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墓地を生物保護区に! 死後に名を残す森づくり

田中淳夫森林ジャーナリスト
京都の桓武天皇陵。照葉樹が生い茂り、長く原生状態を保たれている。

大都会にある原生状態の森として知られる明治神宮の森。

明治天皇が崩御した約100年前に、本多静六や上原敬二らが荒れ地に鎮守の森を作り上げるべく設計した。最初はマツが高木だったが、やがてスギ、ヒノキが優占し、今では見事なカシやシイ、クスなどが繁るの森となっている。「人間がつくった原生林」という表現をしてもあながち誤りではないだろう。

明治天皇の御陵は京都に設けられたが、事実上明治神宮も陵と言ってもよいだろう。ただし遺骸は納められていないから記念の地であるが。記念として74ヘクタールもの原生状態の森をゼロから作り上げたのは、ロマンある話だ。

その明治神宮の森のモデルは、大阪の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の墳丘の森であることをご存じだろうか。古墳だけでなく、多くの陵墓は人の手が入れられず長い年月のうちに照葉樹林の生い茂る原生状態の森になっている。

明治神宮の造営が計画された当時、神社の森なら日光のような杉木立の並ぶ荘厳な景色を期待した人々は異議を唱えたそうだが、本多らはガンとして意図を曲げなかった。

それは古来からの神社や陵のあり方を考えたこともあるが、維持管理費をかけないという理由があった。広い森を維持するには莫大な経費がかかる。永く維持されるための条件に経済を加えたのだ。スギなどは代々木の土質に合わず、仮に植えたら維持するのに大変な手間と費用がかかってしまう。それよりも自然のままに維持される環境をめざしたのだ。

ところで近年、樹木葬など墓石ではなく自然物を墓標とする埋葬の仕方に注目が集まっている。長く残る石の墓は、墓守の負担がある。広い墓地の建設では、自然破壊を引き起こしかねない。それよりも自然に還る方がよいと考える人が増えてきたことも一因だろう。

ただ樹木葬の場合、一人当たりの面積は通常で1メートル四方、せいぜい1坪程度である。なかには数十センチ四方しか割り当てられないケースも少なくない。一人分では十分な森、そして自然を復元できたとは言えない。それでも30万円~70万円といった価格だ。墓石を購入するより安いという触れ込みだが……。

財産に余裕のある人なら、自らの埋葬地、あるいは自ら生きた日々を記念する広大な森を作ってみたいと思わないだろうか。

何も明治神宮のような、あるいは前方後円墳のような堀に囲まれた壮大な陵墓を建設しようというのではない。むしろ自然の山をそのまま活かして自らの眠る土地とするのである。いや、埋葬しようとすると法律的に難しいから、遺骨を納めるのは遺族の住まいに近い通常の墓地にして、明治神宮と同じく記念の森を確保する発想でもよいだろう。

日本の個人資産の7割は高齢者が所有している。それを使わないことが金融の循環を滞らせ、日本の経済を悪くしている。一方で少子化も進んでいて、せっかくため込んだ財産を引き継ぐ人がいないケースも少なくない。

十分な財産を所有する高齢者も、相続させたい人がいない場合は、死後に顔も知らない遠縁の人のものになるか、国庫に納められてしまうだけの可能性が強い。だから、よいところがあったら寄付したいという願望が潜在的にあるのだそうだ。

彼らの財産を森に投資してくれないだろうか? 

単純に寄付するのではなく、投資として美しい森づくりに役立てるのだ。

最低1ヘクタール。できれば10ヘクタール単位の森を対象にしたい。場所は奥山でも里山でもいいが、現在荒れている森に資金を投入して美しい森に蘇らせるのだ。墓標や記念碑は小さく納めて、その代わり記念植樹を行う。

すでに美しい森のあるところを守りたいと思う人もいるだろうが、おそらくそんな森は手に入りにくい。むしろ荒れ地に美しい森をつくる発想を持ちたい。必ずしも森でなくてもよい。たとえば湿地帯とか高原などでもよいだろう。

たとえば1000万円の投資で1ヘクタールの森を維持してもらえたら、1億円で10ヘクタール。10人集まれば100ヘクタールになる。

財産家が、自らの墓に投資して記念の森づくりを行う。それが後世美しい森になると思えば、満足感を持てるだろう。森に自ら命名するネーミングライツ、つまり命名権を購入するような考え方でもある。

森林の所有権を持つのではない。所有すると、財産として相続が問題になるし、意に沿わぬ利用が行われたり四散する可能性もある。あくまで埋葬記念地として長期管理契約を結ぶのだ。

たとえば土地に生えている樹木を何割か選んで立木権を遺族が手にするのはどうか。立木権は、木だけの権利だから、土地の分筆にならないし、寿命が来て枯れた時点で解消される。

一方で景観や全体の生長のバランスを考えて伐採も許可制で行う。

「不伐の森」にしてもよいが、完全に人の手を入れないとなると、必ずしも森は優れた景観を維持できない可能性もある。明治神宮も、まったく手を加えないのではなく、最低限の管理は行われている。むしろ積極的に「美林に仕立てる」ことを売り物にする。

そのためには、適当な土地を斡旋するとともに管理する組織が必要になる。それを地元の人々にお願いすれば、地域への貢献にもなるだろう。

できれば生物保護区などの指定を受けるとよい。

実は、そうしたケースはアメリカなどにある。ニューメキシコ州の五〇〇〇ヘクタールを越える生物保護区は、その一部(4ヘクタール)に埋葬地を設けて、そこに眠る人からの埋葬料の半額が保護区の維持に使われるシステムになっている。いわばトラストだ。

これは、財産を墓の中まで持っていく行為だ。しかし、下手にばらまいたり相続者が浪費するよりはるかに有意義な使い道ではないだろうか。これで美しい森が誕生すれば、きっと後世に名を残すだろう。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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