【今日は韓国の何の日?】1月5日 1982年「夜間通行禁止令解除」 市民の”恐怖”消える
1982年1月5日、この日を最後にソウルほか韓国のほぼ全域で「夜間通行禁止令」が解除された(解除実施は1月6日から)。
全斗煥軍事政権下にあった当時、「秩序の維持」の名目で深夜の外出が禁じられており、時代によって0時から翌4時までは家にいなければならなかったのだ。
日本による統治時代終了直後の1945年9月、米軍政保護令第1号として施行されて以来、これが36年4ヶ月続いていた。市民からは「通禁(トンクム)」と呼ばれていた。
- 5日の「YTN」も1982年の今日を最後に解除、と報じた
対象地域や時間帯には多少の変化があった。1945年当初はソウルと仁川が対象地域だったが、朝鮮戦争休戦翌年の54年4月からは全国に拡大。64年には済州、65年には忠清北道が解除されたりもしたが、この制度自体が韓国から完全に消えることはなかった。
時間帯は当初、22時から翌4時までだったが、1961年に時間帯が0時から翌4時に短縮された。
韓国各メディアは例年、1月5日にはこの”解除記念日”の様子を報じる。解除以前の様子を2009年1月5日の「京郷新聞」はこう伝えた。
- 違反者が拘束される様子
「0時にサイレンが鳴ると、通りのあちこちに鉄製のバリケードが設置される。路地には2人1組の夜警団が木製の小さな器具を打ち、『通禁(トングム)』と叫んだ。違反者はすぐに拘束され、簡素化された裁判にかけられた。そして罰金を支払わなければならなかった」
23時頃のソウルでのタクシーの奪い合いは、時代の象徴でもあった。1971年に発表された歌手べ・ホの「0時の別れ」という楽曲が即座に当局の禁止曲に指定される出来事もあった。「男女が0時(夜12時)に別れるのは、通禁違反」ということだった。
市民の生活に大きな影響を与えていた「通禁(トングム)」。時の全斗煥政権が1982年1月5日にこれを解除した背景を「京郷新聞」はこう記す。
「(民主化運動である1980年5月の光州事件により)光州市民の血の上で政権を担うことになった全斗煥政権は、自分たちの正統性欠如を補完するために様々な柔和政策が必要だった。学生の制服や頭髪の自由化、海外旅行の自由化、政治・思想犯の恩赦、宝くじの実施などが夜間通行禁止令の解除と似た文脈で行われた」
「また(1988年)ソウルオリンピックや、その前年のアジア大会開催のためにも夜間禁止令解除は必須だった。そのままでは開催は不可能だっただろう。実際に82年の解除はソウルオリンピック誘致決定後行われたものだった」
- 1982年、83年に実施された学生の髪型と制服自由化のニュース。髪型については当時男女ともに「短い髪型」と定められていた
この2020年代、コロナ時代に韓国は日本よりもより厳しい「当局からの規制」が敷かれている。「夜の会食に人数制限を設け、これを地方自治体がパトロール。違反者のみならず店側にも過料」「公共の場でのマスクなしにも過料」といったものだ。厳しく出られる背景のひとつに「40年前までは強い規制があった」という点からの”慣れ”もありそうだ。
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