岡田麿里最新作『ふれる。』は高田馬場が舞台 アニメ監督経験で得た脚本の新境地とは
2011年に放送され、大ヒットとなった『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(『あの花』)。秩父市が舞台となったことで、アニメの舞台地を旅する「聖地巡礼」の動きでも社会現象となりました。その後、秩父を舞台にした劇場アニメ作品が、『心が叫びたがってるんだ。』(14年)と『空の青さを知る人よ』(19年)と公開され、「秩父三部作」と呼ばれています。「秩父三部作」は「青春三部作」とも呼ばれています。
これらの作品は、アニメ監督の長井龍雪さんと、脚本家の岡田麿里さん、そしてキャラクターデザイナー&総作画監督の田中将賀さんの3人がチームで原作を作っています。この3人による4作目オリジナル長編アニメーション『ふれる。』が10月4日(金)から上映しています。
『ふれる。』では東京の高田馬場が主な舞台になっています。同じ島で生まれ育った、小野田秋(CV:永瀬廉)、祖父江諒(CV:坂東龍汰)、井ノ原優太(CV:前田拳太郎)の青年3人が主人公で、20歳になって上京し、島から連れてきた「ふれる」という不思議な生き物と共同生活する物語が描かれています。
それまでの三部作の舞台となった秩父は、脚本の岡田麿里さんの出身地でもあります。今作で秩父から離れ、高田馬場が舞台になった背景には、上京後に岡田さんが住んでいた場所という繋がりがあるといいます。
また、岡田さんは18年に『さよならの朝に約束の花をかざろう』(『さよ朝』)と、『アリスとテレスのまぼろし工場』(『まぼろし工場』)の監督を務めており、「監督経験が脚本業にも大きく活きた」と以前の取材で話しています。
『ふれる。』ではなぜ高田馬場が舞台になったのか。また、監督経験を経たことでどのような新しい作品になったのか。岡田麿里さんに聞きました。
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舞台地・高田馬場の経緯
――『ふれる。』が10月4日に公開となりました。岡田さんにとってどのような作品になりましたか。
『ふれる。』の脚本が決定稿になったのは3年ぐらい前になります。その間に自分の監督作品である『まぼろし工場』の公開もあり、それが終わって落ち着いたタイミングで、旧友に再会したような心地ではあります。
――『ふれる。』では、まず架空の島での幼少期が描かれ、成人し高田馬場に上京していく構成になっています。なぜ、島から上京する構成になったのでしょうか。
「ふれる」という不思議な生き物のリアリティが欲しくて、島という設定が浮かんだ経緯があります。また、フェリーに乗って上京する場面が絵になることからも、島が舞台になったところがあります。
そこから舞台は高田馬場に移るわけですが、上京という設定だけが最初にあったのですが、舞台選びについては紆余曲折がありました。最終的に、高田馬場で落ち着いたのですが……。
――その高田馬場は、岡田さんが上京後に住んでいた場所のようですね。
そうなんです。高田馬場に行き着くまで何ヶ所もロケハンしたのですが、どこも長井監督がピンとくる場所ではなかったんです。でも話をしているうちに、高田馬場が監督の好みにハマるかもという予感がしたので、提案したところすんなり決まりました。
――岡田さんは「舞台地から物語のインスピレーションが得られる」ことを以前話していました。ロケ地が決まったことで脚本への影響はどうでしたか。
脚本の初稿段階ではまだ舞台が決まっていなかったんですけど、舞台が決まったことでだいぶ書きやすくなりました。上京してきたばかりの学生さんが多い街で、酔って道ばたで倒れている人や、作中のように神田川に落ちている人を目撃することもありました(笑)。
個人的に、高田馬場と言えば都電。私は高田馬場に住むまで、東京に路面電車が走っていることを知らなかったんです。世の中には自分が知らなくて、それでもすごく当たり前にあるものっていっぱいあるんだなと。「まだ世界には秘密がある!」みたいな、大げさな喜びを感じました(笑)。実際にスタッフの中にもロケハンするまで東京に路面電車があることを知らない子が結構いて、当時の自分を思い出しました。高田馬場は物語が浮かぶ場所だと改めて感じました。
――実際に住んでいたこともあり、細かい位置関係までドラマ作りに活かしていたように思います。
みんなであちこちウロウロして、ロケハンでは相当歩き回りました。作品で必要になってくるのって、有名な観光地とかでではなく『生活していて絵になる場所』なんですよね。私のおすすめの場所があったので、その方向に歩くこともありました。でも自分も見たことない場所も結構あって、特にラストシーンの舞台である野球場は私も住んでいた時に行ったことがありませんでした。
ラストが野球場になったのは、「ふれる」が高い位置にあると映えて、かつそこまで映画的に非日常感が強すぎないところから決まりました。スタジオからのロケハンのしやすさもあり、スタッフのみんなも適宜個別でロケハンして写真を撮ってきてくれたのも参考になりました。
――高田馬場はリアルに描かれている一方で、今作では主人公達の島は、架空の伝承などがある関係から実在しないものになっています。部分的な背景モデルはあるのかもしれませんが、舞台地が架空の場合はどのようにインスピレーションを得ているのでしょうか。
作中では島でのドラマはそれほど多くはないのですが、島での学生時代のお話を映画来場者特典のボイスドラマで書きました。島に関してはロケハンができなくて、脚本段階では、自分自身が旅行で行った何ヶ所かの島の景色を想定していました。
