Yahoo!ニュース

棋士は何歳でタイトルを失うのか 伝説の棋士たちのデータから「2050年の藤井聡太」を予想する

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:森田直樹/アフロ)

藤井聡太はいつまでタイトルを獲りつづけるのだろうか

藤井聡太は2020年、将棋タイトルを2つ奪取した。

「棋聖」と「王位」である。どちらも17歳で獲得し、高校生ながら二冠となった。

頼もしいとともに、末恐ろしい大器である。

いっぽうで二年前、2018年12月に竜王の座を奪われ「27年ぶりにタイトルなし」となった羽生善治は、2020年秋に再び「竜王への挑戦者」となったが、1勝4敗で敗れ、竜王への復帰はならなかった。

ここで勝てば「タイトル保持通算100期」となるので注目されていたが、持ち越しとなった。

「50歳を越えての竜王への挑戦者」というポイントでも話題になっていた。

伝説の棋士である羽生善治も50歳となり(2020年の9月に50歳になった)、タイトルに挑戦するとそれだけで話題になる年齢となってきたのである。

将棋にはチャンピオンに適した年齢があるようだ。

かつてあれほど簡単にタイトルを獲得し保持しつづけていた(傍目からはそう見えるくらいの圧倒的な強さを誇っていた)レジェンドであっても、年齢とともに道が険しくなってくるのかと、ちょっと胸に刺さってくる。

「将棋を指す頭脳」は何歳ごろがもっとも力を発揮するのだろうか。

藤井聡太は、いったい、いつごろまで「恐ろしい強さ」を見せてくれるのだろうか。

将棋タイトルの獲得年齢を少し調べてみた。

いまある8大タイトルは18歳と28歳と30歳と36歳が持っている

現在、将棋界のタイトルは8つある。

もっとも新しいのは2017年にタイトルとなった「叡王」である。

残りを新しい順に並べると「王座」1985年、「棋王」1975年、「棋聖」1962年、「王位」1960年、「王将」1951年、「九段」(のち十段、1988年より竜王)1950年、「名人」1935年となる。

現在のタイトル保持者を並べてみる。(年齢は2021年1月1日時点)

名人・渡辺明(36歳)

竜王・豊島将之(30歳)

王位・藤井聡太(18歳)

王座・永瀬拓矢(28歳)

棋王・渡辺明

王将・渡辺明

棋聖・藤井聡太

叡王・豊島将之

渡辺明が名人・棋王・王将の三冠、豊島将之が竜王・叡王の二冠、藤井聡太も王位・棋聖の二冠である。

永瀬拓矢は9月までは叡王を持つ二冠であった。

2020年はこの四人を中心に展開していた。

藤井聡太が異様に若く、永瀬も28,豊島も30だから若い。

渡辺明だけ少し上だが、それでもまだ36歳である。

この年齢だけを見ると、プロ野球選手のタイトル獲得者とあまり年齢層が変わらない。

20歳から16年間タイトルを保持しつづける渡辺明

渡辺明は2004年の12月、20歳のときに竜王となり、そのまま29歳まで「竜王」でありつづけた。また同時に2013年3月に「棋王」となりそのまま続けて現在も棋王である。

