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異なる文脈でコメント引用 朝日新聞陳謝 新作歌舞伎の記事で関係者「絶望感味わった」

楊井人文弁護士

【ファクトチェック】朝日新聞は5月15日付朝刊で「新作歌舞伎 さらに進化」と題した記事を掲載した。この中で「歌舞伎大向弥生会」幹事の堀越一寿さんが、新作歌舞伎に疑問の声をもつ人としてコメントが引用されていたが、将来への期待を込めた意図と異なる文脈で配置されたとして抗議。同社が堀越さん本人におわびしていたことがわかった。同社は訂正は見送り、「今後の紙面づくりに生かしていく」としている。

記事は、新作歌舞伎に現代劇の作家や映画監督など異ジャンルの書き手が進出し、流行を取り入れて多様化していること紹介したうえで、2人の識者のコメントを掲載。「歌舞伎うたう理由が必要」との見出しの下、「新作歌舞伎に疑問の声も」という書き出しに続けて、堀越さんのコメントが引用されていた。

■「歌舞伎うたう理由が必要」

新作歌舞伎に疑問の声も。公演で屋号の掛け声をかける「歌舞伎大向弥生会」の堀越一寿幹事(47)は「演出が行き過ぎて現代劇と変わらなくなったり、イベント的になったりする恐れもある。鍛錬した歌舞伎俳優の魅力を生かした作品であってほしい」と話す。

出典:朝日新聞2017年5月15日付朝刊「新作歌舞伎、さらに進化 映画監督らが挑戦 マンガ・絵本が原作」

この記事を一般読者が読んだ場合、堀越さんはこれまで行われてきた新作歌舞伎に疑問を抱いている人物であるとの印象を与えた可能性が高い。しかし、実際は、堀越さんはこれまでの新作歌舞伎の作品について肯定的なコメントしかしていなかった。引用されたのは新作歌舞伎への疑問ではなく、今後の期待について語った言葉だった。

堀越さんはブログで、電話取材に答えた際の文脈とは異なる形で発言を使用されたと抗議。取材経緯を詳細に明らかにした(ブログは複数回修正されている)。

それによると、堀越さんは記者の電話取材で、これまでの新作歌舞伎の作品について「どれも面白く、また役者の個性を活かしてうまく書けている」などと高く評価し、否定的なコメントはしていなかったという。今後の期待や心配について聞かれた際には「これまでの新作では大丈夫だったと思うが、万が一あまりに演出主導になったり、イベント的になってしまうと歌舞伎でやる意味が薄れてしまうと思う。歌舞伎役者の身体性は大きな魅力なので、ぜひ鍛錬を積んできた歌舞伎役者の魅力を活かす作品を作っていってほしい」とコメント。その後、記者から最後のコメントを使いたいと確認メールがあり、了承したという。

記事掲載直後、堀越さんは担当記者にメールで遺憾の意を伝えたが返事がなく、読者センターに抗議の連絡を入れた。すると、同社の文化くらし報道部デスクより連絡があり、堀越さんの意図と異なる文脈でコメントを配置したことについておわびの言葉があったという。

日本報道検証機構は朝日新聞社に対し、堀越さんのブログで明らかにした経緯について事実認識に齟齬はないか、新作歌舞伎に疑問を抱く立場からコメントしたとの誤った印象を与える記事構成になっていた点について訂正などの対応をとるか、質問した。18日、同社広報部は堀越さんにおわびした経緯などを認める内容のコメントを出した。

朝日新聞社広報部のコメント

新作歌舞伎について、記者は堀越一寿さんに電話で取材し、コメント部分をご確認いただいた上で記事に盛り込みました。

新作歌舞伎が活況を呈していることには、評価の一方、様々な見方もあることを踏まえ、堀越さんにご意見を伺い、今後に向けた有識者のコメントとして記事の中で使わせていただいた次第です。

しかしながら、5月15日付朝刊に掲載後、堀越さんから本社お客様オフィスに、自分の意図とは異なるコメントの使われ方をしているとのご指摘をいただきました。

同日、堀越さんには担当デスクから電話をかけ、ご不快な思いをさせたことをおわび申し上げるとともに、いただいたご指摘は今後の紙面づくりにいかしてまいりますとお伝えいたしました。

朝日新聞のコメントを受け、堀越さんは当機構に以下のコメントを寄せた。

今回の件につきましては、多くの皆さまにご支援、応援の声を頂きありがとうございました。記者の方が私の意図を理解できなかったとは到底思えず、確認の際にも記者さんの意図をご説明いただけなかった点は今もって残念に思います。どうか、今後の取材におかれましてはこうした行きちがいのない紙面づくりをして頂きたいと希望します。

〈視点〉疑問残した朝日新聞の事後対応 想像力と危機感が不十分

「私は大向うから声を掛けて役者さんたちを応援する立場の人間です。歌舞伎役者さん、劇場関係者の皆さんとの関係は何よりも大切にしてきたのです。20年以上かけて築いてきた信頼関係が、この記事一つで崩れていくような、大げさでなく絶望感を味わいました」ーーこの記事を目にした堀越さんがブログに綴った言葉だ。

「発行部数650万部という超大手新聞社の記事で誤解が広まることを思うと息苦しくなるほどの動揺も覚えました」とも書いておられる。自分の言葉が意図と異なる文脈で社会に拡散されたことによる精神的苦痛は、想像して余りある。

今回、朝日新聞は、掲載予定のコメントを堀越さんに事前確認しており、不正な引用をしたわけではない。問題は、「新作歌舞伎に疑問の声」をもつ立場として堀越さんのコメントを紹介した編集の仕方だ。読者に誤った印象を与える編集(いわゆる印象操作)をしたとの指摘は免れない。

それ以上に問題なのは事後対応だ。まず、堀越さんが担当記者にメールで強い遺憾の意を伝えていたのに、再び抗議するまでなぜ放置したのか。堀越さんが強いショックを受けていたことをブログなどを読んで気づかなかったのか。デスクが本人におわびの電話をしたが、なぜ紙面上の対応は見送ったのか。

思い起こすのは、毎日新聞が昨年1月にムスリムの日本人女性を取り上げた記事をめぐる稚拙な事後対応だ。このときも何時間も取材に協力した一般人が「自分とは異なる人物像が独り歩きすることの怖さ」を切実に訴えたのに無視し、しばらく経ってから陳謝したが訂正等の措置をとらなかった点が似ている。

【関連記事=ムスリム女性「異なる人物像、独り歩き」 毎日新聞が陳謝、第三者機関で審議へ

今回も、朝日新聞社側に、取材を受ける側の苦痛の大きさへの想像力と、メディアの信頼低下のダメージの大きさへの危機感があれば、もっと違った対応がとれたはずだ。この記事によって堀越さんが受ける恐れのあるダメージを考慮し、たとえ「訂正」という形でなくても、たとえば電子版記事に堀越さんのコメントの意図について加筆修正するといった対応もできたはずだ。

なぜこのような編集になってしまったのか、柔軟な事後対応を阻んでいる真因は何なのか。「今後の紙面にいかしていく」というのなら、たとえばパブリックエディターとともに検証して報告するなど、目に見える形で再発防止策を示すことが、堀越さんへのせめてもの償いになるのではないだろうか。(楊井人文)

弁護士

慶應義塾大学卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHoo運営(2019年解散)。2017年からファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年『ファクトチェックとは何か』出版(共著、尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー受賞)。2022年、衆議院憲法審査会に参考人として出席。2023年、Yahoo!ニュース個人10周年オーサースピリット賞受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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