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KARA復活も可能な“サステナブルなK-POP”──契約トラブルから11年、払拭された「わだかまり」

松谷創一郎ジャーナリスト
ギュリのInstagramより(2022年6月11日)。

相次ぐK-POPグループの復活

 9月19日、K-POPガールズグループ・KARAの復活が発表された。デビュー15周年を記念し、11月にアルバムを発表する。今年6月にInstagramでメンバーが集まったことを報告し、活動再開の期待が高まっていたところだった。

 K-POPでは、昨年から今年にかけてガールズグループの復活が相次いでいる。T-ARA、GFRIENDメンバーによるVIVIZ、音楽フェスにおける一夜限りの2NE1と続き、先月にはKARAと同期の少女時代も5年ぶりに活動を再開したばかりだ。

 それは、K-POPが歴史を積み重ね、絶えず変化と進歩を続けるからこそ生じる現象でもある。KARAの復活、その背景にあるのはなにか──。

日本で大ブレイクした理由

 KARAは、2007年3月に4人組のグループとしてデビューした。同年は2月にWonder Girlsが、8月に少女時代がデビューしており、いわば“2007年組”の一角だ。だが、その道のりは他の2組と比べて緩やかではなかった。

 翌2008年にはメンバーのソンヒが脱退。残されたギュリ、スンヨン、ニコルにハラとジヨンが加わり、5人組となった。ブレイクしたのはこの5人による第2期である。

 2009年に国内でヒットを生んだKARAは、その勢いで翌年に日本へ進出する。2010年8月にデビューシングル「ミスター」を発表し、そのヒップダンスが注目され大ヒットする。翌2011年には、少女時代とともに『NHK 紅白歌合戦』にも出場した。

▲「ミスター(日本語版)」MV(2010年8月)

 現在に続くK-POPのグローバル展開において、KARAが果たした役割は大きい。BoAや東方神起、BIGBANGが整備した道を、さらに拡張させたのがKARAと少女時代という印象だ。

 ただ、このときのKARAの活躍は他のK-POPグループとはやや異なる。日本で突出してヒットしたからだ。K-POPのグローバルヒットはおおむね国内の人気に比例するが、KARAは韓国よりも日本のほうが人気が高かった印象がある。

 その要因は、積極的に日本のアイドルに近づけた活動にある。日本のクリエイターを使った楽曲のローカライズ(現地化)だけでなく、バラエティ番組などテレビでの露出も人気につながった。それが可能だったのは、メンバー全員がかなり日本語が達者だったからだ。これによって、親しみや人柄を重視する日本のアイドルファン層に訴求した。

▲「ジェットコースターラブ」MV(2011月3月)

会社と闘ったKARAメンバー

 しかし、日本で大ブレイクしている最中に大きなトラブルも生じた。

 2011年1月、スンヨン、ニコル、ジヨンの3人が所属プロダクションのDSPメディアに契約解除を申し出た。その待遇があまりにも劣悪だったからだ。3か月ほどで騒動は収まり活動を再開したが、その2年前に生じた東方神起の分裂もあり、当時問題視されていたK-POPの負の側面「奴隷契約」が日本でも注目された。

 当時のK-POPの世界は、いまから思えばずいぶん日本の芸能界と近い状況だった。芸能プロダクションは、経営者を家長とする家族主義的かつ強権的な体制が一般的で、各社が業界における内向きの面子を気にするムラ社会的な雰囲気が漂っていた。

 後にスンヨンは、当時を振り返ってかYouTubeオリジナルのK-POPのドキュメンタリーで以下のように話している。

エージェント(芸能プロダクション)とトラブルがあったら、譲歩すべきときと戦うべきときを知らねばなりません。私たちはエージェントのおかげで有名になりますが、もし健康を損なったり不当な扱いを受けたりしたら、黙っていてはダメだと思います。必要なら戦わないと。

(『K-Pop Evolution』シーズン 1:エピソード 6)

 だが、こうした騒動があってもKARAの人気は落ちなかった。東日本大震災と前後していたこともあってかネガティブなイメージはつかず、むしろこの一件で認知をさらに広げた印象すらあった。『紅白歌合戦』の出場もこの年の暮れのことだ。その後もKARAは順調に活動し、2013年には東京ドームで単独コンサートも開催する。

 しかし、そこから終焉にいたるのも早かった。2014年1月にニコル、4月にジヨンがDSPと契約を満了して脱退。7月に新メンバー・ヨンジを加えてKARAは4人体制で再出発するが、それも長くは続かなかった。2016年2月にギュリ、スンヨン、ハラの3人が契約を終了。活動はそのまま停止し、2019年にはハラが亡くなる悲劇にも見舞われた。