つまり渡辺明は20歳でタイトルを手中にし、そのまま16年に渡り36歳のいままでずっと何かしらのタイトルを保持している。

ときに二冠、三冠となり、2021年を迎えた時点では「名人」「棋王」「王将」の三冠である。

いまもっとも脂ののった第一人者である。

“レジェンド”羽生善治のタイトル人生は19歳で始まった

では平成のレジェンド・羽生善治のタイトルを見てみる。

15歳でプロデビューして、1989年12月、19歳で「竜王」を奪取。

19歳でのタイトル奪取は当時の最年少記録である。

翌年に一度タイトルを手放すが、1991年3月、20歳のときに「棋王」タイトルを奪う。

そこから18年間、2018年12月まで何かしらのタイトルを保持しつづけた。

20歳から48歳までである。

タイトル七冠を独占したのは1996年2月である。25歳のときだ。

7冠保持は5か月だけだったが、広く注目を浴びた大事件でもあった。

また羽生善治は40歳代になっても圧倒的に強く、43歳から45歳は「名人・王座・王位・棋聖」の四冠でもあった。

20歳のときから始まったその強さは、45歳まで圧倒的な強さを保ち、48歳までタイトルを持ち続けていた。

レジェンド羽生善治のタイトル人生は20歳から始まり、48歳でとりあえず休止状態になっている。

50代でどのような活躍を見せてくれるのか、息をひそめて見守るばかりだ。

明治生まれの初代「実力名人」木村義雄は47歳で名人を陥落して引退

歴代の偉大な棋士の活躍年齢を見てみる。

かつて名誉称号だった「名人」は、昭和12年から実際に対戦して勝ち抜いたものに与えられる「実力名人」となった。

その初代の実力制の名人は、木村義雄である。

1937年(昭和12年)に初代の名人位に就いたときは満32歳であった。

一度、1947年に塚田正夫に奪取されるが、1949年44歳のときに再び奪い返し、1952年まで名人位にあった。47歳である。

木村義雄のタイトルは32歳から始まり、47歳で終わった。

32歳以前はタイトルという概念そのものが存在しなかったので、いつからというのは彼に限ってあまり意味がないのだが、とにかく47歳まではトップであった。

名人を陥落して、まもなく引退した。

まさに怪物的活躍を見せた大山康晴の50代の巻き返し

木村義雄から名人を奪ったのは大山康晴である。

昭和の将棋界のトップに君臨していた王者で、その戦績を見ると、まさに怪物にしか見えない。

彼がタイトルを取ったのは1950年の「九段戦」である。いまの竜王戦につながるタイトルで、ときに27歳であった。

大山は大正生まれで、大正生まれはほぼ全世代、世界戦争への駆り出された。

大山も1944年の21歳ときから翌年の終戦まで召集されている。それがなければいろんなときの年齢が違っていたのだろうが、いまさら何か言っても詮ないことである。

29歳のときに「名人」と「王将」の二冠となる。

そのあと升田幸三にどちらも奪われ無冠となるも、すぐに35歳のときに王将を奪還、やがて三冠をすべて独占した。

そのまま、「王位」が創設されると四冠、「棋聖」が創設されると五冠となる。

すさまじい活躍である。

35歳から47歳まで、5タイトルのうち3冠以上を保持つづけていた。

49歳のとき、タイトルをすべて失い、無冠となる。羽生善治の48歳無冠と年齢が近い。

ただ、大山康晴の怪物たるゆえんは、50代にある。

無冠だったのは49歳の一年だけ、1974年に50歳にして「十段」位を獲得した。

「棋聖」にも返り咲き二冠、54歳までタイトルを維持する。

いったん失ったあと、56歳でふたたび「王将」のタイトルを奪い、二度防衛する。

1983年3月、60歳になる10日前までタイトル保持者であった。

大山康晴のタイトルは、29歳から始まり、59歳まで続いた。

とくに強かったのは35歳から47歳である。

大山康晴の好敵手であった升田幸三の三十代の将棋

1957年、大山康晴を無冠に追いやったのは升田幸三である。

そのまま史上初の「三冠」となった。そのときの升田幸三は39歳。大山の5歳上だった。

彼が最初のタイトル「王将」を獲得したのは33歳のときである。獲得後、新聞社と揉めて一時剥奪されるがやがて撤回され、初代「王将」となった。

40歳になってすぐに王将位から陥落、41歳のときに無冠になった。

その後、大山康晴からタイトルを奪うことはできなかった。

升田幸三がタイトルを最初に獲ったのは33歳、すべて失ったのは41歳であった。

中原誠は二十代で活躍した

大山康晴に代わって将棋界の第一人者になったのは中原誠である。

20歳で「棋聖」を獲得。

23歳のときに「棋聖」「十段」の二冠となり、24歳で「名人」も加え三冠となる。

その後、20代後半から30代にかけて複数のタイトルを保持しつづける。

とくに30歳のとき1978年2月から一年間は「五冠独占」を成し遂げる。

