泡のような政治家の泡のような金の話を追及するだけで何が変わるのか
フーテン老人世直し録(224)
皐月某日
舛添要一東京都知事のあきれ返る公私混同ぶりにメディアは大騒ぎをしているが、そもそも品性下劣な男を持ち上げて虚像を作り政治家への道を開かせたのはテレビ・メディアである。
それ故に裏切られた思いから舛添批判に熱が入るのかもしれないが、所詮は小渕優子衆議院議員の政治資金を追及しきれなかったメディアの力量を振り返れば、笑止千万な思いがする。
大体が2020年東京オリンピック招致を偉業のように考えるところに誤りがあり、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一と続く歴代の東京都知事はいずれも政治のアマチュアでしかなく、日本の政治史に名前が刻み込まれることのない泡のような存在だ。
その泡に取材のエネルギーを注ぐより、オバマ大統領の広島訪問とその直前に起きた沖縄の女性殺害事件が、戦後の日米関係を象徴する「原爆投下」と「米軍基地」の存在を浮かび上がらせているのである。メディアはそちらにこそ思いをはせるべきではないか。
舛添知事の豪華出張や公用車での温泉通い、さらには国会議員時代の政治資金問題は誤解を恐れずに言えばよくある話である。舛添氏が独自にやり始めたというより、他の政治家がやっていることを見習い、それを真似しながらやり始めたことだと思う。
従って舛添氏は豪華出張も公用車の使い方も前例があり国会議員時代の政治資金についても自分だけではないと考えている。だから最初のうちメディアの質問に上から目線で反論していた。
ただ舛添氏と他の政治家に違いがあるとすれば、学者であることが後ろめたさを欠落させ、他の政治家ほどセーブを効かせなかったことである。一部の経済学者やエコノミストが脱税にならない節税の方法を編み出して自慢するように、政治学者の舛添氏は政治資金を私的に使う理屈付けを考案することで悦に入っていたのではないだろうか。
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