大雪で電車が埋まるとどうなるか。運転再開までの手順について
札幌地方を襲った大雪でJR北海道が数日間列車の運転ができなくなる事態になりました。
報道によりますと少しずつではありますが、その時どんなことが起きていたのかがわかってきているようです。
先日、筆者が「なぜ大雪が降ると電車が止まるのか」という記事を書きましたが、その中で述べた「ポイントの不転換」ということが今回札幌周辺で同時多発的に各所で発生したことにより、運転中の電車が途中駅で運転打ち切りとなりました。
運転打ち切りとなった電車が合計29本だと伝えられていますが、それだけの本数の電車が途中駅で立ち往生したことにより、除雪用の車両が思うように走れなくなったために除雪に時間を要したというのが大まかな要因のようです。
では、電車が立ち往生して雪に埋まったら、いったいどうやって救出するのか。
えちごトキめき鉄道で昨年実際に筆者が目にした手順を振り返ってみたいと思います。
2021年1月10日、直江津駅のホームで雪に埋まった電車です。
この時は1月7日から1日50センチの雪が4日間降り続き、直江津周辺でも2mの積雪がありました。
まだ雪が降り続いているため除雪作業開始ができず、全線運休。
手が付けられない状況でした。
1月12日。
雪に埋もれた直江津運転センター(車両基地)。
まずできるところから手を付けようと、留置線の電車の屋根の雪下ろしを開始。
もちろん架線の電気を切って作業しています。
直江津駅は直流1500Vの電気ですが、JR北海道の場合は交流2万Vですから、作業手順も大きく変わると思われます。
また、えちごトキめき鉄道の場合は電車は2両編成ですが、JR北海道の場合は快速エアポートなど6両編成が主体ですから、1編成辺りの雪下ろしの作業量も数倍になったことでしょう。
1月13日、やっと雪が止みました。
除雪車が稼働を開始して広い構内をどんどん除雪していきます。
さて、ここでネックになったのがホーム線路上に埋まったまま停車している電車です。
電車がホームにあると除雪の妨げになり、作業がはかどりません。
このような状態で電車が雪に埋まっています。
この写真の手前の部分。
3~5m手前まで除雪車が入って雪を搔いています。
でも、電車の前にある雪を全部除雪車が掻くことはできません。
結局この部分の雪は人力で手作業となります。
こうして除雪車がかき残した車体周りの雪を職員総出で人力で払いのけるのです。
えちごトキめき鉄道では当時直江津の車両基地以外に5本の列車が各駅に埋もれていた状態でしたが、この作業に2日を要しました。
もちろんこの間に除雪車による線路の除雪は継続して進めていますが、除雪車の速度は時速2km程度ですから、そう簡単には進まない状態でした。
こちらは高田駅で埋もれていた車両です。
屋根の雪を降ろし、除雪車が届かない車体周りの雪を人力で先に除雪して、除雪車の到着を待つ状況です。
JR北海道の場合、29本の列車が途中駅で埋まってしまったわけで、その場所へ向かう道路も満足に動かない状態でしたので、人員配置などを含めて作業に時間がかかったことは容易に推測できます。
1月14日夜。試運転列車運転。
この試運転列車の到着を待って、翌日の運転再開が決定しました。
ただし、各所で雪害があるため、1月15日の運転は暫定ダイヤで妙高はねうまラインの3往復のみとなりました。
さて、運転再開へ向けた暫定ダイヤが出来上がりましたが、まだまだ問題がありました。それはホームの除雪です。
除雪車が雪を掻いて線路が出たのは良いのですが、その雪がホームに積み上げられてこのような状態です。
これでは電車は走ってもお客様の乗降ができません。
運転開始の電車は2両編成ですが、せめてその2両編成分のホームの雪を除雪しなければなりません。
これには本社の内勤職員も総出で対応しましたが、しまいにはJR貨物の皆様やJR東日本の皆様も応援に駆けつけてくれて対応しました。
途中駅の無人駅のホームは本社営業部の職員が深夜までかかって除雪を行いました。
1月15日。
こうして迎えた運転再開です。
地元のマスコミの皆様方が取材されていました。
直江津駅に到着した運転再開一番列車。
たくさんのお客様が降りてこられました。
道路も満足に動かない状態でしたので、皆さん運転再開を待ち望んでくれていたのです。
当時の直江津駅前の光景です。
雪の重みでバス停の表示が曲がってしまっています。
車が動けないために皆さん歩いて買い物などに行かれていました。
実は翌日の1月16日は大学入試共通テストでした。
えちごトキめき鉄道も受験生の輸送の一翼を担っていましたので、何とか平常運転を再開したいと、全社を挙げて除雪作業に取り組んだのです。
昨年の直江津地区もたいへんでしたが、おそらく今回の札幌圏の大雪はこれ以上だったと思いますし、JR北海道の営業範囲も車両数も、えちごトキめき鉄道とは比べ物にならない規模です。
同業者を擁護する意味ではありませんが、気象台が大雪警報を発令するのが遅れたこともJRが計画運休の判断を下せなかった一つの要因と聞いています。
