アフガニスタンは、世界、そしてシリアにとっての教訓:シリア高官の発言から見えるもの
アフガニスタンで8月16日、ターリバーンが首都カーブルを制圧し、全権を掌握した。2001年の9・11事件によるヒステリー状態のなかで始められた「テロとの戦い」の最初の標的となり、政権の座を追われてから20年を経た復権であり、ジョー・バイデン米大統領が8月31日までに同国から駐留米軍を撤退させると正式に発表(7月8日)してから49日後のことである。
イラクとシリアの駐留米軍
中東と呼ばれる地域で、米国は、アフガニスタン以外にもイラクとに「テロとの戦い」を口実に部隊を駐留させている。このうちイラクをめぐって、バイデン大統領は7月26日、同国に対する軍事教練や助言は継続するとしつつも、年末までにイスラーム国に対する戦闘任務を終了すると表明した。
一方、シリアについては、反体制系サイトのジスル・プレスが8月3日、複数の独自筋からの情報として、撤退の動きが見られると伝えた(「アメリカはクルド民族主義勢力の支配下にあるシリア北東部からも撤退、代わってUAE軍が展開か?」を参照)。だが、『ニューズウィーク』は8月5日、米政府高官(匿名)の話として、撤退の可能性を否定した。
シリア外務副大臣の批判
こうしたなか、シリアのバッシャール・ジャアファリー外務在外居住者副大臣(外務副大臣)が8月17日、同国高官として初めてターリバーンによる政権掌握に言及した。
日刊紙『ワタン』に対して行ったその発言内容は以下の通りである。
駐留の根拠としての「テロとの戦い」
ここでいう「シリア国内の当事者」とは、クルド民族主義勢力の民主統一党(PYD)を指している。トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルディスタン労働者党(PKK)の系譜を汲むこの組織を、米国はイスラーム国に対する「テロとの戦い」における有志連合の「協力部隊」(partner forces)として全面支援してきた(より厳密に言うと、PYDが創設した民兵組織の人民防衛隊(YPG)を主体とする武装連合体のシリア民主軍を支援した)。
その過程で、米国は、英国やフランスとともに各所に部隊を駐留させた。イスラーム国の弱体化に伴い、ドナルド・トランプ前大統領は2度にわたって駐留部隊の撤退を決定したが、これを撤回し、駐留を継続させた。この過程で、イスラーム国との「テロとの戦い」に加えて、油田防衛が新たな駐留の口実として強調されるようになった。
米国の介入は、シリア国内でイスラーム国が弱体化することに少なからず貢献した。シリア政府、ロシア、イランといった国々によるより大規模で徹底した「テロとの戦い」で、イスラーム国を挟撃する役割を果たしたからである。
『ニューズウィーク』(8月5日付)が伝えた米政府高官の以下のような言葉は、こうした事実を踏まえたものだと言える。
米国の主たる目的
だが、米国の軍事的プレゼンスが「テロとの戦い」を貫徹すること以上に、シリア政府による全土掌握、ロシア、イランの勢力拡大を阻止すること、あるいは最大の同盟国であるイスラエルの安全保障上の脅威を軽減することを主たる目的としているのは明白である。
そのことは、PYDが主導し、ユーフラテス川以東地域を実効支配している自治政体の北・東シリア自治局が、米国の軍事的後ろ盾をなくしては、自治を維持することも、シリア政府に対峙することもできないことからも明らかである。米国が撤退の意思を示すたびに、PYDは「シリア国旗を掲げる」と表明するなどして、残留を求めているからである。
人権と相容れない分断と占領
バイデン大統領は8月16日のホワイト・ハウスでの演説で次のように述べた。
シリアへの干渉も、そもそもは人道を根拠として始められた。すなわち、2011年「アラブの春」に触発されてシリア国内で発生した抗議デモを政府が弾圧したことを米国が非難したことが発端だった。
だが、それから10年が経った現在、シリアの人権状況に対する米国の批判には何らの重みも真剣さもない。こうした偽りの姿勢こそが、人権や人道といった理念とは相容れない分断の助長や占領の継続を裏打ちしているのである。