Yahoo!ニュース

「イスラーム国」はやっぱりマトを選ぶ

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年10月15日、アフガン南部のカンダハルにてシーア派のモスクに対する自爆攻撃が発生し、40人以上が死亡した。これについて、「イスラーム国 ホラサーン州」名義の犯行声明と、「イスラーム国」傘下の自称通信社「アアマーク」による短信が出回った。これに先立つ10月8日にもアフガン北部のクンドゥーズでも同様の自爆攻撃が発生している。今般の攻撃が、ターリバーンの本拠地と目されるカンダハルで発生したこと、2週連続で発生したことにより、「イスラーム国」がターリバーンの正統性なり威信なりを損なうために攻勢に出ていると考えることもできるだろう。実際、みんな大好き(?)「アアマーク」では、カンダハルがターリバーンの本拠地とみなされること、今般の攻撃についてターリバーンが報道管制を敷いて「ドーハ合意」で約束した「テロとの戦い」政策の失敗を隠蔽しようとしているとの主張を強調した。

 ところが、犯行声明ではターリバーンについては一言も触れず、ラーフィダ(注:シーア派のこと)の神殿(注:繰り返すが、「イスラーム国」にとってはシーア派が礼拝するところはモスクではなく、多神崇拝者の神殿に過ぎない)を2名の殉教志願者が攻撃したと述べたに過ぎなかった。その上、声明の末尾では「ムジャーヒドゥーンは、あらゆる場所でラーフィダをたたくという彼らの約束を実行し、指導部の誓約を満たすこと(後略)」と謳い、今般の攻撃を世界的なシーア派攻撃扇動と位置付けている。つまり、ほんのちょっと眺めただけでも、「アアマーク」(正確には「アアマーク」の取材に応じた「消息筋」なるもの)と、犯行声明を製作した者とで、関心事項・発信したいメッセージが一貫していないのは明らかだ。従って、「イスラーム国」なりアフガン情勢なりを観察する側としては、犯行声明と「アアマーク」の内容をごっちゃにして、勝手に「イスラーム国」の意図なり狙いなりについて作文してはならないのだ。犯行声明と「アアマーク」の短信に加え、週末には「イスラーム国」の週刊機関誌がこの攻撃を大きく扱い、また違ったメッセージを発信してくれる可能性がかなり高いので、これを合わせると我々は今般の攻撃について最低3種類の「イスラーム国」からのメッセージにお付き合いさせられることになる。

 もっとも、「イスラーム国」の広報の製作者には複数の担い手が居り、それらが組織を経営する者たちの状況認識や方針を反映したわけではない、一貫性の乏しい活動をしているのは今に始まったことではない。また、「イスラーム国」の広報製作媒体毎の考え方や感受性の違いを重箱の隅をつつくように論じることは全く生産的でない。大事なのは、「イスラーム国」が「アフガンで」、「シーア派を殺し」、なおかつ「イスラーム国」に対策をとるべき主体が非国家武装勢力である「ターリバーン」だということだ。過去3週間に「イスラーム国」が計上した「戦果」によるとアフガン(「ホラサーン州」)の「戦果」は、1週間前は38件中4件、その前は48件中10件、その前は54件中11件で、これらの件数はいずれの週でもイラクでの「戦果」の数に及ばない。もっとも、攻撃により殺害した人数は3週連続で「ホラサーン州」が首位であると主張していることから、「イスラーム国」はアフガンにおいて「攻撃件数はたいしたことがなくとも、殺傷した人数が多い作戦」を実行していると言える。このようなことになる理由としては、「そうすれば報道露出を増やしたり、社会的な反響を大きくしたりできる」ことが挙げられる。アフガンについては、世界中の報道機関や情報発信媒体が注目しており、記事のタイトルに「アフガニスタン」やそれに関連する流行語をくっつけるだけで「売り上げ」がだいぶ違ってくるのも厳然たる事実である。つまり、世界中の優秀な報道機関や執筆者がアフガンについての記事を書けば書くほど、「イスラーム国」にとって理想的な示威行動の舞台を提供していることになるという、伝統的な報道機関とテロ組織との「共犯関係」が際立つ結果になる。

 「シーア派殺し」については、「イスラーム国」がこれに熱中するのは同派の信条の根幹とも言える。しかし、それと同時に、シーア派をいくら殺してもそれを怒ったり、悲しんだり、自らの安全にとって深刻な脅威と認識したりする者があんまり多くはないという残念な事実にも注目しなくてはならない。「イスラーム国」にとって、シーア派はいくら攻撃しても組織に大打撃を与えるような反撃をしてこない標的と言える。この状況は、「イスラーム国」がイスラーム過激派にとって本来最重要の問題のはずだったイスラエル/シオニスト/ユダヤとの闘争に全く興味を示さないのと好対照である。「イスラーム国」も現世的な経営や大人の事情をよく考えて攻撃対象を選択している。

 さらに重要なのは、アフガンにおいては「イスラーム国」対策の前面に立つべきとみなされているのは「国家なり政府」として正式に承認されていなければ、「正規軍でも正規の治安機関」でもないターリバーンだということだ。紛争の当事者としてこのような非正規/非国家の主体が前面に出ることは珍しいことではないのだが、「イスラーム国」を観察していると、近年同派の攻撃対象や、同派が戦う相手として、「民兵」と呼ばれる主体の存在感が増していることには注目すべきである。もちろん、「イスラーム国」が相手の存在を貶める蔑称として「民兵」という呼称を用いていることもあるが、アフガンに限らず、イラク、シリア、サヘル地域、アフリカ南部などいたるところで、非正規軍(現地の政府が組織した場合もあれば、サヘル地域やアフガンでのように「イスラーム国」の競合組織の場合もある)が「イスラーム国」が戦う相手として登場している。これには、「イスラーム国」対策に現地の住民や現場に密着した政治・社会勢力を起用する方が効果的に思われるという理由の他に、欧米諸国同様、世界中のどこの政府も「イスラーム国」対策の矢面に立たされて損害を被るのが嫌だとか、非正規軍に人権侵害や残虐行為にあたる「汚れ仕事」を外注すれば少しは外部からの非難と自らの良心の呵責から逃れられるとかの「大人の事情」が反映されている。例えば、アフガンにおいてターリバーンが拷問や虐殺も含む苛烈な対策で「イスラーム国」を殲滅した場合、それを傍観(或いは黙認・奨励)した各国政府や報道機関は、「イスラーム国 ホラサーン州」の衰退という恩恵を受ける一方、その過程についてはターリバーンによる「人権侵害」を非難するだけでよい。

 「イスラーム国」がアフガンで自爆攻撃を頻発させているのは、同派にとって格好の舞台と都合のいい標的が用意されているからだろう。しかし、そうした傾向は、実は「イスラーム国」を討伐する上で道義的な制約をほとんど受けない非国家主体であるターリバーンとの戦いに自ら没入することに過ぎない。攻撃対象にされたり、対策の矢面に立たされたりして損害を受ける人々には気の毒なことこの上ないのだが、これが「イスラーム国」を含むイスラーム過激派対策の「流行」なのは否めない。そして、この「流行」に押し流されて「ニュースとしての価値が低い(注:死傷する人々の生命や財産の価値が他と比べて低いわけではない)」対象への攻撃や戦闘に熱中すればするほど、「イスラーム国」そのものの「ニュースとしての価値」が低くなっていくのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事