末期がんで苦しみながら死刑判決を争う被告の獄中からの手紙
今年3月に死刑判決を受ける一方、昨年末期がんであることが判明して闘病を続けている名古屋拘置所の山田広志被告からその後も手紙が何通も届いている。がんによる健康状態悪化のほうが大変そうなのだが、以前の記事は下記だ。この記事は、予想以上に反響が大きかった。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/8879661b89b1482947787f955034deea5635d355
がんで死ぬか死刑執行か…死刑判決の前に末期がんを宣告された被告が面会室で語ったこと
山田被告は名古屋地裁の差し戻し審で死刑を宣告され、現在、高裁で争っているのだが、争点は彼の犯した罪が強盗殺人なのか、殺人及び窃盗なのかで、それによって死刑か無期懲役かに分かれる。
しかし本人はそんなことよりももうひとつ、昨年、末期のすい臓がんであることを宣告されており、余命いくばくもない状態だ。十分な治療も行われない獄中で苦しみ、「もういいんです。早く死刑を確定させて医療刑務所に行きたい」と言っている。死刑執行で死ぬか、がんで死ぬかという究極の選択を迫られているのだ。人間の死、そして死刑制度について考えさせられる事態だ。
彼の犯した犯罪については前の記事に書いた。生活保護を受けながら生活している時に、近所の女性に「仕事もしてないのにいいご身分ね」と言われて逆上し、包丁で彼女と夫を刺殺してしまったというものだ。現場にあった財布を奪って逃走したのだが、中身は1227円だった。初めから盗むつもりはなかったので窃盗だと本人は主張し、最初は無期懲役が宣告されたが、最高裁で差し戻され、強盗殺人と認定されて死刑判決をくだされたのだった。
死刑と無期懲役は大きな違いなのだが、その裁判中に末期がんがみつかり、それどころではなくなった。この間の手紙を見ると、健康状態はかなり危機的な様子であることがうかがえる。
ここでは9月12日、13日、20日、そして10月10日に山田被告が書いた手紙の内容を紹介する。同時にちょうど11月3~5日に開催された「死刑囚表現展」に展示された溝上(旧姓・山田)浩二死刑囚のイラストも紹介する。
本人がつけたタイトルは「Give a loud cry! お~い広志ぃ~!届けこの声、白壁に 2023年7月7日に」だ(C:死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金)。
この寝屋川中学生殺害事件の旧姓山田浩二死刑囚(大阪拘置所)と、ここに書いている山田(旧姓・松井)広志被告は、実は何年か前に養子縁組をしている。
ここで指摘したいのは、この溝上死刑囚の作品が大阪拘置所によってセリフ部分を真っ黒に塗りつぶされてしまったという話だ。死刑囚というのがどういう状況に置かれているかを示す話なのだが、その事情については、後述したい。
まずは名古屋拘置所の山田被告の手紙を紹介していこう。
あまりの苦しさに便器に10分以上首を
《8月31日午後1時30分 法テラスの弁護士(代理人)が名古屋拘置所にて証拠保全しました。もちろん私の件ですが、7月8日(土)にて、具合が悪く、看守に言っても、「休日だから、どうも出来ない」と言われ、しばらくして、私は畳の上に倒れました。
その時は何人かの看守が来て、ベッドの上まで連れてってくれて、体温計、血圧、パルスメーター(指にハメるのです)をして、問題なしと思ったのか。それ以上の対応はしてくれませんでした。
その日は、ずーと具合が悪く食事も一切受け付けません。夜も苦しくて、眠れません。7月9日(日)は、もう、具合が悪いというより、苦しくて苦しくて、便器に行くにもハイハイしながらゲーゲー吐いても、出る物がないので胃液しか出なくて、それがまた、苦しいんです。
