週に一度から年に一度に減った「党首討論」の勘違い
フーテン老人世直し録(223)
皐月某日
今国会初めての党首討論がようやく行われた。しかし今国会初めてと言うより昨年の6月17日以来1年ぶりの開催と言ったほうが良い。制度が導入された1999年には毎週1回開かれるという触れ込みだったから趣旨はまったく失われてしまった。
党首討論は政治改革の一環として英国議会の「クエスチョン・タイム」を真似て毎週1回行われるはずだった。それがいまや英国とは異なる「の・ようなもの」になってしまっている。なぜ日本では政治改革が根付かないのか。それをフーテンの経験から考えてみる。
冷戦時の日本は「55年体制」という自社対立の構図の中で政権交代なき政治体制を続けてきた。東西対立の中で西側陣営の一員である日本は自民党が政権を握り、野党第一党の社会党は護憲政党の役割を担うだけで決して政権は狙わない。それが日本政治の基本構造であった。
そのため社会党は過半数を超える候補者を選挙に立候補させず、全員が当選しても政権は握れないが必ず三分の一以上の議席を確保して憲法改正をさせない。それを自民党が暗黙の裡に認める。それが吉田茂の敷いた経済重視・軽武装路線の延長にあった。
自民党は社会党の反対を口実に米国の軍備増強要求をかわし、国家の持てる力を経済に特化して経済成長する。米国にも国民にも自社は対立しているように見せつけるが、それは軍事で米国に敗れた日本が経済で勝利を目指す「絶妙の対米外交術」なのだった。
そして自民党も社会党も「大きな政府」を志向し、米国の共和党と民主党のような差は存在しない。それが世界で最も格差の少ない経済大国を生み出した。
ただしこの政治構造が有効なのは冷戦の間だけである。米国が旧ソ連より日本の経済力に脅威を感じ始めた80年代後半、日本は新たな政治構造を作る必要に迫られた。欧米諸国と同様に政権交代可能な政治構造である。
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