新ルール導入と記録の価値。今季から大リーグが採用する3インチ大きい拡大ベースに思うこと。
大リーグは今季から幾つかの新ルールを導入する。主だったものは、投球時間制限(ピッチ・クロック)、シフト守備の禁止、拡大ベースの使用。春季キャンプは各球団、新ルールへの適応に余念がない。エンゼルス・大谷翔平選手とアスレチックス・藤浪晋太郎投手の日本人同士の投げあいが注目された2月28日(日本時間3月1日)、アリゾナ州メサのホホカム・スタジアムを視察に訪れた大リーグ試合運営担当執行役員を務めるマイケル・ヒル副会長と話す機会があった。イチロー外野手がマーリンズとして3000安打を達成した2016年、マ軍の編成本部長を務めていたヒル副会長は「拡大ベースがもっと以前に導入されていたら、イチローはずっと早い段階で3000安打を打っていたことでしょう」と語った。
今季のベースは、旧来の15インチ(約38・1センチ)四方から18インチ(約45・7センチ)四方に拡大された。これによって、本塁から一塁への距離は3インチ(約7・6センチ)減少する。MLB公式サイトによると「昨年試験的に導入されたマイナーリーグで、ベース付近の怪我が13%以上減少した」。接触等での安全性が高まる効果や、盗塁などの走塁面で野球が大きく変わる可能性があり、その影響が注目されている。
アリゾナ州ピオリアのマリナーズのキャンプ施設で、会長付特別補佐兼インストラクターとしてチームを指導しているイチローさんを訪ねた際に、拡大ベースの印象を聞いてみた。キャンプ前に、とある撮影で初めて拡大ベースをみる機会があったそうで、「撮影用に準備されたベースなのかなと思いましたから。デカって!びっくりしました。大きさもそうだけど、フラットで高さがなくなったイメージだね」と語った後、「記録の価値を変えちゃうよね」とポツリ。「僕がどうこう言っても仕方ないんですけどね」と、付け加えた。
大リーグは毎年のようにルール改正の試みをマイナーリーグで実施し、改革を進めている。コロナ禍の延長線での自動的二塁走者やダブルヘッダー7回制は元より、ワンポイントリリーフや敬遠の禁止、大谷ルール導入など枚挙に暇がなく、今季から3Aでロボット審判も始まる。選手会は選手の安全を求め、経営側はビジネスの側面から、新しい規格を模索する。今回のルール改正は昨年9月の競技委員会で承認された。委員会は選手会4人、機構が6人、審判団1人で構成されており、選手会は全員反対票を投じたが、その意向は叶わなかった。メジャーのルール改正は今後も断続的に行われるだろう。記録の価値が変わるー。キャリアを通じて記録と真正面から向き合ったイチローさんの言葉に、胸を突かれた。
天才打者・イチローの魅力は、美しいラインドライブや、野手不在の空間に完璧に打球を落とす巧みなバット・コントロールに加え、打った瞬間に向かっている一塁までの到達速度だった。ステロイド全盛期時代に彗星のように現れた韋駄天は、強肩を誇るメジャーの内野手を大慌てさせる内野安打でファンを熱狂させ、米国の野球の見方を変えた。「Fangraphs」のサイトによると、通算3089安打のうち、内野安打は12・2%に相当する551本。一塁ベースが近くなれば、成功率は高まる。一、二塁間と二、三塁間に至っては、4・5インチ(約11・4センチ)減少する。走者のリードも大きくなるはずだ。ベース一周では何と15インチ(約38センチ)の差。2007年オールスター以外、公式戦ではなかったランニング・ホームランや96三塁打、362二塁打、509盗塁などの記録に、”3インチの差”がもたらしたであろうプラスアルファを、我々は、無論、知る術もない。
現役最後の打席は、2019年3月21日、東京ドームでのアスレチックスとの開幕カード第2戦。6回2死一塁の第3打席は、深い遊撃へのゴロ。イチローは俊足を飛ばして一塁を駆け抜けるも、間一髪アウトに。開幕カードは5打数無安打、1四球に終わり、現役を引退した。ピオリアからの帰り道、イチローさんの言葉を反芻しながら、野暮を承知で、ついつい、拡大ベースが4年前に導入されていたら…などと考えたのだった。