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レスリングはアマとプロでまったく違う?五輪で日の丸を背負った後にプロに転向したレスラーたち

清野茂樹実況アナウンサー
かつて五輪コンビと呼ばれたジャンボ鶴田と谷津嘉章(写真:平工幸雄/アフロ)

パリ五輪でレスリングは、女子6種目、男子12種目で実施され、日本のメダルが最も期待できる競技のひとつである。アマとプロの差異が他のどの競技よりも明確だが、五輪出場後にアマからプロに転向したレスラーも少なくない。そこで改めて、プロで成功した五輪レスラーを取り上げてみよう。

プロ転向第1号は東京五輪後

カール・ゴッチやダニー・ホッジなど、五輪レスラーのプロ転向は海外では古くからあるものの、日本では、1964年の東京五輪に出場したマサ斎藤とサンダー杉山が最初である。斎藤はフリースタイル、杉山はグレコローマンスタイルでそれぞれヘビー級(97kg以上)に出場、翌年に日本プロレスに入団した。二人とも同団体で所属選手としてキャリアを全うするのではなく、米国含めて様々なリングを渡り歩いたのは、己の実力に自信があった証拠だろう。また、五輪の実績やアマの色はほとんど打ち出さずにプロとしてのキャラクターを確立した点も両者は共通していたと言える。

五輪コンビ誕生

彼らとは反対に五輪出場を前面に押し出したのが、ジャンボ鶴田と谷津嘉章による「五輪コンビ」である。鶴田は1972年のミュンヘン五輪グレコローマンスタイル100kg超級に出場後に全日本プロレスへ、谷津は1976年のモントリオール五輪フリースタイル90kg級8位入賞、1980年のモスクワ五輪代表という実績をひっさげて新日本プロレスに入団。チームは1987年、谷津の全日本移籍によって誕生した。五輪マークの入ったお揃いのジャンパーを着用した二人は、世界タッグ王座を5度も獲得。ちなみに、谷津はミュンヘン五輪に出場した長州力ともタッグチームを結成している。

メダリストは一人だけ

五輪の出場回数で断トツなのは、本田多聞である。1984年のロサンゼルス、1988年のソウル、1992年のバルセロナと、3大会連続を超えるレスラーは今も現れていない。とりわけ、日本大学在学中に出場したロサンゼルス五輪でのフリースタイル100kg級で5位に入賞した実績が光る。国内でレスリングのメダリストがプロに転向した例はないが、柔道にまで広げれば、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得した小川直也を挙げることができる。アトランタ五輪出場の翌1997年にプロレスに転向し、新日本プロレスをはじめ、UFO、ハッスル、IGFを主戦場としながら、総合格闘技にも参戦した。

アマとプロで頂点を極めた男

海外に目を向ければ、プロで最も成功した五輪レスラーは、米国のカート・アングルで間違いないだろう。アトランタ五輪フリースタイル100kg級で金メダルを獲得後、WWE王者となっており、アマとプロの両方で頂点を極めたからだ。レスリング用のシングレットを着用し、首に金メダルをかけるスタイルも斬新であった。なお、レスリングは1992年からプロとアマがオープン化しており、プロレスラーの五輪出場は認められている。プロのリングで観客を沸かせつつ、五輪でも活躍する「二刀流レスラー」が現れることはないのだろうか。これまでの常識を覆す逸材の登場に期待しつつ、8月5日から始まる競技を見届けたい。

※文中敬称略

実況アナウンサー

実況アナウンサー。1973年神戸市生まれ。プロレス、総合格闘技、大相撲などで活躍。2015年にはアナウンス史上初めて、新日本プロレス、WWE、UFCの世界3大メジャー団体の実況を制覇。また、ラジオ日本で放送中のレギュラー番組「真夜中のハーリー&レイス」では、アントニオ猪木を筆頭に600人以上にインタビューしている。「コブラツイストに愛をこめて」「1000のプロレスレコードを持つ男」「もえプロ♡」シリーズなどプロレスに関する著作も多い。2018年には早稲田大学大学院でジャーナリズム修士号を取得。

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