大人の日帰りウォーキング 旅で元気な高齢ガイドに感動したのに、自分の老後が心配になった話
良人と由美子夫婦は一里塚にあるベンチで少し休憩をした後、再び歩き出した。
江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を日帰りで歩き繋げる街道ウォーキングを始めて今日で三回目になる。東京都の府中宿を出発して多摩川を渡り、歩き進む途中で寄り道をして万願寺の一里塚(日本橋から9番目)まで歩いてきて休憩をしていた。
万願寺の一里塚は南側のみ現存しており、北側の塚は昭和43年に取り壊されている。東京都内で両塚が現存する一里塚は中山道の志村の一里塚と、日光御成道(旧岩槻街道)の西ヶ原の一里塚の二か所のみなので、片側だけ残っているこの万願寺の一里塚も貴重だと思うけれど、地味な存在でもある。
時刻はそろそろ12時になろうとしている。さすがにお腹が空いてきた。多摩モノレールの下の道路をしばらく歩くと、モノレールの駅が見えてきた。駅があるなら飲食店があるはずと思いながら辺りを見回すが、小さなスーパーがあるだけで飲食店は見当たらない。
コンビニに寄っておにぎりでも買っておけば良かった。
ここまで歩いてくる少し手前にコンビニがあったことを思い出すが、歩く旅で引き返すことは時間と体力を無駄にしてしまい、得られるのは疲労だけと言う悲しい現実を伴ってしまう。そんな大きなリスクを伴ってまで引き返す気力は、もちろん無い。しかし、駅前に飲食店が無い状況で、この先に進んでもすぐにお店があるとは限らない。お先まっ黒じゃないか。
すると由美子が、あれ、見て!と言う。
空腹の良人は、食事が出来そうなお店が見つかったのかと思い、眼を輝かせながら由美子の方を見ると、由美子が指さしていたのはモノレールの駅の名前だった。なんだ。がっくりする良人であるが、由美子は嬉しそうに言う。
甲州街道駅だって。東京から長野まで続く甲州街道なのに、よくこの場所に甲州街道駅の名前が付けられたね。しかも、本来の甲州街道沿いじゃなくてから少し離れているわ。
確かに、そうかもしれない。甲州街道沿いにある駅ならどこでも名乗って良さそうな駅名だ。良人はお腹が空いてこれ以上を考える気力は無かった。
空腹が極限に達してしまい、前身に黒い闇をまとった様に沈み込んでいる良人に気付いた由美子は、リュックの中をゴソゴソ探し始めた。何だ、由美ちゃん、何か食べ物を持っているのか、助かったよ。
はい。由美子がリュックの中から取り出したのは飴2個だった。しかも、これだけお腹が空いているのに、何故かノンシュガーのど飴だったりする。微妙と言うか、タイミングが悪いと言うか…。心の中でボソボソとつぶやくけれど、ノンシュガーの飴に罪はない。良い人の手は迷いなく動き、飴を口に入れて空腹感を紛らわせようとする。
やはり文明の利器に頼る方が良さそうだ。スマフォを取り出して地図を確認すると、この先の角を曲がった場所に焼き肉店を見つけ、とりあえず食事が出来ることにホッとする。他には、ドラックストア…じゃなくて、チェーンの和食店もあるし、うどん屋もある。下がり切っていたテンションが急激に上がってきた。
由美ちゃん、どの店にしようか?
とりあえず、由美子にお伺いをする。たとえノンシュガーでも飴の恩がある。妙なところで律儀な良人である。
うどんが良いかな。由美子の言葉を聞くと同時に良人の足はうどん店を目指した。
無事にうどん店で昼食を済ませた夫婦二人は、旧甲州街道に合流して日野宿に入った。日野宿は江戸日本橋より10番目の宿場である。宿場の規模は前後の府中宿、八王子宿に比べて小さかったが、多摩川の渡しを担っている宿場でもあった。
日野宿には東京都内で唯一残っている本陣建物がある。
せっかくだから見学していこうか(見学料大人1人200円)
日野宿本陣と書かれている門の向こうには立派な庭と存在感がある建物が見えている。日野市により管理されている日野宿本陣では、希望するとボランティアのガイドさんが案内をしてくれると聞き、ガイドをお願いすることにする。
建物を入り土間に造られた受付の前で待っていると、80代であろうかと思う年配の男性が現れ、歴史に詳しいですかと聞かれる。日野市は新選組に所縁があり多くのファンが訪れるそうで、中には非常に詳しく調べているファンもいるらしい。ボランティアガイドも何かと大変な事もあるようだ。
歴史は嫌いではないですが新選組の事は詳しくないです。私たちは街道ウォーキングをしており、甲州街道を日本橋から日帰りで歩きつないでここまで来たと由美ちゃんが答えると、年配のガイドさんは安心した様子で、甲州街道の本陣建物は日野宿を含めて三軒残っている事を話してくれた。
残りの二軒はどこにあるかご存じですか?