島の描写は、こういう島だからこういう建物があるというよりは、島が他と切り離された場所という記号として描いています。そこで生まれ育った男の子達が、人がいっぱいいて感情がいっぱいあるところに出ていく。特に主人公の秋は、上京を望むようなタイプじゃないんですよね。この場所で完結したいと思っていたのに、「ふれる」との出会いが出ていくきっかけになる。最初の場所の意味合いが大きいと思います。
少年から青年が主人公に
――『ふれる。』では、舞台が秩父から高田馬場になっただけでなく、主人公の年代も20歳と、過去三部作と比べて上がっているのも特徴です。なぜそのようになったのでしょうか。
元々秩父三部作、青春三部作からもうちょっと年齢を上げたいよね、という話がまずありました。また、過去作では女の子がメインになる作品が多かったので、男の子が主人公で、男の友情を書いてみたい話も長井監督から出まして、このコンセプトからどんな話にしていくところから入りましたね。
これは三部作でもそうなのですが、長井監督は物語のテーマをあまり決めないタイプなんですよね。「自分が面白いものを作りたい」というピュアな考え方なんです。テーマは最初は特に決めずに、今回どういうことを描いていきたいかを話し合ったら、3人の男の子の共同生活となりました。
そこから考えていくと、この物語はやはりコミュニケーションの話なのかなと思いました。共同生活の難しさはアニメ制作現場など、仕事でもよくある話だと思いながら、物語を書き進めていきました。
――今作では女性キャラクターも登場しますが、いずれも20歳と平均年齢が高めです。三部作より年齢が高めなキャラクターを描く上で、何か意識したことや工夫したことはありましたか。
思春期を書くお仕事をいただくことが多いのですが、私自身は実は思春期を書くことにこだわりがないんですね。その点では、年代が少し高いことへの抵抗はありませんでした。
ただ、年を取ってくると生きることに慣れてくるというか……時間の流れを早く感じる部分があったりとか、そこは物語に反映しているように思います。また、私も20代に友達と共同生活していた時期があったので、その時の難しさを思い出しながら書きました。
友情の描き方では過去作から対比させている点もあります。たとえば『あの花』では、本来は親友だったはずの子たちが、時間がたつことにより友達でもいられなくなる。そんな関係性を描きたいと思いました。逆に『ふれる。』では、逆に、本来だったら友達になれなかったのかもしれない子達が「ふれる」によって親友になることができてしまった。そこから、友達って何なのかに迫っているところもあると思います。
監督経験が活きた脚本
――『まぼろし工場』をはじめ、監督業の経験が脚本業にも活きるようになったと以前の取材でも話していました。今作がその過渡期にあたる作品とのことですが、どのように脚本への向き合い方が変わりましたか。
『ふれる。』のようなオリジナル作品の場合、長井監督の意見を聞くといっても、プロデューサーなどいろいろな人の意見が入ってくるわけなのですが、こうした中で今作ではより長井監督の意見を取り入れようと前向きに思えるようになりました。
私自身監督をやって、前のめりで来てくれる人のありがたさを痛感したんです。ただ単に監督の意見を取り入れるのではなく、自分の意見を出し惜しみせず、力加減しないで全力でぶつけてくれるスタッフに本当に救われました。長井監督と『ふれる。』という作品にとって、そんな自分でいたいなと思いました。
他にも、周りの意見を否定することの体力もすごく感じました。それまでだったら「散々悩んで出したアイデアを3秒で捨てられてしまった……」などと、長井監督に対して憎しみをもったりしたわけですが(笑)。監督も監督で、否定する時はすごく怖いのだということがわかったんです。特に長井監督の場合、迷いなく言い切る部分があるので。なおさらだと思います。
だからこそ『ふれる。』では、私が監督だったら「こんな奴がいたらいいな」って思える脚本家になりたいという思いで臨めた作品だと思います。長井監督のやりたいことを何事もなく美しくお膳立てするような脚本より、いろんな視点からボールをガツガツ当てることで、長井監督が自分自身でやりたいものが見えてくるような、さらけ出せるような脚本が書きたいと思えるようになりました。
――まさに『ふれる。』では、今まで長井監督の考えを真に引き出せた脚本作品になったとも言えるわけですね。
いや、それはわからないです。ただ、気の持ちようは大きく変わりました。監督をやったことで、脚本をもっと楽しく描きたいと思うようになりましたね。『ふれる。』もコミュニケーションがテーマの作品なのですが、この監督への向き合い方の葛藤もリンクした作品なのかもしれません。
(画像は全てアニプレックス提供)
オリジナル長編アニメーション映画『ふれる。』
永瀬 廉 坂東龍汰 前田拳太郎
白石晴香 石見舞菜香
皆川猿時 津田健次郎
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
音楽:横山 克 TeddyLoid 監督助手:森山博幸
プロップデザイン:髙田 晃
美術設定:塩澤良憲 榊枝利行(アートチーム・コンボイ)
美術監督:小柏弥生
色彩設計:中島和子
撮影監督:佐久間悠也
CGディレクター:渡邉啓太(サブリメイション)
編集:西山 茂
音響監督:明田川仁
制作:CloverWorks
YOASOBI「モノトーン」
(Echoes / Sony Music Entertainment (Japan) Inc.)
配給:東宝 アニプレックス
製作幹事:アニプレックス STORY inc.
製作:「ふれる。」製作委員会
(C)2024 FURERU PROJECT
10月4日(金)より、絶賛公開中