もし、鉄道輸送が社会インフラとして大事であるならば、雪害対策などを経営が危うい鉄道会社だけに求めるのではなく、もっと広い範囲で議論していく必要があると筆者は強く感じています。
最後に、えちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインの沿線である糸魚川市が輩出した相馬御風(そうまぎょふう)の随筆を引用させていただきます。
相馬御風は早稲田大学の校歌を作った人として有名ですが、鉄道というインフラに対してこんな思いを残しています。
昭和17年の話ですが、今の時代、もう一度交通インフラというものを考え直していただきたいと切に願います。
長くなりますが、よろしければご一読ください。
相馬御風随筆「汽車に寄する思」(昭和17年 野を歩む者61号より)
私の住んでいる家は、田舎町のどちらかというと静かな部分に属するところにあるが、停車場が 近いために汽車の響きや汽笛の音がずいぶん騒々しい。といって少なくとも三百年以上先祖代々が 生き且つ死んできたこの宅地を離れるということは、よくよくの事情のない限り私には忍び難い。 そればかりでなく、騒々しい汽車の響きも、慣れるとさほど苦にならないものである。
そういえば、停車場よりもっと近いところまで日本海の波が打ち寄せている。時には宅地内まで 大浪の打ちあげることさえある。しかし、その方はいかにすさまじくても一向平気である。この方は汽車とちがって、怖るべき危険を伴っているのであるが、生まれてはじめて物音が聞こえるようになってから聞き慣れてきたために、どんなすさまじい波音も気にならない。慣れるということは 妙なものだとつくづく思う。
それにしても、静かな夜更けに独りでじっと聞いていると、波の音にも限りない思いが寄せられるとともに、汽車の音にも無量の思いが寄せられる。 そしてそれは深く雪の積もった冬の夜更けなどには格別である。
ふか雪にうもれてを聞く波の音よるはこの世のものとしもなし
これは去年の冬の夜更けに詠んだ歌であるが、まったくそのような時にはいわゆる「世外」の感 往々にしてそぞろなるものがある。
それに比べると、汽車の音はそうした場合殊に世にかかわる思いを深からしめる。とりわけすさまじい吹雪の音の底から響いてくる除雪機関車の、あのさびしい汽笛の叫びの如きは寒風を冐(おか)し雪と闘いつつある人々の身の上にいやが上にも思いを寄せさせずにおかない。
私たちの町に鉄道の通じたのは、今から三十数年前であるが、荒れ狂う日本海岸の断崖つづき十余里というようなこんな嶮岨(けんそ)な土地に、よくもよくも鉄道が通じたものだと私たちはむしろ驚嘆せずにいられなかった。 そのために費やされた資材や費用はとにかく、そのためにいかに多くの人々の、いかに大きな心身の労苦が費されたであろうかを思う時、私たちは「道を開く」「道をつくる」ということの重大性 をさまざまな点から考えずにいられないのである。
しかも、道はただひらかれただけでは、いつしか荒廃する。それを防ぐためには常に道を護る人の労力が費されなければならぬ。又その道を進む機関の安全を確保するためにも同様である。
この「道をひらくこと」、「道を護ること」そして「道を進むこと」、この三つのことを深く考えることは、ひとり鉄道についての大問題だけにとどまるものではない。 汽車に乗り歩く人は多い。又貨物を鉄道に托して送る人は多い。しかしそれら無数の人々のうちの幾人かが果たしてよく以上の三つのことに思いを致しているであろうか。 おもえば、私たちが汽車に乗って安全にらくらくと遠方へ行くことが出来るということだけでも 決してそれはおろそかに思ってはならないことである。
汽車に乗り歩く多くの人々の中にはボーイさんにチップをやる人がこれまで多かったが、誰かよく風雪の夜、炎熱の昼「道を護る」ために日夜働きつづけている人々に感謝を寄せたであろうか。 又誰か汽車を安全に動かし進めるために日夜働きつづけている人々に「ありがとう!」を云わずにいられなかったであろうか。
「道」はひらきつくる人のみによって全きを得ない。常にそれを護る人があらねばならぬ。又常にそれを進む人があらねばならぬ。 しかも道をひらきつくる人必ずしも道を護る人ではない。又護る人は進む人と同じではない。 私たちはこのことを深く考えると共に、道を行くべく常に以上三者の存在に深く思いをいたさね ばならぬ。
日一日と冬が深まっていく。やがては例年の通り風雪の日が多くなり、寒さが夜々に加わっていくであろう。 家の周囲が数尺もの深い雪にとりかこまれ、往き来の人の足音も聞こえなくなる日も、そう遠くないであろう。 そうした静けさの中に独坐して更けゆく夜半に、私はいかに深い思いを寄せつつ汽車の響きや汽笛を聞くことであろう。 東京行の急行列車の過ぎるのは午後十一時である。その響きは私に二十三年一度も行ったことのない東京をおもわせる。又漫然と旅を思わせ、旅する人々の心を思わせる。 だが、それら以上に、私は汽車の道を護る人々と、汽車の道に汽車を進ませる人々の労苦について深く考えさせられる。
※本文中に使用した写真はすべて筆者撮影のものです。