連続幼女殺人事件だった? 別事件の受刑者が関与を供述 加古川小2殺害事件は「この場所」で襲われた
2007年、兵庫県加古川市で、小学2年の女児が刺殺された事件について、昨日、急展開があった。岡山県津山市の小学3年の女児を刺殺して服役中の男が、殺害をほのめかしたのだ。
幼い子どもが自宅前で殺害された事件は、長く未解決だったが、ここにきてようやく、解決へと歩み始めた。以下では、この事件から導かれる教訓を探ってみたい。
犯罪はどこで起こる?
「人がトラブルに巻き込まれるのは知らないからではない。知っていると思い込んでいるからである」。
アメリカの作家マーク・トウェインは、そう語ったと伝えられているが、犯罪にも同じことが言える。
日々の生活の中で、多くの人が犯罪に巻き込まれているが、それは偶然であって、運が悪かったと諦めている。
しかし、ほとんどは、犯罪発生の確率が高い状況で起こっている。言い換えれば、確率さえ分かっていれば、犯罪を予測し、防げたはずなのだ。
問題は、どのようにして犯罪発生の確率を測定し、犯罪を予測するかである。
日本では、「だれ」が犯罪を行おうとしているのかを見極めることによって、犯罪を予測しようとしている。そのため、地域では、不審者を探すパトロールが行われ、学校では、子どもたちに「不審者に気をつけて」と教えている。
しかし、不審者という名の「危ない人」によって、犯罪を予測することは不可能に近い。なぜなら、見ただけでは分からないからだ。要するに、「不審者」に注目するやり方は、防犯効果を期待できない。
一方、海外では、見ただけで分かる「危ない場所」に注目している。
そうした立場は「犯罪機会論」と呼ばれている。ここで「犯罪の機会」とは、犯罪が成功しそうな状況のことだ。つまり、犯罪を行いたい者も、手当たりしだいに犯行に及ぶのではなく、犯罪が成功しそうな場合にのみ犯行に及ぶと考えるのである。
とすれば、犯罪者は場所を選んでくるはずだ。そこで、犯罪機会論では、犯罪者が選んだ場所、つまり、犯罪者が犯罪に成功しそうだと思った場所の共通点を研究してきた。その結果、犯罪者が好む場所は、「(だれもが)入りやすく、(だれからも)見えにくい場所」であることが分かった。
「入りやすい場所」では、怪しまれずに標的に近づくことができ、だれにも邪魔されずに犯罪を始められる。
また、入りやすいということは、逃げやすいということでもあるので、「入りやすい場所」では、犯行後すぐに逃げられそうで、捕まりそうな雰囲気はない。
一方、「見えにくい場所」では、だれにも気づかれないまま標的を探すことができ、邪魔されずに犯罪を完結できる。
また、そこでは、犯行が目撃されにくく、警察に通報されることもなさそうなので、捕まりそうな雰囲気もない。
このように、だれもが入りやすく、だれからも見えにくい場所は、犯罪者も入りやすく、犯行が見えにくい場所なので、犯罪者に好まれる場所なのだ。ほとんどの犯罪は、この「入りやすく見えにくい場所」で起きている。
「入りやすく見えにくい場所」は、物理的な条件だけでなく、心理的な条件としても特徴づけられる。つまり、心理的に入りやすく、心理的に見えにくい場所も、犯罪が起こりやすい場所なのだ。
犯罪者にとって、心理的に「入りやすく見えにくい場所」は、乱れやほころびが感じられる場所である。
そう感じさせてしまうシグナルとしては、落書き、散乱ゴミ、放置自転車、廃屋同然の空き家、伸び放題の雑草、不法投棄された家電ゴミ、公共施設の割れた窓ガラス、野ざらしの廃車、壊れたフェンス、切れた街灯、違法な路上駐車、公園の汚いトイレなどがある。
このような場所は、管理が行き届いてなく、秩序感が薄いので、犯罪者に警戒心を抱かせることができず、犯罪者も気軽に立ち入ることができる「入りやすい場所」だ。
同時に、その場所のことに無関心・無気力・無責任な人が、その周辺には多いことが推測されるので、犯罪者からすれば、犯罪を行っても見て見ぬ振りをしてもらえそうな「見えにくい場所」にもなる。
加古川小2殺害事件の検証
加古川市で女児が刺殺された場所も、物理的にも心理的にも「入りやすく見えにくい場所」だった。
しかも、そこは、2008年に、千葉県東金市の路上で、保育園児(5歳)の遺体が全裸の状態で発見された場所に驚くほどよく似ている。
加古川と東金の遺体発見現場のどちらも、バス通りからすぐの場所であり、しかも、歩道にはガードレールがないので、「入りやすい場所」である。
また、「見えにくい場所」という点では、加古川と東金の遺体発見現場のどちらも、真向かいには一戸建ての住宅があるが、それ以外から、人の自然な視線が注がれることは期待できない(写真1、写真2)。
というのは、加古川の現場は、空き地と空き家に囲まれ、東金の現場も、資材置き場、公園、駐車場に囲まれていて、だれにも見てもらえそうにないからだ。
真向かいには住宅があるものの、道路にはカーポートが接しているため、その分、建物が後退していて、視線が注がれにくくなっている。
より重要なことは、1カ所からの視線が確保されているだけでは、「見えやすい場所」にはならないということだ。
犯罪者は、同時に2カ所からの視線の有無は確認できないので、2カ所から自然な視線が注がれている場所では犯行をためらう。だが、1カ所からの視線の有無であれば容易に確認できるので、自然な視線が1カ所しかない場所では、犯行をためらう可能性は低い。
このように、加古川と東金の遺体発見現場は、どちらも、物理的に「入りやすく見えにくい場所」であったが、それだけでなく、心理的にも「入りやすく見えにくい場所」でもあった。
というのは、加古川の現場周辺にはおびただしい不法投棄ゴミがあり、東金の現場周辺にも落書きがあったからである。
最も象徴的なのは、加古川の現場横の空き地にも(写真3)、東金の現場の斜め向かいの側溝にも(写真4)、放置自転車があったことだ。
このように、事件現場を検証すると、同じような犯行パターンが繰り返されていることが分かる。
したがって、この犯行パターンを読めれば、そこから類推して、犯罪者が次に選ぶ場所、つまり、犯罪発生の確率が高い場所を見抜くことができるはずだ。そして、それを導くのが、「入りやすい」「見えにくい」というキーワードなのである。