東大前刺傷事件で有罪判決 なぜ現場は「東大」だったのか? なぜ少年は自爆したかったのか?
いわゆる東京大学前刺傷事件の判決が出た。懲役6年以上10年以下の不定期刑だ。
事件は、昨年1月、名古屋市に住んでいた17歳の高校生が、夜行バスで東京に来て起こした。少年は地下鉄の車内や駅構内で着火剤を投げた後、大学入学共通テストの試験会場だった東京大学を目指した。
そして、キャンパス前で、内ポケットから包丁を取り出し、走りながら受験生の男女2人と通行人の70代男性を包丁で刺して重軽傷を負わせた。
なぜ「東大」なのか?
この事件について、今回もまたマスコミは「大学受験の挫折」というお決まりの「犯罪原因論」から報道した。
しかし、ではなぜ「東大」なのか。名古屋でもよかったのではないか。家庭内でもよかったのではないか。マスコミはそれに答える使命がある。
この事件は、マスコミが報道するような無差別事件ではない。「東大」を差別的に選んだ事件だ。この少年も「誰でもよかったが、象徴的な場所でやりたかった」と言っている。
ではなぜ「東大前」なのか。それは、「幸せ」のシンボルをターゲットにした「自爆テロ型犯罪」だからだ。自爆テロ型犯罪とは、逮捕されてもいいと思って犯行に及ぶ犯罪。古くは、大阪教育大付属池田小事件や秋葉原事件があるが、最近は発生間隔が短くなっている。
大阪教育大付属池田小事件や、スクールバスを待っていた私立カリタス小学校の児童が刺殺された事件は、エリート小学校がターゲットとなったので分かりやすい。
しかし、秋葉原事件や、ハロウィーンの夜に悪のカリスマ「ジョーカー」に似せた男が京王線の乗客を襲った事件は、ターゲットが分かりにくい。
しかし深く考えれば、秋葉原事件は、秋葉原という「ゲーム・アニメの聖地」が、京王線事件は、ハロウィーンという「歓喜の夜」がターゲットとなったことが分かる。
いずれも、「幸せ」のシンボルとして、人々の意識の中に組み込まれているイメージだ。
ターゲットは画一化教育
では、東大前刺傷事件のターゲットは何か。それは「平均化・画一化教育」だ。厳密に言うなら、平均化・画一化教育に基づく「幸せ」を生み続けてきた源泉「東京大学」である。
平均化・画一化教育は、マスコミがしばしば取り上げる偏差値教育だけではない。
子どもの弱点を引き上げて平均的(画一的)な人間をつくることを意味する。
そうした平均化・画一化が、日本に特徴的な「同調圧力」によって、未だに強力に推し進められている。
しかし、これではイノベーションは生まれない。経済の低迷をもたらした「失われた30年」の大きな要因が、この平均化・画一化教育なのだ。
そして、「失われた30年」が不公平感を醸成し、安倍元首相銃撃事件や岸田総理襲撃事件といった「自爆テロ型犯罪」を起こしている。
平均化・画一化教育を受ける子どもは、想像力や予測能力が育たない。子どもは周囲に合わせていればいいからだ。
しかし、それでは犯罪に手を染めた結果も想像できなくなる。
若者たちは、想像力や予測能力が欠けているからこそ、高収入をうたう闇バイトに応募してしまう。これが続発する「ピンポイント強盗」の背景だ。
東大前で切りつけた少年も、想像力や予測能力が高ければ、事件を起こさなかったかもしれない。
狙われやすい子ども?
平均化・画一化教育の分かりやすい例が、小学1年生がかぶっている「黄色い帽子」だ。複数の誘拐犯が「黄色い帽子が目印」と供述している。
しかし、雰囲気(空気感)が支配する「犯罪原因論」では、危険性に気づけない。「犯罪機会論」の視点で初めて「黄色い帽子」の犯罪誘発性を理解できる。
しかし、危険性に気づいても、同調圧力があるので、かぶるのをやめにくいのが現状だ。
この点で、広島と栃木の誘拐殺害事件が思い出される。その被害者が、どちらも小学1年生だからだ。
そもそも、子どもの連れ去り事件の8割は、だまされて自分からついていったケースだ(警察庁調査)。
「最もだまされやすい1年生」という情報を犯罪者に教えるのは、犯罪機会を与えることにほかならない。
なお、広島と栃木の誘拐殺害事件については、下記の記事を参考にしていただきたい。
交通安全を願って「黄色い帽子」をかぶらせるなら、それでも狙われずに済む方法を考えた方がいい。その出発点が、平均化・画一化教育からの脱却である。
つまり、平均的(画一的)な人間ではなく、長所を伸ばして個性的(多様)な人間をつくることだ。
こうした発想の転換が、1年生を狙った誘拐事件を防ぎ、ピンポイント強盗を防ぎ、さらには、東大前刺傷事件のような「自爆テロ型犯罪」を防ぐのである。