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W杯日本代表のプライドとは

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
ファンにあいさつするW杯日本代表選手(14日・秩父宮)(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

五郎丸歩やリーチマイケルだけではない。歴史的な3勝をあげたラグビーのワールドカップ(W杯)日本代表のメンバーは31人いた。その内、W杯の試合メンバーに一度も入らなかったのはふたりである。

東芝のフッカー湯原祐希とバックスの廣瀬俊朗。31歳と34歳。イギリスでW杯を取材した私は、ふたりはどんな思いで帰国したのか、ずっと関心を持っていた。だから、開幕したトップリーグの14日は五郎丸のヤマハではなく、ふたりの東芝の試合会場の秩父宮ラグビー場にいった。

冷たい雨が降りしきる中、ふたりは輝いていた。さすが日本代表といった動きだった。湯原は先発でクボタ戦に出場し、相変わらずの仕事量を発揮した。スクラム、ラインアウトをリードするだけでなく、タックルにからだを張り、サポートプレーに走りまくった。序盤のリーチの先制トライのときも、その外側にきっちりフォローしていた。

廣瀬は途中からウイングで交代出場し、いぶし銀のプレーをみせた。スタンドオフの森田佳寿のゴロパントに素早く反応し、インゴールに滑り込みながらトライをとった。廣瀬らしい、まじめなトライだった。

試合後、会場の通路のミックスゾーンの遠くにはファンがフェンスまで押しかけていた。「サインくださ~い」との子どもの声が通路に響く。湯原に言っているのかと思えば、湯原は「違う、違う。自分はもう」と苦笑するのである。謙虚なオトコである。

空前のラグビー人気。「ありがたいですよね」と湯原は漏らした。「雨が降る中、こんなにもたくさんの人(公式記録で1万1千85人)が会場に入ってくれるなんて。すごくうれしいですよ」

湯原はただいま、体重が112キロ。日本代表では「110キロ以上」をノルマにされていたそうで、ベストの体重104キロに戻そうと努めている。「あまり重いとふくらはぎを肉離れするんです。もうちょっと(体重を)下げたい」と説明した。

この時、廣瀬がミックスゾーンを通り過ぎていこうとした。廣瀬の後ろ姿をちらりとみた私に気がついて、湯原は「トシさん(廣瀬)にもいきますか?」と聞いてきた。軽くうなずくと、湯原は大声を張り上げて、廣瀬を呼び止めてくれた。「トシさ~ん。トシさーん」

廣瀬にW杯のことを聞いた。「試合に出たかったですか?」。愚問である。「それはもちろん」と返ってきた。「でも、もう過去のことだから。最高の結果が出ましたし、前を見てやっていくだけです」

人生において、すべてが勉強である。廣瀬はそう、思っている。「(W杯で)勝つことの大事さが改めて分かりました。勝たないと、自分たちのやりたいことをなかなか表現できない。勝ったら、世の中を変えることができる。そんな思いが一番大きいですね」

トップリーグが始まった。廣瀬は元気だ。「日本のファンが日本代表の選手に期待しているというのがわかる。その人たちに対して、いいプレーを見せたいと思っています。もちろん、まずは東芝に貢献したい」

湯原はまだ、ミックスゾーンに残っていてくれた。W杯の収穫はなんですか、と聞いた。湯原は「自分的にはメンタリティ―ですかね。意識です。試合に臨む時の意識だったり、練習に対する意識だったり…。自分のからだのケアもそうです」と言った。

桜のエンブレムの日本代表のジャージの重みを改めて知った。プライドである。恐る恐る、メンバーに入れなかったことについての思いを聞いた。「トシさんとも話しはしていました」と教えてくれた。

「最初はメンバーに入れるように練習に出てアピールします。競争します。でも、(試合の)1週間前に練習スケジュール発表のとき、メンバーがある程度、分けられちゃうので、だいたい(試合)メンバーはわかるんです。それでも、なんていうんですかね、悔しいのはありますけど、やっぱりチームをサポートしたいと思っていました」

それほど、チームは勝利に一丸となっていたのだろう。いいチームだったのだ。「いじけるヒマがなかったんです」と笑った。

「試合メンバーは、僕らがつらいことをやっているのを知っていた。メンバーに入ってないのにもかかわらず、ずっとハードワークをし続けているのを見ていてくれた。つまり、いいオトコの集まりだったんです」

そうは言っても、と思うのだが。そう質問を重ねると、「変な意味。もう大人なので、くさることはないですよ」とまた笑った。

「いつでも、(試合に)出れる準備はしようって言い合っていました。いつ呼ばれてもOKって。いつ、だれがけがしても、違うポジションでもいけるくらいに。うちらはコンディションを整えて、ウエイトもやって、フィットネスもしっかり保って…。それがうちらのプライドだったんです」

ミックスゾーンが閉まり、冷たい雨の下で話を続けた。傘もささずに。雨で濡れないところに移動しましょ、と言えば、「いいです。いいです。ここで。濡れても大丈夫です」と返ってきた。

最後にスクラムのことを聞いた。W杯の日本代表のスクラムはよかった。練習での湯原たちの貢献があったからでもある。W杯の日本のスクラムは?

「みんながやることが一致していた。それが一番でしょ。ダルマゾ(スクラムコーチ)が相手をしっかり分析して、ジャパンの組み方にしっかり落としてくれたのです。その中で、自分たちのルーティンワークを崩さすに、やり続けた。そこだと思います」

話題が南ア戦の最後のPKでのスクラム選択になった。「もう、おれも一緒でした」。真っ暗な雨の中、湯原は両手を持ちあげて、スクラムを組むマネをした。何度も。「スタンドで見ながら、自分の頭の中では、“おお。スクラム、組むぞ”って。一緒になっていたんです。一緒になって、スクラムを組んでいる感じだったんです」。

廣瀬も湯原も、W杯ではグラウンドの選手と一緒に戦っていたのである。31人はひとつだった。チームの勝利に向け、100%努力する。それが彼らの桜のプライドだった。

東芝のプライドもまた、同じなのだろう。ラガーマンたちのプライドをかけた戦いは、もうしばらく続くのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2024年パリ大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。酒と平和をこよなく愛する人道主義者。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『まっちゃん部長ワクワク日記』(論創社)ほか『荒ぶるタックルマンの青春ノート』『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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