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相模原事件・植松聖死刑囚による映画『月』と『ハンチバック』の感想、そして市川紗央さんの反応

篠田博之月刊『創』編集長
筆者の投稿を引用した市川紗央さんの投稿(筆者撮影)

植松聖死刑囚の手記と市川紗央さんの反応

「ご同情どうもありがとう。達者で暮らしてください」

 『ハンチバック』で芥川賞を受賞した市川紗央さんが1月6日にそうX(旧ツイッター)に投稿していた。これだけだと何のことかわからない人が多いだろうが、これはその日発売された月刊『創』(つくる)2月号に掲載された相模原障害者殺傷事件・植松聖死刑囚が『ハンチバック』について書いた手記への反応だ。『創』にその手記が載っていることを書いた私の投稿を引用する形でコメントしているから、市川さんは恐らく発売当日、それを読んだのだろう。

植松死刑囚の手記の当該部分はこうだ。

《天理教の教誨師にお願いして『ハンチバック』を差入れて頂きました。「子供を中絶してみたい」という障害者の“本音”を綴るような小説でしたが、彼らの思考回路はほとんど同じですね。それ程迷惑はかけていない、悪いのは障害者を疎外する社会である、ということ。〈障害者は不幸をつくる〉という主張を体現していて、「悪書は最も悪いどろぼうである」。悪書は純潔な心や感情を失わせ、それについやした時間やお金も失われる。死刑囚として私は、市川沙央さんに心から同情しますけどね。人間の表裏を嘲笑うような視点は、閉ざされた社会でより一層際立って見えるものです。

「深い悲しみに打ちのめされた者の心の眼には――子どもたちの笑い声も、恋人たちのささやきあいも、なんとそらぞらしく響くことであろう」(神谷美恵子『生きがいについて』みすず書房)》

『ハンチバック』と映画『月』の感想

 植松死刑囚の手記はかなりの頻度で届いているのだが、正式には死刑確定者は接見禁止だ。面会も通信も含め、外部とのやりとりは禁止されている。ただ、『創』は連続幼女殺害事件の宮﨑勤元死刑囚(既に執行)を始め、死刑確定者の獄中手記をこれまで何度も掲載してきた。

 それらの手記は全文そのまま載せるのでなく、わかりにくい部分や、植松死刑囚の場合は差別的な部分は割愛している。今回2月号の場合、手記の大部分を載せたのは、植松死刑囚が『ハンチバック』と映画『月』について感想を書いたという、興味深いものだったためだ。

 ただ、『ハンチバック』についての感想をそのまま全文掲載するかどうかはいささか悩んだ。

 その前の1月号で『ハンチバック』と市川さんの「読書バリアフリー」の問題提起を大きく取り上げたばかりだった。その取り組みについては、このヤフーニュースでも記事にした。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1be2c0d0188e28e95f45cbc0be7bb601783db58c

芥川賞・市川沙央さんの衝撃の告発にペンクラブなどが取り組み!11月20日に桐野夏生会長と公開トーク

『ハンチバック』市川紗央さんと日本ペンクラブの取り組み(筆者撮影)
『ハンチバック』市川紗央さんと日本ペンクラブの取り組み(筆者撮影)

「読書バリアフリー」への取り組み

 上の写真は実際に11月20日に開催された日本ペンクラブのイベントだ。YouTubeで今も全編見られるが、この写真は配信を行っているペンクラブの会議室の光景。左下の画面に映っている市川さんとオンラインで結んで桐野夏生会長(中央)や言論表現員会の金平茂紀委員長(右)らがトークを行っているところだ。

 市川さんの「読書バリアフリー」の提言などはとても貴重なもので、このイベントの内容を含めて『創』1月号に特集記事を掲載した。その後も日本ペンクラブは日本文藝家協会などと議論を重ねており、今後具体的な取り組みを行うべく準備を進めている。

 その市川さんの問題提起をとても大事なものと取り上げた『創』の次の号ので、『ハンチバック』を非難した植松死刑囚の文章をそのまま載せるというのもどうなのかと我ながら考えた。ただそんなふうに考えていくと事件当事者の手記など載せられないので、今回は編集部の解説を付けて全文掲載した。解説部分はこうだ。