良人と由美子は以前に、この先にある小仏峠越えハイキングしたことがあり、その時に本陣建物を見学したことがあった。しかし、もう一軒については初耳である。良人と由美子が顔を見合わせていると、ガイドさんが少し誇らしげでうれしそうな顔をしながら、
下花咲宿です。現在では見学できませんけれど建物は残っています。と答えた。
甲州街道全体において残っている本陣建物は、日野宿本陣に加えて神奈川県相模原市にある小原宿本陣(神奈川県相模原市)と下花咲宿本陣(山梨県大月市)であり、日野宿と小原宿の本陣建物は見学が可能である。
とても元気な年配のガイドさんは、ボランティアと思えない程すらすらと言葉が出てきて話しをする。その様子はとても生き生きとしている。昭和ひと桁生まれであろうと思われる年代では、激動の世の中を生き抜いてきたのだろうと思うけれど、自分たちには想像もつかない。
ガイドの声はとても聞きやすく、活舌が良く話す姿は80代とは思えない。その内容も、簡単すぎず、難しすぎず、納得が出来るように話されるので、聞き手を飽きさせることも無い。相手の反応を読み取りながら、話す内容をカスタマイズしているのだろう。
バリアフリーと程遠い江戸末期の建物の中を自分の足で歩きながらガイドをする姿。この年齢になってもガイド業が出来るとは凄い。生涯現役と自身の姿で示している。
もうすぐ定年を迎え、これからの人生を目の当たりにしている良人にとっては、まるで手本を見せられているように感じた。
年齢相応に眼は見えづらさそうだと感じ、耳にも補聴器を付けているのに気付く。もちろん自分もこの歳では老眼であり、目が見えづらい気持ちが良くわかる。人間誰もが加齢と共に老化していくので仕方がないし、避けられない。でも、この方には活気がある。素晴らしいよな。
自分の20年後には、同じように生き生きと活気がある毎日を過ごしているのだろうかとも思うと、先ず、生きているかどうかもわからない。もし、生きていたとしても、うだうだと毎日を過ごし、日課のように近所の公園を散歩している自分の姿が見えるような気がしたけれど、80歳の自分が散歩に出られる体ならばそれだけで幸せなのかもしれない。
歳をとるのも楽じゃない。
誰も歳をとりたくないと思うけれど、これだけは、みんな平等に歳を重ねてしまう。ならば、この方のように歳を重ねた時にも生き生きとしていられるのは幸せな事だと思う。
次に案内されて玄関の間に移動する。床が高く作られている建物の玄関を入ってすぐの座敷である玄関の間は、新選組の土方歳三が昼寝をした場所と言う。日野宿本陣を務めた佐藤家と土方家は親戚関係にあり、幕末の世の中であったにも関わらず、土方歳三にとっては玄関の間で昼寝が出来るぐらいに親しかったという。
本陣建物が建てられたのは文久3年(1863年)であり大政奉還のわずか4年前の幕末の時代。土方歳三が現実にここにいたのか。何だかタイムスリップしているようにも感じる。そう思いながら、改めて本陣建物の立派な座敷を眺めた。
建物の座敷は玄関から奥の間に続いている。本陣建物では一番奥に格式が高い上段の間があり殿様や大名が泊まるように造られている。中廊下に造られている欄間(らんま)が立派であると説明を受けながら奥の部屋に着いた。
この建物は、もともと脇本陣として建てられた建物なのです。
本陣建物は別にあったが火災で焼失してしまっているそうで、その後は再建されずに、この脇本陣の建物が本陣として使われたと説明された。当時の建物には殿様が泊まる上段の間は造られていたが、明治26年に別の場所に移築されており、建物は現存しているが公開されていないとのことだった。
見学施設:日野市立日野宿本陣(外部リンク)
住所:東京都日野市日野本町2丁目15番地9
開館時間:9:30~17:00(入館は16;30まで)
休館日:毎週月曜日(祝日であれば翌平日)、年末年始
観覧料:大人(高校生以上)200円、小人(小・中学生)50円
参考書籍)日本の古道五街道2 中山道67次 甲州街道45次 教育画劇
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