大音量のアラブ音楽に混ざって銃撃音が聞こえる【映像あり】イラク・反政府抗議行動の現場から(1)
11月中旬にイラクの首都バグダッドで反政府抗議行動の現場を取材した。
イラク政府の治安部隊と一般市民の抗議者が対峙する前線に近づくと、治安部隊が放った催涙ガスが漂っていた。間近で聞こえる発砲音に身を震わせる。これ以上、ここにいるのは危険だと言うイラク人ガイドとともに数百メートル、タハリール広場まで後退すると、人々は相変わらず爆音のアラブ音楽の中でイラク国旗を身にまとい、ゆったりと歩いていた。
政府治安部隊の暴力にもかかわらず、イラクの反政府抗議行動は平和的に抗議しようとする音楽やアートに溢れる不思議な場所だ。しかしその運動が今、危機にさらされている。すでに一般市民を中心に死者は450人以上、負傷者は2万人近くに上るとみられる。動画はこちらより
- 記事中に血の映った写真や怪我人の動画があります
■歴史的経緯とデモ隊の要求内容
2003年のイラク戦争後、イラクは治安の悪化、激しい宗派対立などに苦しんできた。政権はそれまでサダム・フセイン政権に弾圧されたシーア派の一部が中心となった。スンニ派は不満を募らせ、一部が過激派へ流れたりもした。分断され、混乱した社会で力を持ったのが、宗教指導者や政党だった。混乱した社会で人々が頼らざるを得ない側面もあった。
しかし今回のデモではまさにその政党や宗教指導者にも怒りが向けられた。
具体的には今回のデモの要求は高い失業率の改善と汚職の撲滅である。イラクの若者の失業率は世界銀行によると36%に上るという。またイラクは世界の汚職ランキングで世界180カ国中12位に位置している。汚職が原因で水や電気など公共インフラの整備が進んでいないと人々は考える。
これらの問題の背景には利権を持った政治家や宗教指導者の存在があるとして、人々は政権交代を要求し、またイラク政府を牛耳っているのはイラン政府だとしてイランによるイラクへの介入に抗議する運動へと広がったのだ。(詳しい背景などはこちらを参照)
■爆音のアラブ音楽の中で
まず抗議運動に来た人たちがやってくるのが、イラクの名所の1つタハリール広場とサドゥーン通りだ。普段は車の多く走るロータリーが、今は通行止めでお祭り会場のようになり、炊き出しテント、休憩所、落とし物預かり所や音楽用テントまである。
全身を黒い布で覆うアバヤ姿の女性たちが道端でたらいを使って洗濯をしているのに出会った。
「寝泊まりして24時間体制で抗議する若者のために衣服を洗濯しているんです」
夫を亡くした女性で収入のない彼女たちは寄付で洗剤を買い、奉仕で洗濯しているという。
一方で今回のデモのためにわざわざオーストラリアなどの外国から帰国したイラク人もいた。
宗教という点に焦点を当てれば、イエス・キリストの看板が抗議会場に設置されていたり、十字架を掲げて立つ人までみかけた。イラクでキリスト教徒はかなりの少数派である。
老いも若きも、男も女も、比較的富めるものも、貧しきものも、シーア派もキリスト教徒も(ただしスンニ派は賛同しつつもあまりいない)あらゆる層の人たちがデモ現場にやってくる。これが今回のデモの特徴の1つなのである。
中でもこの抗議の現場で目につくのは若者たちの姿である。
「政府は腐敗している。失業率は高いまま。何も対策しない政府はいらない」
「私たちはまだ恵まれている方だとは思う。でもイラクには苦しんでいる人たちがたくさんいる。その人たちのためにもデモに来た」
「私たちの運動は平和的にやるというものだ。イラク国旗を振ってただそこにいるというだけだ」
運動の中心となっているシーア派の若者たちは、サダム・フセイン政権時代を経験しておらず、シーア派として迫害された意識が比較的薄い。このことが今回の抗議行動が失業や汚職といった問題に焦点を当てて、幅広い人たちの支持を集めることに成功した理由だという分析も多くなされている。
■治安部隊の暴力
抗議行動の動きは隣接した2つの場所にわけることができる。家族連れや高校生、年配者もみかけることができるタハリール広場など比較的穏やかな場所と、その数百メートル先での武装した治安部隊と、丸腰の抗議者が対峙する場所だ。
後者では人々は治安部隊が設置した壁を超えて、ティグリス川を渡り、反対側にある「グリーン・ゾーン」と呼ばれる政府中枢機関がある地域に向かおうとする。問題の根源であるとみなす政府中枢機関にたどり着くためだ。
取材の数日前頃から治安部隊が実弾を以前にも増して使うようになり、より多くの負傷者がタハリール広場やあちこちの医療用テントに運び込まれてくるようになっていた。政府によるインターネットの停止が1週間ほど続いていたので人々の怒りがより高まってもいた。
「ほらほら、これをみて撮影して!」
外国人である筆者をみつけると多くの人が治安部隊の使用した実弾や催涙弾をみせて来た。
問題になっているのは実弾はもちろんのこと、催涙ガスの使用の仕方である。催涙ガスは本来、群衆を傷つけることなく分散されるものであるが、通常よりも威力の強くなる使用期限の切れた古い催涙ガスが使われている。また大きなサイズの催涙ガスを使用し、頭部を狙って殺傷するケースも出ている。アムネスティー・インターナショナルも詳細についてリポートしている。
ナシリーヤから来たという両手を包帯でぐるぐる巻きにした男性がこう話してくれた。
「私はフラニ広場で機動隊に激しく叩かれた。自分より年をとった男の人が捕まえられたので私をかわりに連れて行けと言った。そうしたら自分もその男性も5メートルの橋の上から突き落とされた。両腕を骨折した。しかし病院に行ったら逮捕されてしまうから行かない。IDもカバンも全部燃やされてしまった」
また別の男性はこう言った。
「自分も高いところから投げ落とされた。10月21日に怪我をして、11月9日まで捕まっていた。その間、拷問された。叩かれたり、タバコの火を押し付けられたり。耳も変形してしまった」
この抗議者たちを実際に攻撃しているのが誰なのかには諸説ある。多くの参加者がイラン政府の関与を疑っていたり、イラク人だけではなく、イラン人の民兵も加わっていると考えていた。
■いつまでこの非暴力を保てるのか
取材から約3週間後、ここ数日の間、抗議者に対する暴力が熾烈になっている。12月7日深夜に正体不明の武装グループが抗議行動の現場で攻撃を加え、25人が殺されるということが起きているのだ。イラクにあるイランよりの民兵組織の関与が強く疑われている。
平和的な抗議運動として始まったが、いつまでこの非暴力が続けられるかはわからない。非暴力の取り組みは貴重なことだが、人々がどれだけ耐えられるか試すのはあまりにも酷すぎる。このイラクで芽生えたこの何かはどこへ向かうのか。
「この声を届けてくれ。イラク政府の暴力をちゃんと伝えてくれ」
それが抗議行動の現場で何度も何度も言われた言葉だ。