何度も何度も繰り返し、ドアの方から「大丈夫か」という看守の声は聞えましたが、私は喋れる状態じゃなく、力も入らず、便器に10分以上は頭を突込んでました。
で、自力で便器から頭を出して、そのままうしろに倒れました。その状態がしばらく続いても、看守は一切私を放置してました。で、ベッドまで何とかハイハイして戻り、新聞を読もうと思って広げても内容がサッパリ頭に入ってこないし、気持ち悪いのと苦しいのがこのまま永遠に続くのか? もうダメだ、早く楽になりたいと思ったのでしょう。ノートに遺書を書いて、タオル(白色)を手に持って、ベッドの転落防止の鉄パイプにタオルを通して首に巻き、首吊り自殺を試みたらしいです。
私もパニックになってたので、余りの苦しみに、直ぐ、バタバタと看守が来たのです。その中の偉いさん(女性の統括さん)が「タオルを渡しなさい!」と言ってきて…私はタオルを投げて渡しました。それから、保護房に半日入れられました。
その保護房がまた私を苦しめて、体調がどんどん悪くなっているのが自分でも分かりました。室部に戻してくれましたが、そこは、自殺防止部屋で、何にもないんです。ベッド、マットと布団だけです。
次の7月10日に医務室に連れてかれて、医師から「脱水症状です」と言われ、熱も38・3度あり点滴を2本打って、オーエスワンっていう熱中症の方とか脱水症状の人が飲むらしいものを2本飲みました(ペットボトル500)。
あまりの名拘(名古屋拘置所)の対応の理不尽さに、法テラスの大野鉄平氏に面会に来て頂き、今回にいたりました。で、ビックリしたのが、名拘は、私が居た舎房(室部)のカメラとフロアーの通路のカメラを上書きして、証拠隠めつしたのです。ですが何とか連行時のハンディーカメラと保護房と書類系は、大野先生いわく、うまくいったらしいですが、カメラの画像の看守達の顔をモザイクするのに何カ月も経つらしいです(苦笑)。
かなうならば、医療刑務所に行きたい
体調の方は良くないです。名拘の医師は、前々から私がCTスキャンしてくれとお願いしているのに、何回かは「上が決めることですので、私の方からも伝えてますので気長に待って下さい」とか言ってたのが、最近は「もう山田さんの場合はCTスキャンしても意味がないんです」とか、要は末期がんなので、CTスキャンしても税金の無駄だと思ってんですかね。
体重も7月に篠田さんと面会した時より4キロは減少しました。今、55・8キロ、身長180センチ。医師にこれじゃー身体の体力もないと栄養不足で、抗がん剤治療もできなくなるので何とかして下さいと言っても、一切、無視です。
名拘で9月5日の夜に同じフロアーで、電気ショックの機械的な声がして、バタバタして騒がしかったのですが、救急車のサイレンの音が聞えなかったので、看守が救急車も呼ばずに、自分らで対応したんでしょう! 次の日に新聞を読んだら、ステージ4の60代の男の人で、がんらしく。ビックリしましたよ。私も、名拘に殺されると思うと…やるせないです。
本当に具合が悪く、休日、夜は特にひどいです。今、私は、外の病院に連れてってもらいたいのですが、それも叶わないので、何のための延命かサッパリです。
もう本当は、控訴を取り下げたい気分です。が、ボランティアでされている弁護士もいて、頑張って下さるので、むげにもできません。
でも、私は、高裁で死刑が決まるならいいですが無期になるのは困るんです。そうすると、必ず検察が控訴してくると上告になる。私は今件で死刑判決が出たら、上告はしないか、しても途中で取り下げます。もう、もどかしくて、何もかも疲れました。
私はかなうならば、医療刑務所に行きたいです。こんな、ろくでもない医療の質が最悪な所では、余命の人生も長くないでしょう!
