済は一気に悪化した。さらにアラブ地域から避難民が多く押し寄せ、クルド自治区内でアラブ人に対する複雑な感情はさらに深まった。彼女たちはクルド自治区で孤独や憂鬱な気持ちを感じていた。
サハルはこう表現する。
「昔は強い意志があった。子どもの頃は将来はよくなると思っていた。それで今も状況は悪い。
特に若い人は戦争と一緒に育った。この25年はストレスと戦争ばかりだった。私だけじゃなくて、イラクの若い人たちはそういう状況。もう私たちのエネルギーはなくなってしまった」
ずっと頑張ることにも限界がある。戦争の時代を耐えた。自分の信念を試された。複雑な民族関係がありながらもクルドでの生活に馴染もうとした。でも結果が返ってこなければ、自分を強く持ち続けることにも限界がある。実際、彼女たちは気力が湧かず深い鬱状態が続くこともあるという。
これは何もこの二人に限った話ではない。イラクでは長引く争い、高い失業率、女性の地位、宗教などが原因となった若者の自殺が深刻な問題として明るみになり始めている。
現在、バグダッドを始めイラク南部で続いている反政府抗議デモも20代の若者を中心に行われている。サハルやファラハも時に抱く絶望感や疲労感は多くの若者たちも抱える感情であり、それが引き金となってデモが続いているという側面もある。
(そしてデモに参加する若者もアニメに励まされて育った世代でもある。抗議現場の様子をアニメと合成して見せた若者アーティストの作品)
■希望とは言わないけれどそれでも前を向く
時に思い切りネガティブな言葉を吐き出すこともあるけれど、それでも彼女たちはやはりいろんなものをみたい、作りたいという強い気持ちがあり、その気持ちを失いたくないと思っている。鬱々とした気持ちと、前向きな気持ちが代わる代わるに現れる。
これからのことについてサハルは、
「自分にはいろんなアイデアがある。想像の世界だけじゃなくて、それを形にしたい。建築を学んできたから、環境に配慮して、安くて、使いやすい家を設計したいと思っている」
そう自分に言い聞かせるように言った。
ファラハの目標は漫画シリーズを描くこと。
「いろんな経験をして、旅をして、そこから学んだことを描きたい」そう話していたが、数週間後に会った時には、
「今からもうやっぱり描きたいことがたくさん。いろいろ描くつもり」
と、話していた。
「日本のアニメが彼女たちに生きる勇気を与えた」なんて簡単な話じゃない。現実はもっと残酷だし、立ちはだかる困難は大きい。でも、ある瞬間、彼女たちはアニメを見ることで、自分たちの絵を描くことで、それを乗り越えていたこともまた確かなのだ。
そして今、彼女たちが自分たちに力を与えてくれた作者がいるように、自分たちが何かの作り手になり、誰かを励ましたり、その生活をよくするものを創りたいと考えている。
過去の経験も、現在の苦しみも消えることはない。それとともに、彼女たちは生きていくことを感じているのかもしれない。彼女たちの強さに私は尊敬の念を覚える。
姉妹の最新作のアニメシリーズ(コメント大歓迎だそうです)
サハルのインスタグラム:
ファラハのインスタグラム:
(注)本文中の写真は特記事項の無い限り、筆者が撮影したものです。
(注)後半の一文を修正しました。「自分自身の力で神に近づくためにインターネットの情報を読んだり、調べるようになったという」