Yahoo!ニュース

ある日、夫が“消えた”〜あなたの妻になれて誇りに思う。弁護士を拘束する中国のひどい真相

宮崎紀秀ジャーナリスト
「大勢に囲まれて侮辱され、自由を制限される」。いつもは気丈な李文足が涙を流した

弁護士たちへの拷問が明るみに

「拘束された弁護士たちは、拷問を受けていたことがわかりました。皆、何かの薬を飲まされたと言っています。殴られるのはよくあり、長時間立たされたり、手錠をはめられたりもしていたそうです。

 情報が全くないので、夫の健康状態が一番心配です。皆、拷問を受けているのに、夫だけが元気だなんてありえないでしょうし」

「夫だけ健康なんてありえない」。李文足は不安を口にした(2017年8月北京)
「夫だけ健康なんてありえない」。李文足は不安を口にした(2017年8月北京)

 三年前に中国全土で起きた弁護士らの一斉拘束。一年を経過したころから、一部の弁護士に保釈が認められ始めた。

 同時に、彼らが拘置中に受けた拷問の様子が明らかになり、夫の帰りを待つ李文足(33歳、以下敬称略)を一層不安にさせた。

 夫、王全璋(42歳)は弁護士。中国で違法とされる宗教の信者の弁護をも引き受けるなど、庶民を守るためには、当局との対立も恐れなかった。

 その王全璋は、2015年7月10日から音信不通となった。当局が、王のような人権派の弁護士や活動家を中国全土で一斉に身柄拘束したのだ。ところが、王全璋だけは、家族が依頼した弁護士でさえ、何故か接見が許可されなかった。

 今や、生きているのどうかさえ誰にも分からなかった。

夫、王全璋と息子。失踪前の夫が写る最後の一枚(2015年6月)
夫、王全璋と息子。失踪前の夫が写る最後の一枚(2015年6月)

夫の失踪を訴えるが...

 今年4月。王全璋の妻、李文足は、夫の失踪から1000日に合わせて行動に出た。夫がいるとされる天津の留置所まで、北京から130キロ以上ある道のりを踏破するという。しかし、出発から数日後、治安要員に北京まで連れ戻されてしまう。

 そして、再び自宅に閉じ込められてしまった。

 その時の映像がある。

李文足の自宅に通じる入り口を塞ぐ群衆(今年4月 北京)
李文足の自宅に通じる入り口を塞ぐ群衆(今年4月 北京)

 李文足の家に通じるマンションの階段の入り口には、身元不明の中年女性らが複数、立ちはだかっている。やはり弁護士の夫が拘束され、これまで共に行動をしてきた王峭嶺(46歳)らが、李文足を訪ねようとすると、入り口を塞いだ集団は、それを妨害し、歓声を上げたりしている。

 王峭嶺がその様子を証拠に残そうと、スマホで撮影しようとすると、女らが王に近づき、罵りながらそのスマホを払い落とそうとする。別の男は、突き飛ばさん勢いで王に迫り、「俺を撮るな!聞こえたか!」などと激しい口調で怒鳴りつけた。

 この男は、常に李文足の周りに付きまとっている治安要員だ。

友人の王峭嶺は、男に携帯を掴まれ撮影を阻止された(今年4月 北京)
友人の王峭嶺は、男に携帯を掴まれ撮影を阻止された(今年4月 北京)

 一方、李文足の自宅では、入り口のドアが外から押さえつけられていた。

「何でドアを押すの。これはウチのドアよ!」

 李はそう叫びながら、ドアを押し開けて外に出ようとしたが、ダメだった。少しだけ開いたドアから、外からドアを押し返す男の姿が見えたが、力負けしてしまった。

 しかたなく李文足は、自宅から窓の外の様子をうかがっていたが、階下では、混乱が次第にエスカレートしていた。自分を心配し、様子を見にきてくれた王峭嶺ら仲間たちが、暴徒のようになった群衆に、掴みかかられて服をひっぱられたり、殴られたりする様子が見えた。

 仲間に暴力を振るい、自分を隔離しようとしている群衆は、恐らく当局が動員した近所の住民たちだ。

 李文足は思わず、階下に向かって絶叫した。

李文足は自宅から窓の外に向かって叫んだ(今年4月 北京)
李文足は自宅から窓の外に向かって叫んだ(今年4月 北京)

「私の夫は弁護士よ!庶民を助けるために、裁判を起こしているの!それなのに捕まって、1000日たっても、生きているか死んでいるかもわからない。私が夫を探して何が悪いの!あなたたちには良心のかけらもないの!」

