ヒクソン・グレイシー戦の直前に、なぜ高田延彦は記者会見をしたのか?【『PRIDE.1』の謎】
「やれって言われたから」
1997年10月11日、東京ドーム『PRIDE.1』から25年近くが経つ。
忘れ難き、ヒクソン・グレイシーvs.高田延彦。ヒクソンが1ラウンド4分47秒、腕ひしぎ十字固めを決め完勝─。
高田の完敗で「プロレス最強幻想」が崩れ、日本総合格闘技界は隆盛に向け大きく動き出した歴史的一戦だ。
先日、懐かしくもあり新鮮な映像を目にした。
昨年秋、YouTubeに高田延彦がチャンネルを開設。そこに『PRIDE.1』当日、試合直前の高田を追った映像がアップされていた。
高田陣営が、独自にカメラを入れ撮ったものでバックステージの様子が記録されている。
「死刑台に向かうようだった」
そう高田が振り返る通り、どんよりとした空気が画面から漂ってくる。
初めてみるバックステージの様子の数々。当時の緊迫感が甦り、心を動かされた。
観ながら、「アッ!」と思うシーンがあった。
あれは何だったんだろう、と。
会場入りした高田が、ヒクソン戦を数時間後に控えて記者会見を行っていたのだ。すでにリング上では前座試合が始まっている。そんな時間帯にメインエベンターが、メディアの前に姿を現すことは、まずあり得ない。なぜ、あの会見は開かれたのか?
私は、その記者会見に立ち会っていない。
『スカイパーフェクTV!』PPVのアンダーカードの解説でリングサイドの放送席に座っていた。だから、会見が開かれたのを知ったのはイベント終了直後だった。
その時、会見内容が記されたペーパーに目を通した。
特別なことが発表されたわけではない。
映像にあるようにメディアとの質疑応答は、次のようなものだ。
──いまの率直な感想は?
高田 ドキドキしています。あとは待っている時間が嫌なんで、早くリングに上がりたいなという心境です。
──現在の体重は?
高田 90ちょい位じゃないですか。最近、量ってないんでわからないですけど。
──今日は、どういう練習をしてきたんですか?
高田 何もやっていないです。
そして、こんなやり取りもあった。
──試合の前に会見を開かれた理由は?
高田 いやぁ、やれって言われたから。好き好んでやらないでしょ。
創成期ならではの珍事
何のための記者会見だったのか?
ずっと忘れていたが映像を見て、やたらと気になった。
『PRIDE.1』から、もう四半世紀が経とうとしている。当時、大会を主催したKRSにいて、今日まで格闘技界に関わり続けている人は少なくなったが、いないわけでもない。
『PRIDE.1』から格闘技に関わり、現在は『RIZIN』広報の笹原圭一氏に尋ねてみた。
「あの会見は何だったんだろう? 誰が高田さんに会見に出るように言ったのだろう」と。
「ありえないですよね、試合直前に」
懐かしそうに笑みを浮かべながら、彼は言った。
「もう、いまとなっては正確にはわかりません。でも多分、(高田に要請したのは)メディアファクトリーじゃないですか。あの試合の前、高田さんの露出は少なかったですよね。映像素材が足らなかったからだと思いますよ」
納得のいく答えだった。
まだブルーレイはおろかDVDも主流ではなかった時代。ビデオを製作し販売する権利を有していたのは、KRSに参加していた出版社のメディアファクトリ―。
試合の1カ月前から山籠もりをするヒクソンは、その間にメディアの取材を受けるなどイベントのプロモーションにも積極的に協力。
対して、ナーバスになっていた高田は、取材を避けることが多かった。ドキュメンタリー的にビデオを製作したいメディアファクトリーは、少しでも多くの高田の映像素材を求めていたのだ。
メディアファクトリーの現場担当者は、すでに他界していて確認のしようがないが、私も記者会見が開かれた理由は、それ以外にないように思う。
37年間、格闘技の現場を取材し続けてきたが、試合直前に記者会見が開かれた事象をほかに知らない。おそらく、『PRIDE.1』での高田延彦だけだろう。
総合格闘技創成期ならではの珍事──。