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宮﨑勤事件から36年 誘拐の手口を踏まえた「日本初の絵本」登場 「不審者に注意」では子どもを守れない

小宮信夫立正大学教授(犯罪学)/社会学博士
写真はイメージです(写真:写真AC)

なぜ今、絵本なのか

日本では「がんばれば何とかなる」の精神論が強い。そのため、子どもの安全対策も、「襲われたらどうするか」のクライシス・マネジメント(危機管理)になっている。

例えば、「防犯ブザーを鳴らせ」「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」の場面では、すでに犯罪が始まっている。つまり、子どもは絶体絶命の状況に追い込まれている。

これまでに出版された防犯絵本も、筆者の知る限り、すべてクライシス・マネジメントに基づくものだ。

一方、海外ではアカデミックな「犯罪機会論」が普及し、その結果、子どもの安全対策は、「襲われないためにどうするか」のリスク・マネジメント(危険管理)になっている。そのため、確実に被害を回避できる。

クライシス・マネジメントを交通安全に当てはめるなら、「車にぶつかったときは柔道の受け身をとれ」になってしまう。これに対し、リスク・マネジメントでは、「車が来ていないか、左右を確認してから渡れ」になる。

つまり、日本では、交通安全で常識だと思っていることが、防犯ではその反対を実践しているのだ。したがって、日本は、防犯のガラパゴス状態にあると言わざるを得ない。

さらに、問題なのは、クライシス・マネジメントが実態に合っていないことである。なぜなら、子どもの連れ去り事件の8割は、だまされて自分からついていったケースだからだ(警察庁「略取誘拐事案の概要」)。

そもそも、子どもを狙った犯罪者は、いきなり襲ってきたりはしないのである。

こうした理由から、防犯絵本についても、リスク・マネジメントに基づくものが求められていたが、このたび、ようやく「日本初のリスク・マネジメントの絵本」が出版された。筆者も監修者として、この企画の実現を後押しした。

出典:池田書店のX(旧ツイッター)

今回出版された絵本は、「犯罪者と対決する絵本」ではなく、「犯罪者に狙われないための絵本」である。そのため、「不審者に気をつけて」といった精神論は掲載されていない。もちろん、「不審者を発見せよ」とか「不審者に抵抗せよ」といった非現実的な対応も求めていない。

犯罪動機を持つ人間(不審者)を外見から識別することは大人でも難しい。だからこそ、警察官は職務質問するのだ。子どもに同じことを要求するのは酷である。

4人の子どもを次々と誘拐し殺害

クライシス・マネジメントが「子どもの安全」に有効でないことは、事件を検証してみれば分かる。例えば、有名な「宮﨑勤事件」も、クライシス・マネジメントでは防げなかった。

今も起きている誘拐事件の犯行パターンは、この事件とほぼ同じなので、この教訓は重要である。

以下に宮﨑勤事件の手口を再現してみよう(東京地方裁判所判決に基づく)。

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宮﨑勤は、日産ラングレーのハンドルを握り、埼玉県川越市から東京都青梅市に向かう途中、急に尿意を覚えた。大きな団地が見えたので、公衆トイレがあると思い、車を停める。

だがトイレはどこにも見当たらない。仕方がないので木陰に移動し、立ち小便をした。

何気なく団地の一角から大通りに出る。すると、目の前を女の子が歩いていた。女の子は、一人で友達の家に向かっていたのだ。

後ろからついていくと、女の子が歩道橋の階段を上り始めた。宮﨑はすぐさま道路を横切り、反対側の歩道に出て歩道橋に急ぐ。そして反対側の階段を上っていく。

宮﨑勤事件の連れ去り現場(筆者撮影)
宮﨑勤事件の連れ去り現場(筆者撮影)

宮﨑の計算通り、橋の上で、女の子が向こうから近づいてきて宮﨑と対面した。

宮﨑が腰をかがめ、笑顔で声をかける。しゃがんだのは、親しみを演出するだめだ。

「今日は暑いね。とっても嫌だね。でもね、お兄ちゃん、これから涼しいところに行くんだ。いいでしょう?」

「……」

女の子は、きょとんとしている。

「一緒に行く? 今、来た道でいいんだよ。お兄ちゃん、先に行くから、よかったらついてきて。じゃあね」

宮﨑はその場を離れ、歩道橋の階段を下りていく。宮﨑が上ってきたのとは反対の階段だ。

女の子は一人、橋の上に残されて考えていた。が、ほどなくして、宮﨑の後を追って階段を下りていく。

大通りの歩道を歩く宮﨑。しかし、女の子を待とうとせず、5メートルくらい前を歩いている。女の子と並んで歩かないのは、誰かに見られても、誘拐していると思われないためだ。

しかも、この道は、団地の窓から見られることはない。道路に面しているのは窓のない壁だからだ。

団地の駐車場に着き、女の子が車の助手席に乗り込む。

そして、車が変電所に着くと、二人は車を降り、林道を歩いていく。

「ちょっと休もうか」

二人が道の斜面に腰を下ろすと、女の子がしくしくと泣き始めた。

宮﨑は誰かに泣き声を聞かれるかもしれないと思い、女の子を仰向けに押し倒し、両手で首を絞める。その結果、女の子は窒息死してしまった。

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このように、誘拐犯は児童心理のスペシャリストであり、子どもは簡単にだまされる。

この事件では、歩道橋を反対側から上ることで「偶然」を装い、腰をかがめて目線を同じ高さにして「親近感」を抱かせ、先を歩くことで「警戒心」を解きながら、「追従心」を呼び起こしたのだ。

こうした「だまし」が入る事件に、クライシス・マネジメントは無力である。

要するに、クライシス・マネジメントでは、宮﨑勤事件を防げず、今起きている誘拐事件も防げない。

対照的に、リスク・マネジメントなら「だまし」が入る事件を防げる。

「危ない人」から「危ない場所」へ

リスク・マネジメントに必要な能力は「景色解読力」だ。

景色解読力とは、犯罪が起きやすい(犯罪者が現れやすい)「入りやすく見えにくい場所」を見抜く能力である(犯罪機会論に基づく)。

景色が「だまし」に気づかせてくれる。人はウソをつくが、景色はウソをつかないからだ。

したがって、重要な対策は、

①「入りやすく見えにくい場所」に行かない、

②行かざるを得ないときは一人では行かない、

③どうしても一人で行かざるを得ないときは、誘われても頼まれても断る、

ということになる。

このように、景色解読力の向上には、暗号を解読するコードブックのように、「入りやすい」「見えにくい」という「ものさし」が必要だ。

今回出版された絵本も、この「ものさし」を用いている。

この絵本では、迷路や間違い探しといった「遊び」を通して、楽しみながら「景色解読力」を向上させられる。つまり、危険な「入りやすく見えにくい場所」が自然に分かるようになるのだ。

以下に、その一部を公開しよう。

ここで言う「ちがうところ」が、学術的には犯罪機会論(防犯環境設計と割れ窓理論)に関係するポイントである。

この絵本が、子どもの安全に貢献することを心から願っている。

犯罪機会論が学べる間違い探し(出典:あぶないばしょはどっち?)
犯罪機会論が学べる間違い探し(出典:あぶないばしょはどっち?)

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士

日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ――遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

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