▲「CUPID」MV(2015年5月)

払拭された「わだかまり」

 こうした過去を振り返ると、今回のKARAの復活はかなり意外でもあった。

 韓国や日本では、プロダクション主導で創られたグループはたいていは会社側が商標権を押さえている。よって、退所後に許可なくグループ名を使って活動することは難しい。実際過去には、超新星のメンバーが全員退所後にSUPERNOVAと名前を変えて活動を再開したケースがあった。

 KARAも例外ではないため、活動を再開するためにはDSP主導であることが必要とされる。ただDSPと衝突した過去や、メンバーの4人が他社と契約をしていることもあり、活動再開のハードルは高かったと見られる。

 それでも復活できたのは、今年1月にDSPがRBW社に買収されたからだと考えられる。別会社となったことで、おそらく過去のわだかまりが払拭されたのだろう。

 DSPは創業者のイ・ホヨン氏が長年の闘病の末に2018年に死去し、弱体化が著しい会社でもあった。一方RBWは、ガールズグループ・MAMAMOOを大ヒットさせた実力派プロダクションだ。昨年4月にOH MY GIRLなどのWMエンタを買収し、そして今年DSPを傘下に収め、急激に勢力を拡大させている。

 KARAの復活は、こうしたお膳立てが整った結果でもある。

「魔の7年」の超克

 KARAの復活でひとつ連想するのは、同じ年にデビューした少女時代だ。8月、少女時代もデビュー15周年を記念して5年ぶりに活動を再開した。だが、その復活はかなり意外なものだった。メンバー8人のうち3人は少女時代のプロダクション・SMエンタテインメントを離れていたからだ。

 それを可能としたのは、やはりSMエンタの姿勢にある。過去には、東方神起から分裂したJYJの活動を妨害したとして公正取引委員会から禁止命令を受けたこともあるSMエンタは、寛容な体制に変わったのだ。

 こうしたことは、現在K-POPでは一般化しつつある。TWICEやNiziUなどのJYPエンタが生んだボーイズグループ・GOT7も、2021年にメンバー全員が退所したものの、その後、他プロダクションで名前を変えずに活動を続けている。商標権を持つJYPが、グループ名の使用を許諾しているからだと考えられる。

 ガールズグループ・MAMAMOOも、今年メンバーのひとりが退所したもののグループとしての契約は維持して活動を続けている。それを認めたのは、復活するKARAが活動の拠点とするRBWだ。

 韓国芸能界では、2009年に公正取引委員会が芸能人の契約期間を最長7年とする標準契約書をまとめた。それは「奴隷契約」が問題視された芸能人の権利を守るためでもあったが、7年前後でグループの解散やメンバー脱退が相次ぐ副作用も生んだ。ファンやマスコミはそれを「魔の7年」と呼んで否定的に捉えたが、最近は芸能プロダクション側が寛容になることで、それを超克しつつある。

 このように韓国芸能界はアップデートし続けている。

サステナブルな芸能界へ

 過去に契約をめぐって大きなトラブルが生じたKARAも、このようにK-POPが変化・進歩を続けてきたからこそ可能となった。その志向は、まさに「サステナブル」と評するにふさわしい。

 翻って日本では、つい最近も芸能プロダクション・LIBERAが契約終了前日にもかかわらず所属タレントとの契約解除を発表して波紋を呼んだ。2月にも、老舗のプロダクション・ユマニテが東出昌大との契約終了についてきわめて感情的なプレスリリースを公開して問題視された(「ユマニテ社長の感情だだ漏れ声明に漂う“昭和芸能界しぐさ”」2022年2月16日)。

 それらは、完全に制裁としての「見せしめ」だった。2016年にSMAPの“公開処刑”があれほど批判をされ、2019年にはジャニーズ、吉本興業、AKSで相次いで不祥事が起きても、日本の芸能界がそこからあまりアップデートできていないことが露呈した。

 現在、K-POPで活躍する日本出身者は、筆者が確認する限り60人以上もいる。これは3年前から倍増している。練習生を含めれば、おそらくその10倍以上の若者が渡韓していると推測される。

 それは単にK-POPが音楽的に優れているだけでなく、制度設計や待遇においても韓国芸能界の信頼が高まっているからだ。衝突したら一方的に嫌がらせするような子供じみた日本の芸能界に、だれが行きたいと思うだろうか。

 ジャニーズの男闘呼組の復活など、日本の芸能界にも変化の兆しがないわけではない。しかし、KARAの復活が可能となるような未来には、まだまだほど遠いのかもしれない。

 KARAや少女時代の復活も可能なアップデートし続ける韓国芸能界と、衝突が生じたら制裁されるリスクのある旧態依然な日本芸能界──その距離はさらに開いている。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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