ある日、夫が“消えた” 〜嫌がらせは妻や子供にまで!弁護士が拘束される中国のひどい真相
幼稚園に行けなくされた息子
「散歩に行っても大勢の人が尾行してきます。夫が拘束されてから、生活はすっかり変わってしまいました」
2017年の夏。妻の李文足(33歳、以下敬称略)は、心身ともに疲れ切っていた。
弁護士の夫、王全璋(42歳)は、突然、当局に身柄拘束されて、失踪した。夫の安否さえ分からず、二年もの不安な日々を送る中で、残された自分たちも、治安当局から容赦のない圧力を受けていたからだ。
李文足が特に、心を痛めていたのは、当時すでに4歳になった息子のことだ。
「息子は、去年、幼稚園に通う年齢になりました。二つの幼稚園と契約を結んで、お金まで払ったのですが、警察の圧力がかかり、息子の入園を拒否されました。後で分かったのですが、私が住んでいる地域の幼稚園や初等教育の機関は、『私たちの息子を受け入れてはいけない』と指示されていたのです」
こうした日常生活へ加えられる圧力だけではなかった。中国が国際的に注目を浴びるような大きなイベントを抱える時には、圧力はさらに強まった。
自宅前に居座る集団
その年の秋、2017年11月。
アメリカのトランプ大統領が、就任後初めて中国を訪問した。その際、李文足の自宅の扉の前に、十人ほどの集団が居座った。中には、知った治安要員の姿もある。その他は、おそらく動員された住民たちだろう。
李文足が、外出しようとすると、その者たちが邪魔する。スキンヘッドにあご髭を生やした太った男が、李文足を口汚く罵った。まるでチンピラだ。
「あなたたちは何の権限があって、私の自由を制限するの!」
叫んでも騒いでも、無駄だった。この状況は三日続き、李文足はその間、自宅に閉じ込められていたという。
息子の留学を阻止された母親弁護士
本来当事者ではないはずの家族さえ容赦しないのは、中国当局の常套手段だ。人権派として標的にされた弁護士たちは、その家族も巻き込まれた。中でも露骨に家族を利用されたのが、李文足の夫、王全璋と同じ法律事務所に所属する人権派弁護士、王宇(47歳)である。
王宇も2015年7月9日に身柄拘束された。
その日は、当時16歳の息子が、オーストラリアへ留学に向かうはずの日だった。夫の包龍軍(48歳)も、息子に付き添って渡豪する予定だった。包龍軍は弁護士ではないが、人権活動家として知られる。
しかし、二人は出国直前に北京の空港で身柄拘束される。包龍軍の目には、その時の様子が焼き付いている。
「学校に行かなければならないので、子供だけは止めないでと言っても聞いてもらえませんでした。両手を掲げられ、連れ出されて、振り向くと息子も同じように連れて行かれるのが見えました」
一方、王宇は、自宅で二人の出国の知らせを待っていた。しかし、その夜やって来たのは、息子からの知らせではなく、多数の警察官だった。警察は、ドリルを使ってドアを開け、自宅に踏み込んだ。王宇は、後ろ手に手錠をかけられた上、頭に袋を被せられて連行されたという。
テレビで過ちを認めれば...
話が逸れるが、弁護士の一斉拘束がなぜ7月9日だったと思うか?と尋ねると、複数の人が、この王宇の息子が留学するタイミングだったのではないか、と推測する。元々当局は、人権派弁護士たちに照準を当てていた。そこに王宇の息子の出国を封じる必要が生じ、たまたま引き金になっただけという見立てである。
王宇の容疑は国家政権転覆罪。一年余りの勾留の後、保釈された。王宇は保釈後に中国メディアのインタビューに応じ、その様子は国営中国中央テレビで流された。
「弁護士として法律を遵守し、正しい方向をはっきりと認識し、他人に利用されることがないようにします」
王宇は、そのインタビューの中で、自身の活動を反省し、過ちを認めた。
しかし王宇はその後、私の取材に対しては、自身の弁護活動に間違いはなかったと話している。
保釈から一年以上経った2017年12月である。
「私の弁護の原則は当事者の合法的権利を守ることです。しかも、中国の法律に従い弁護をしていました」
自らの弁護活動は、中国当局が問う国家政権転覆罪には当たらない。人権派の弁護士としての矜持である。ならば王宇は、なぜテレビの中では、自らの信念に背き、誤りを認めたのか。
お前が捕まっている限り息子は留学できないと...
「一人の母として、大切なのは息子です。『お前が捕まっている限り、子供は留学に行けない』と言われました。私は妥協を選びました。当初から、テレビに出て、罪を認めるように言われ、ずっと拒んできたのですが…」
その結果、保釈は認められた。
ただ、息子への圧力はその後も続いた。
王宇の息子は、大の日本好きである。自習して日本語も話せるという。その息子が去年11月、日本に旅行しようとした。いざ出国、という時、空港にいた警察官が、目の前で息子のパスポートの角を切り落とし、使えなくしたという。
「お前の出国は国の安全を脅かす可能性がある。だから出国を制限する、と息子は言われたそうです」
監視の中、ついに息子が留学へ
今年1月、北京首都国際空港。
冬の冷気が流れ込む出発ロビーに、王宇夫妻と息子の姿があった。身柄拘束から二年半という時間を経て、息子の出国がようやく認められたのだ。留学先はオーストラリアという。私は離れた場所からその様子をうかがった。
カンタス航空のカウンターでチェックインする息子を見守る王宇と包龍軍の周りを、治安要員が取り囲んでいた。
治安要員の監視は、出国の最後の瞬間まで続いた。それでも、王宇が白い歯を見せて笑っているのが、遠目からでも確認できた。