Yahoo!ニュース

「イスラーム国」がマトを選ぶことについての考察

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:REX/アフロ)

 イスラーム過激派に限らず、政治行動の形態としてテロリズムを採用している諸般の個人・団体・運動にとって、いつ何をどのように攻撃するかは自らの運動の成否とともに、自分の命にもかかわる極めて重要な問題である。筆者は先行のいくつかの駄文で、アフガンにおけるターリバーンやシーア派に対する攻撃を例に「イスラーム国」が社会的反響の大小、報道露出の可能性の多寡、そして敵方からの反撃の量や質についてそれなりに考えた上で攻撃対象や場所を選択していることを指摘してきた。そして、そのようにして「イスラーム国」が選択した攻撃対象や場所は、大国や有力報道機関にとってさほど価値がない(注:死傷する人々の生命や財産の価値が他と比べて低いわけではない)ものであり、その結果「イスラーム国」自体がニュースとしての価値の低い存在へと低落している傾向があることも指摘した。この傾向は、単なる思い付きや印象論として論じているものではなく、日々の地道な(憂鬱な)観察を通じて見出されたものである。

 本稿は、「イスラーム国」による攻撃対象・場所の選択に一定の傾向や方向性があることを、同派の週刊の機関誌の観察を通じて実証することを試みるものである。具体的には、2015年10月に第1号が現れた「イスラーム国」の週刊機関誌を、本稿執筆時点の最新号である第310号までをつぶさに観察し、攻撃対象としてどのような語彙がどの程度の頻度で出現するかを集計することにより、「イスラーム国」が何と戦ったり、何を攻撃したりしているのかを割り出す作業である。なお、観察対象の機関誌は、戦果の広報の他、幹部のインタビュー、時事問題等についての論説、宗教問題についての論考、主要活動家の評伝や既存の著述の抜粋を主な内容とする。そのため、機関誌中で出現頻度が高い対象になるほど、「イスラーム国」に攻撃されたり、興味を持たれたりする可能性が高いことになる。なお、以下で挙げる数値は、主に短慮で怠惰で注意散漫な筆者の気質に起因する技術的制約により、「正確な集計結果」ではなく「大局的な傾向を示す参考値」である。

 攻撃対象についての傾向として最初に指摘すべき点は、「イスラーム国」が攻撃対象の属性として「背教」という属性を非常に重視している点だ。2015年から集計すると、「背教」の出現頻度は通算でおよそ3万件に達する。「背教/背教の/背教者」にあたる語彙は、「イスラーム国」の広報の中で同派から見れば異端・異教とみなされるはずのシーア派やアラウィー派にも無頓着に用いられていることも多いのだが、そこを考慮しても「イスラーム国」が「背教」を排撃することを何よりも重視していることは明らかだ。つまり、「イスラーム国」の暴力は、何よりも先に同派の周囲にいるムスリムの共同体に向けられるものなのだ。「背教」に次いで出現頻度が高いのは、シーア派の蔑称である「ラーフィダ」の約1万7000件である。アラウィー派やシリアのアサド政権に対する蔑称である「ヌサイリー」が約6000件でこれに続く。しかし、「ヌサイリー」の出現頻度は、「イスラーム国」とシリア政府が激しく交戦した2017年には約1800件出現したが、2021年はこれまでの時点で出現件数が300件にも満たず、シリアにおける同派の凋落は隠しようもない。イスラーム過激派として「イスラーム国」が「憎悪」をたぎらせいかなる犠牲をも厭わず攻撃していると信じられている「十字軍」については、「背教」「ラーフィダ」、「ヌサイリー」よりも少ない5600件ほど出現しているに過ぎない。確かに、「イスラーム国」による欧米権益への攻撃は社会的反響が非常に大きいのだが、「イスラーム国」の日常的な関心事項・攻撃対象としての優先順位は第一位ではないということだ。この傾向は、「イスラーム国」が国際的に広範な反撃や取り締まりを受ける契機となりうる欧米権益への攻撃や攻撃扇動よりも、身近な「背教者」、や他宗派への攻撃や攻撃扇動を優先していることを裏付ける。

 最近の攻撃対象の傾向として注目すべき点は、機関誌中に「民兵」が出現する頻度が上昇している点だ。近年の紛争では、国家の正規軍ではない武装集団が主役となることが少なくない。「イスラーム国」もそのような武装集団であるが、それに対抗して同派と戦う主体も、次第に正規軍ではなく「民兵」と呼ぶべき武装集団へと移り変わっているようだ。例えば、イラク・シリアで「イスラーム国」が猛威を振るった2014年~2018年ごろは、イラク政府もシリア政府も正規軍の量・質の不足を補うために「民兵」を起用した。また、アメリカも「地上戦を担う現地の提携勢力」としてクルド民族主義勢力の民兵を支援した。この結果、「民兵」という語彙は2016年、2017年にそれぞれ600件弱、クルド民族主義勢力を指す「PKK」については2019年に約1600件を記録している。これらの語彙の出現頻度は、イラク・シリアでの「イスラーム国」の活動が衰退した2019年には減少したが、2020年、2021年になると、「イスラーム国 西アフリカ州」、「イスラーム国 中央アフリカ州」での戦果広報の記事での「民兵」出現頻度が目立って上昇した。これは、「イスラーム国」自身が競合するアル=カーイダの構成員や現地の政府軍を貶めるために「民兵」というレッテル張りを好むことを反映しているとともに、ナイジェリア、モザンビーク、コンゴなどでの「イスラーム国」の活動地域は、現地の政府が十分な規模の正規軍を投入できず、地元の民兵を起用して「イスラーム国」と戦っているようだという現実も示している。

 また、「イスラーム国」はアフガンのターリバーンの構成員も「民兵」と呼称しており、2021年8月以降アフガンに政府も正規軍もなくなってしまった後は、「イスラーム国」が同地で攻撃する敵の武装勢力はみな「ターリバーンの民兵」となる。かくして、2021年の年頭から10月末までの「民兵」の出現頻度は「ラーフィダ」、「背教者」に続く第3位に相当する約900件に達した。要するに、「イスラーム国」の攻撃の矛先は、欧米諸国に代表される大国や強国でも、イスラーム過激派にとって不倶戴天の敵のはずのイスラエル/シオニストでもなく、それらの利害とはほとんどかかわりのない身近なムスリム(注:イスラーム国にとってはムスリムとはみなされないが)に向けられているのだ。そして、「イスラーム国」対策をとる側も、正規の軍・治安部隊・警察よりも容易に「汚れ仕事」を任せることができる民兵を前面に立たせることを好んでいるようなのだ。戦いの相手が民兵ならば、或いは民兵同士が戦っているならば、正規軍同士の交戦を規制する法規・約束事・礼儀に配慮する必要性は低下するので、今後「イスラーム国」対策の現場は正規軍が担うよりもいっそう陰鬱なものになっていくだろう。

 ちなみに、2021年8月以降「イスラーム国 ホラサーン州」が活発化していると考えられているが、「イスラーム国」の週刊機関誌上での2021年の「ホラサーン」の出現頻度は論説や殉教者列伝のような記事での出現も含め「たったの」122回であり、ナイジェリア(717回)、コンゴ(400回)、イラク(386回)、ニジェール(254回)に遠く及ばない。語彙の出現頻度からは、「イスラーム国」の活発化を心配すべき地域はサハラ地域やアフリカ南東部であり、アフガンでの「活発化」はアフガン情勢に報道機関の関心が高まっているが故に生じた印象論に基づくものであるということができる。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事