矛盾、アンフェア、分断…。祝祭ムードなき、異例の東京五輪ー首都圏無観客
さびしきオリンピックとなりそうだ。23日開幕の東京五輪の観客が、緊急事態宣言が出た東京都ほか首都圏3県の会場では無観客とすることになった。矛盾と混沌、分断…。開幕まで2週間というのに、五輪ならではの祝祭ムードはほとんど、ない。
8日の深夜零時のオンラインによる記者会見。無観客の感想を聞かれると、憔悴した東京五輪パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は白マスク下の顔を少しゆがめた。
「東京大会の観戦を楽しみにしていたファンのみなさん、あるいはアスリートの家族のみなさん、チケットホルダーのみなさんには、その夢が実現できないことに大変心苦しく思っております」
1年前、安倍晋三前首相が大会延期を決める際に強調した「完全な形での開催」はどこへやら、「海外客断念」から「上限1万人」、「上限5千人」、そして、この日の政府の丸川珠代五輪相、東京都の小池百合子知事、大会組織委員会の橋本会長、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長による五者協議の結果、1都3県(神奈川、千葉、埼玉)のすべての会場の無観客が決まった。9日には、北海道も無観客となった。
プロ野球やJリーグに対する政府の対処方針とは違うが、「安全・安心」を心配する国民の世論を考えると、仕方のない苦渋の決断だったのだろう。
問題は、この決断の遅さである。メガ・スポーツイベントのマネジメントの鉄則は、「準備は悲観的に、実施は楽観的に」だろう。つまり、最悪のケースを想定してことにあたるべきなのに、菅首相やバッハ会長らは楽観的に物事を進めてきた。
当初は4月下旬の予定だった観客の有無の判断がなぜもこう、遅れたのか。「開催ありき」で突き進み、専門家の提言を軽視してきたからだろう。医科学的な「安全・安心」の担保というより、利権や政治的な思惑でずるずると先延ばしされてきたように映る。
五輪の目的は「世界平和への貢献」「連帯」である。だが五輪の開催、中止をめぐっては国民の分断を生み、今回の観客の取り扱いでは開催自治体で異なることになった。国民の安全を最優先するのであれば、「全会場無観客」ではないだろうか。
個人的には、スポーツの持つ力を信じている。五輪の魅力もわかっている。だが、酒類提供停止下の東京都の飲食店やホテル業界の人たちが、心から東京五輪を楽しめるはずがない。アンフェアだ。「なぜオリンピックだけ」「オリンピックは、やるのに」との不公平感が消えないだろう。
東京の会場のチケットホルダーの落胆は想像するに余りある。開幕間近にホテルや飛行機をキャンセルすることになった人もいよう。観客ボランティアも仕事がなくなった。観客の応援がなくなることに、アスリートも失望を隠せない。
今回の決定で、大会組織委員会はチケット収入の約900億円の多くを失うことになる。もちろん、支出も縮減されるだろうが、プラス・マイナスの赤字は避けられない。だが、IOCに入る予定の数千億円といわれる放送権料やスポンサー料は予定通りに入り、IOC関係者は「特別枠」として五輪会場のVIP席に入ることになる。
結局、得をするのは、ほとんどIOCだけで、開催国・日本の政府も東京都も大会組織委員会も莫大な損害を被ることとなった。東京五輪に参加するアスリートとてつらかろう、これほど歓迎ムードがなければ、いつも以上の力を発揮することは難しくなる。
ついでにいえば、こんな時になぜ、バッハ会長が広島を訪問するのだろう。平和をアピールしたいのは分かるが、県外移動自粛など、我慢を強いられている国民感情への配慮はないのか。やはり、「特別」なのだろう。
いずれにしろ、不完全、かつ矛盾に満ちた東京五輪は、緊急事態宣言の下で強行開催される。国民のワクチン接種が進み、五輪の選手、関係者、そしてメディアの行動管理の徹底はできるのか。人出の増加は避けられまい。新型コロナの感染拡大を警戒しながら、組織委はどう、「安全・安心の五輪」を実現できるのか。
最悪のケースを考えれば、新型コロナの変異株「デルタ株」の感染拡大による五輪競技打ち切り、東京パラリンピックの中止の危険性もゼロではない。