35歳と40歳のときに数ヶ月だけ無冠になったことはあるが、すぐに奪回している。

45歳まで「名人」タイトルを保持していた。

中原誠は20歳からタイトルを保持し、45歳まで持っていた。

「神武以来の天才だった加藤一二三」と米長邦雄

「神武このかたの天才」と呼ばれた加藤一二三は29歳で「十段」を獲った。

39歳のときは「棋王」と「王将」の二冠、また42歳のときは「名人」と「十段」の2つのタイトルを獲得し、45歳まではタイトル保持者であった。

加藤一二三がタイトルを持っていたのは29歳から45歳である。

米長邦雄は1943年生まれの棋士。加藤一二三の3歳下、中原誠の4歳上である。

タイトルを奪取したのは30歳。何度か無冠の時代があるが、40歳で「棋王・王将・棋聖」の三冠、翌年41歳でさらに竜王にもなって四冠となった。

その後、四冠とも失うが、49歳で初の「名人」タイトルを獲り、51歳まで「名人」であった。

米長邦雄は30歳からタイトルを獲り、51歳まで保持していた。

現役棋士の谷川浩司・森内俊之・佐藤康光のタイトル時代

さて、以下は現役の棋士である(ゆえにこの後、タイトル奪還の可能性は秘めている)。

1983年に21歳で「名人」になった谷川浩司は多くのタイトルを獲っている。

25歳のときに「王位」を獲り33歳までタイトルを獲りつづけた。

一時は四冠にもなっている。

その後30代で何度か無冠になるが、41歳のときに「王位」「棋王」の二冠となる。

そして42歳でタイトルを失い、その後、取り戻せていない。8歳下に羽生善治がいたことが彼の将棋人生にさまざまな影響を与えたようである。

谷川浩司がタイトル保持者だった最初は21歳、最後は42歳となっている。

森内俊之は羽生と同い年である。

彼は31歳で名人となり、33歳のときには三冠、37歳まではタイトルを持ち続けた。

3年の無冠の時代を越え、40歳から「名人」43歳では「名人・竜王の二冠」となる。

44歳までタイトルは保持している。

森内俊之は31歳から44歳。

佐藤康光は羽生・森内の1つ上。

24歳のときに「竜王」を獲る。28歳のときには「名人」。32歳のときに「王将・棋聖」の二冠となった。37歳では「棋聖・棋王」の二冠。39歳でタイトルを手放すが、また42歳で「王将」、43歳までタイトルを保持していた。

佐藤康光は24歳か43歳まで。

タイトルは三十代のものだが、差が出るのはその前後。

タイトルを最初に獲った年齢が若い棋士から並べてみる。

最初に獲った年齢と、最後にタイトルを手放した年齢を併記する。(多くの棋士はあいまに無冠の時期があるが、最初と最後の年齢だけを記す)。

中原誠は20歳から45歳(絶頂期は25歳から33歳、あと37歳および42歳)

羽生善治がいまのところ20歳から48歳(絶頂期は25歳から45歳。とくに25歳)

谷川浩司はいまのところ21歳から42歳(絶頂期は26歳から30歳)。

佐藤康光はいまのところ24歳で始まり43歳(絶頂期は32歳と37歳)

加藤一二三が29歳から45歳(絶頂期は39歳と42歳)

大山康晴は29歳から59歳(絶頂期はは35歳から47歳)

米長邦雄は30歳から51歳(絶頂期はは39歳から41歳)

森内俊之はいまのところ31歳から44歳(絶頂期は33歳から34歳、あと43歳)

木村義雄は32歳から47歳まで

升田幸三は33歳、から41歳まで(絶頂期は39歳から40歳)

(絶頂期はおもに複数のタイトルを保持しているときを指している)。

30代はみんなタイトルにからんでいる。30代が重要な時期だというのがわかる。

30代は将棋を指す頭脳がもっとも壮んに働く時期なのだろう。

ただ、それだけではなく、並べてみると別の核が見えてくる。

ひとつは「26歳から30歳」という20代後半の核。

もうひとつは「39歳から45歳」という40代前半の核。

そのどちらかで人から抜きん出ると歴史に名を残す人になり、どちらも活躍できれば、おそらく長く語られる伝説となる。羽生善治がそれである。

大山康晴もおそらく似たようなパワーを保持しながらも20代に戦争に遭い、そのぶん50代に異様な活躍を見せたのではないだろうか。

見えてくる「2030年の渡辺明」と「2050年の藤井聡太」

渡辺明は2020年で36歳。もっとも壮んな時期である。

これから10年以上、第一線で戦いつづけるのだろう。

藤井聡太はまだ十代である。

つまり20年たってもまだ三十代。もっとも元気な時期である。それが2040年。

さらに10年、四十代も藤井聡太は邁進するだろう。何となくそう想像してしまう。

「2050年の藤井聡太」は、飄々としながらもまだまだ若手を退け、鋭さをもって大きな壁となって恐れられている。

ふと、そうではないか、とおもっている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事