《『ハンチバック』を教誨師に差し入れてもらったというのは植松死刑囚ならではだが、中身については当然否定的見方だ。市川さんは不快に思うだろうが、ご容赦いただきたい。本誌前号(1月号)で「『ハンチバック』の衝撃と読書バリアフリー」と題して、その波紋などを書いたが、恐らく彼は手記執筆時点でその記事を読んでいないと思われる。ちなみに教誨師とは、死刑囚に付き添う宗教家だ。》

 それに対する市川さんの反応が冒頭に紹介したツイートだ。

映画『月』河村プロデューサーの面会

 さて植松死刑囚の手記で興味深かったのはもうひとつ、相模原事件を素材にした映画『月』についての記述だ。もちろん彼は映画を観られる立場ではなく、『創』で『月』を紹介した記事などをもとにイメージしているのだが、わざわざ映画のパンフも入手したらしい。特に彼の関心を呼んだのは『創』2023年12月号に掲載した『月』の舞台トークでの石井裕也監督や主役の宮沢りえさんらの発言だったようだ。

 掲載にあたっての「解説」に私はこう書いた。

《また映画『月』については、もちろん植松死刑囚は映画自体を観ることができる環境ではない。今回の手記の記述を読むと、本誌12月号の「相模原事件が素材の映画『月』と障害者の関わり」に収録した石井裕也監督や宮沢りえさんらの舞台挨拶を読んで書いたようだ。

 その挨拶に感動したというのは、石井監督の「この作品は覚悟が違う」といった言葉に象徴されるように、タブーとされてしまうようなテーマに挑んだ監督やキャストたちの覚悟に対してなのだろう。ただ、そういう彼の思いと監督や出演者の覚悟という中身は違っており、植松死刑囚に「感動した」と言われては、宮沢りえさんなど困惑するばかりだろう。》

《ちなみに、映画『月』は、報知映画賞作品賞などを受賞したのだが、映画界で話題になったのは角川歴彦氏に日本映画製作者協会の新藤兼人賞が授与されたことだ。本誌にも書いたようにこの映画は、プロデューサーの河村光庸さんが急死し、角川歴彦氏が五輪問題で逮捕されたことで、推進役が不在となり、KADOKAWAが配給からおりてしまい、一時は公開も危ぶまれた。その角川氏に、この映画をプロデュースしたとして賞が与えられたというのは、一連の経緯に対しての映画界の意思表明だ。タブーに挑んだ映画が、経営上の問題から公開が危うくなるような事態はあってはならないと感じた人たちがいたということだろう。

 映画製作途上での河村さん死去の経緯は以前、本誌に書いたが、今回の手記の中で植松死刑囚は、河村プロデューサーが面会に来たという話を書いている。》

映画『月』舞台あいさつ終了後の監督や出演者(筆者撮影)
映画『月』舞台あいさつ終了後の監督や出演者(筆者撮影)

 植松死刑囚が『月』に言及した部分は下記だ。

《石井裕也監督をはじめ、出演者の発言を拝読しました。皆様には、守るべき地位や名誉があって、そこから踏み出す一歩はとても恐いはずです。舞台挨拶だけでここまで感動するなら、映画『月』は大変な力作なのでしょう。

 感謝の念が絶え間なくあふれ、いつの日か観たいけど、観たくないような……。当人でさえ、怖じ気づくような作品ですから。月並みですが、お力添えを賜り本当に有難うございます!!》

《一度ですが河村光庸社長と面会させて頂きました。人間の本当の正しさは、ちょっとした振舞にあらわれ、何でもない行動に人間内容やその背景を知ることができるようです。くだらぬ私欲に関心がないから心が広く、自然に大物になる。訃報を読んだ時には、口内炎ができました。心よりご冥福をお祈り致します。》

手記の中で自身を「漫画家のはしくれ」と表現

 さらに今回の植松死刑囚の手記でいささか驚いたのは、彼が『週刊少年ジャンプ』元編集長の鳥嶋和彦さんの著書について書いた部分だった。彼はそこで「漫画家のはしくれとして、異議を申し立てたい」と書いていた。植松死刑囚がイラストやマンガを熱心に描いてきたのは知られているが、自身を「漫画家のはしくれ」と表明したのは今回が初めてだろう。

彼は『実話ナックルズ』に一時期、ストーリーマンガを連載していたし、単なる趣味でマンガを描くというのとは意識が変わりつつあるのかもしれない。ちなみに、彼の母親はプロのマンガ家だ。