 その叫びが、何人の耳に届いたかは分からなかった。

李文足が口にしたのは、感謝の言葉

 この騒動から三か月が過ぎた今年7月8日。

 北京市内にあるEU・ヨーロッパ連合の代表部に李文足の姿があった。中国の人権状況に深い憂慮を示すEUは、翌日が、弁護士の一斉拘束事件からちょうど三年となるのに合わせ、簡単なイベントを開いた。そこには、人権問題に深く関わる人たちが招かれた。

 中国の人権状況に関心を持ちながら、李文足の名を知らない人は、今やいないといっても過言ではない。

「自分がこんなに多くの人の前で話すなんて、思ったこともありませんでした」

 李文足は、促されて集まった人々の前に立った。短いスピーチを感謝の言葉で締めくくり、深く頭を下げた。

「今まで、注目し応援してくださり、ありがとうございます」

EUのイベントに集まった人を前に李文足は感謝を述べた(今年7月 北京)
EUのイベントに集まった人を前に李文足は感謝を述べた(今年7月 北京)

 李文足は、事件から三周年を迎えるにあたり、王全璋の問題の解決に尽力しながら、その後、身柄拘束され勾留が続く弁護士などを訪ね歩いた。一週間ほどかけて服などをさし入れたという。李文足はそれを「感謝の旅」と呼んだ。

 EUのイベントの合間に、李文足に今、何を考えているか尋ねた。

「国際社会、海外メディアが関心を持ち続けてくれなければ、709事件の今日はありません。今、一番強く思っているのは、私たちに注目してくれる全ての人に感謝の気持ちを伝えたい」

どんな困難もおそれない

 夫を待ち続けて、三年。その月日を経てたどり着いたのは、周囲への気遣いと感謝の言葉だ。泣き虫だった李文足は、とても強くなった。その強さに改めて頭が下がる思いだった。

 その夜、李文足は、夫、王全璋にあてた手紙をSNSに載せた。

李文足は、夫・王全璋にあてた手紙をSNSにのせた
李文足は、夫・王全璋にあてた手紙をSNSにのせた

「結婚して6年。離れて3年になります」

「あなたのために、私はどんな困難も恐れません」

「私のために、どうか生きていてください」

夫は生きている!?

 この四日後。李文足に重大な知らせが届いた。

 ある弁護士が王全璋と面会できたというのだ。健康や精神状態に、問題はないという。まだ半信半疑だが、少なくとも夫は生きている。

 今年9月、李文足を自宅に訪ねた際、確かに以前よりも明るい表情をしていたと思う。

 もし夫に面会できたら?

「家族はみんな元気よ。ご両親も、子どもも。だから、あなたは自分の身体を大事にして、と言いたいです」

 王全璋だけ戻って来られない理由について、妻の李文足自身は、どう考えているのだろうか。

「多分、夫は今まで妥協していないのだと思います。この事件にはもともと罪がなく、人為的に作り上げた重大なえん罪事件ですから」

 これまでの日々を振り返り、今も受け続けている様々な圧力に話が及んだ時、李文足の大きな瞳からは涙が溢れた。

「大勢の人に囲まれ侮辱される」。李文足は涙を流した(今年9月 北京)
「大勢の人に囲まれ侮辱される」。李文足は涙を流した(今年9月 北京)

「政府によって何年も行方不明になった夫を、妻として探すことが何の法を犯しているというのですか。法を犯してもいないのに、大勢の人に囲まれて侮辱され、自由を制限されるなんて」

 李文足は、泣いた。しかしその圧力に屈することなく戦い続けている。自分は強くもないし勇気もないが、妻として何もしないわけにはいかないのだ、という。

 この三年間は、苦しいプロセスだったが、今は一つの成長期間でもあると考えられるようになった。

 もし夫が妥協を選び、テレビで罪を認めたとしても、夫を支持する。もし夫が妥協を拒み更に拘束が続いたとしても、それは自分にとっては辛いが、夫を支持する。

「王全璋の妻になれたことを誇りに思う」(今年9月 北京)
「王全璋の妻になれたことを誇りに思う」(今年9月 北京)

 ただ、どんなことがあっても生きていて欲しい。李文足はそう願っている。

「今の中国の劣悪な環境で、夫は他の人が真似できないことをやったのです。私は妻になれたことを、本当に誇りに思っています」

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

宮崎紀秀の最近の記事