Netflixで話題沸騰「極悪女王」の主人公、ダンプ松本が女子プロレスで突き抜けていた理由
Netflixで世界配信が始まったドラマ『極悪女王』が話題である。80年代の女子プロレスブームと主人公のダンプ松本をはじめとする女子プロレスラーたちの姿が、共感を呼んでいるわけだが、あの時代をリアルタイムで生きたかどうかで感じ方は異なるのではないか。そこで、知らない世代に向けて、ダンプ松本というレスラーが当時の女子プロレス界で、いかに突き抜けた存在だったのかを解説したい。
突如として生まれた極悪女王
ダンプ松本がリングで誕生したのは、1984年1月。それまではデビル雅美の先兵的存在に過ぎなかった松本香が、WWWA世界タッグ王座に挑戦した試合で突如、暴走ファイトに目覚めたのである。同期生であるライオネス飛鳥と長与千種のクラッシュ・ギャルズが先に人気者になったことに焦りを感じての変身で、ベルトは獲得できなかったものの、大胆な反則攻撃でインパクトを残したのだった。なお、ダンプ松本の名は、埼玉県深谷市の興行で酔客が口にした「あいつダンプみたいだ」という言葉から、本人が付けたものだという。
従来になかった過激な反則
ダンプ松本の試合の特徴と言えば、凶器攻撃である。使うのは竹刀、チェーン、一斗缶、机、ハサミなどで、従来の女子プロレスにはない過激さがあった。しかも、100キロを超える巨体で暴れるインパクトは絶大。1984年はフジテレビが中継をゴールデンタイムに移行したこともあり、知名度を上げたダンプの暴れっぷりはプロレスだけに収まらず、人気テレビドラマやバラエティ番組、CMにまで広がったのである。ヒールのイメージを維持しながらこれほど多くのメディアに出た女子レスラーは過去には例がなかったことだ。
視聴率18.1%を記録
そんなダンプ松本の凶暴さが、最も知られることになったのが、1985年8月に大阪城ホールで長与千種と対戦した「敗者髪切りデスマッチ」である。1万人の観客が悲鳴を上げる中、アイドルの長与を流血に追い込み、バリカンで髪を刈るショッキングなシーンは今も女子プロレス史上屈指の伝説だ。なお、フジテレビで5日後に放送された録画中継の番組平均世帯視聴率は関東地区で18.1%を記録(ビデオリサーチ調べ)。ファンの反感を買ったダンプは実家や愛車にまで嫌がらせを受けたエピソードは知られているが、これはヒールとして超一級の証しである。
定年の延長を宣言
ドラマでは描かれていないものの、ダンプ松本は翌年、長与と髪切りデスマッチで再戦し、敗北。しかし、試合後に丸刈りを通り越して、自ら頭をツルツルに剃り上げると、女子プロレス史上初めて週刊プロレスの表紙を飾る。今でこそ女子レスラーが表紙になることは珍しくないが、当時はクラッシュ・ギャルズさえもできなかったことである。さらに25歳定年制がある中、26歳で現役延長を宣言。結果的には1年半後には引退してしまうも、2003年に復帰。63歳になった今も竹刀を持ってリングに上がり続けている。
以上が、筆者の考えるダンプ松本の凄い点である。女子プロレスを取り巻く環境やシステムは今とはあまりにも異なるが、これほど突出した悪の存在は後にも先にも例がない。今回の『極悪女王』で再び世間を振り向かせていることも含めて、改めてダンプ松本というレスラーの存在感の大きさとそれを世間に届かせる力を感じてならないのである。
※文中敬称略