 手記の当該部分を引用しよう。

《『Dr.マシリト最強漫画術』を拝読しました。マンガへの情熱や裏話を知れるので、誰でも楽しめる名作ですが、鳥嶋編集長は「今は劣化が目立つどころか読めない」と仰っているので、漫画家のはしくれとして、異議を申し立てたいと思います。1つめに“労働環境が悪すぎる”。

鳥山 地獄のような大変さだった。

稲田 本当に週3日、寝てなかったですから。

 こんな職場、ありえないでしょう(苦笑)。病欠、入院は当たり前で、死人も出ている。私は1ページに2日、細かい絵は7日以上かかります。実力不足を加味しても、週連載は常軌を逸しており、つくり手が楽しめないと、読者も楽しんでくれません。

 2つめに“読者を一番に考える体制”です。商売にはお客さんありきですが、プロが率先するプライドも大事だと思うのです。というのも、映画を観ていると「ここは勝てない」と思う時があって、制作費も桁違いですが『GANTZ』は、動画を超えた瞬間がありました。圧倒的な迫力で、読者の脳を動かしたのですが、批評だと“クソ漫画認定”されています。的外れだし何様だよ、と思いましたが、炎々と燃える炎は、投げ込まれたものをたちまち同化させて焼きつくし、燦然と躍りあがるのです。分かりやすさを追従し子供だましになるのは、消費社会の弊害でしょうか。

 今は娯楽であふれて一つのことに集中できず、軟弱な若者が増えたかもしれません。しかし、先達たちの苦労の上で構図は揃っていて、マンガの目的が〈面白さを届ける〉ことなら、抜本的な改革がいること、恐れながら申し上げます(例えばヤング・ウルトラ・SQを合併させてローテーションさせる)。

 不肖未熟ながら、神様を一瞬うたがいました。キリスト本を乱読すると「神よ、おお」と繰り返してなんかしらけますし、イエズスの例を見れば、神様を信じてもハッピーエンドになるとは限らないわけです。愚痴の1つも出るのはお分かりいただけると思いますが、神様をうたがった翌日、中歯が欠けてしまいました(天罰)。》

植松聖死刑囚がマンガを描いた獄中ノート(筆者撮影)
植松聖死刑囚がマンガを描いた獄中ノート(筆者撮影)

筆者の投稿を引用した市川紗央さんの投稿(筆者撮影)

獄中マンガの暴力性と死刑囚の存在

 植松死刑囚からは獄中手記と一緒に、マンガを描いた大学ノートが届けられた。『創』に掲載した5ページに及ぶマンガの一部、正確に言えばそのもととなったノートの一部がこの記事の冒頭に掲げた写真だ。マンガには「蛇退治」というタイトルが付けられている。

 このマンガは、2017年から翌年にかけて植松死刑囚が獄中で描いた「ヒューマンウォッチ」と題するマンガ(『開けられたパンドラの箱』に収録)に雰囲気が似ている。全体を覆う暴力性は、相模原事件をイメージさせる。彼は裁判などで、暴力を使って世の中を変えようとあの事件を起こしたと語っている。

 マンガを覆う暴力のイメージは不気味だが、7年前の作品との違いは、マンガを描くスキルが格段に上がっていることだ。植松死刑囚が今回、自身を「漫画家のはしくれ」と表現したこととあわせて、死刑囚として死を宣告されるなかで、彼が自身の生きるよりどころのひとつとしてマンガやイラストの表現に時間を費やしていることがうかがえる。懲役囚のように工場労働があるわけでなく自由な時間が多い死刑囚の場合、獄中で表現活動を行う事例は少なくない。植松死刑囚も、毎年秋に開催される「死刑囚表現展」の常連投稿者だ。

 家族の面会も少なくなっているという植松死刑囚だが、その自由時間の中で、自らに宣告された「死」というものにどう向き合おうとしているのか。私が頻繁に接見していた頃、彼と議論になったのは、彼が生きる意味のある存在と意味のない存在を二元論で区別する時に死刑囚を後者、つまり生きている意味のない存在に仕分けしていたことだ。その立場に自分がなってしまった今、彼は生きることと死ぬことの意味をどう考えているのだろうか。

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月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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