それでは、生きる限りまで! 2023年9月12日
PS 上告をやめたからといっても、それは、強殺を認めたためでは、決してありません。》
身体が衰弱して下痢に悩まされる毎日
《この前に篠田さんからお手紙を頂いた時もあまり体調がよくなかったんですが、本日9月13日の午前(起床前)、日が昇ったぐらいから、毎日の日課になってしまった下痢に悩まされ、それがまた腹が痛くなり、ただでさえ、ここん所、ずーと食欲不振プラス、超・食欲不振で、昨日の昼食はまーまー私が好きなイカの揚げ物だったので1つ食べたら、2つ目が何だろう? 拒絶反応しているのに自分が食べれる食物ぐらいは食べないと、体力がもたんと思い食べたのです。その2つでもう腹が一杯で、米は一切食べたいと思わず、食後薬を飲んだら、食べた物を吐いてしまい。ちょっとおかしかったんです。
前もそうで、好きな食べ物の時は米が少しは入るのですが、ここん所は、ずっとダメで、本日9月13日の朝にフロアー担当さんに腹が痛いと伝え、医務診察をお願いし、朝食も食べる気はなかったのですが、みそ汁ぐらいは食べといた方がいいかと思い食べたら、すぐトイレに行きたくなり、下痢しました。
それからが大変で、腹がハンパなく痛くて、医師は朝の9時出勤なので、来たら、すぐ診察してくれると言われ、その間は我慢してたのです。で、医務室に行く前に胸と腹のレントゲンを撮って、血圧や体重計、採血をし、ベッドで横になっていました。
その後、医師から、レントゲンの画像を見せてもらいながら、説明されたのですが、私は1~2カ月前ぐらいから、肝臓がはれていると言われてました。肝臓の辺りが触わったり、圧迫されると痛いんです。その肝臓が他の臓器も圧迫しているようで、それで、他の部分も痛むらしいです。
で、問題なのが、肝臓が弱っているために、食べた物すべてを消化できないために、栄養がすべて、下痢として、出て行くらしいのです。ですので、プラスと言うよりも毎日マイナスで、その結果、体重が減少してたらしいです。要は、私の身体は衰弱していたのです。
ですので、医師いわく、腸だか肝臓を休めるために、今日9月13日の午前10時~午後4時まで、点滴3本とオーエスワンを1本、明日も点滴となるでしょう。同じ点滴3本とオーエスワン。で一日中、絶食。明日もでしょう。私が思うに9月15日(金)もするでしょうが、本来の病院なら、このような点滴は一日中しっぱなしなんです。
私はこのブドウトウの入った栄養剤の点滴は交通事故で入院してる時に1カ月してました。針もそのままつけっぱなしで、栄養剤の袋だけ看護師がなくなりそうな時につけ替えてくれてました。24時間。ですが拘置所は、医務の人が5時(夕方)過ぎには帰るので、それがきっとできないんです!
なので、この点滴の針を抜いて、また、明日するのです。
この注射というか点滴は、けっこう痛いんですよ。ましてや土・日は医務は誰もいないので、この点滴ができないと思います。
本当でしたら、入院のレベルです。それでも、本日が平日で良かったです。少しの時間我慢はしましたが、何とか医師が対応してくれました。本当はもっと前から症状を訴えてた時に早く対応してくれてれば、身体が衰弱までにはいかず体重もこんなに減少することはなかったのですが、後の祭りです。
それでは点滴しながら手紙してますので、疲れましたので、この辺で失礼します! 2023年9月13日》
疲れた。早く死刑になりたい
《本当に調子が悪いのですみません。質問の件だけ、ショートに答えます。
今は抗がん剤は中止してます。身体が衰弱してるので抗がん剤治療はできません。
今は点滴ばかりです。ただ、土・日は病院でもないので、対応してくれないので、栄養は取れてません。点滴を打ってもぜんぜん栄養不足です。オーエス1を毎日ですが飲んでます。
9月28日は高裁の公判日です。争点は窃盗か強盗かです。
ですが、もういいんです。早く死刑になりたいです。疲れました。確定して、医療刑務所に行くことが今の願いです。 2023年9月20日
PS 今は手紙よりも面会の方が楽でして、10月前後までは未決囚なので、その間の私に関する記事でしたら私に送って下さい。》
入院はしたが、24時間手錠生活
次に紹介するのはこの10月に届いた手紙だ。なんと容態が深刻だと判断されて病院に移るという事態になったのだった。
《お世話になっております。
私の方は、前回にお手紙を出した頃よりも具合が悪くなり、体重も51・8キロまで落ちてしまい、毎日、点滴(休日以外)とオーエス1を2本と絶食をしましたが体調が良くならず、このままだと、俺はもうヤバイなぁと思ってました。
9月22日の朝一に突然、看守から「今から病院に行くぞ」と言われ、車で30分近く走りました。そして、一体ここはどこの病院だろうか?と思いながら、CTスキャンや採血やおしっこの検査をしました。
今いる病院名は書いてはダメと言われている為に書けませんが、すい臓がんの専門院です。主治医の先生いわく、結果に関係なく入院して下さいとのことです。抗がん剤が体力的に出来ない為に、今は緩和ケアの入院と思ってくれていいです。
入院してからは、下痢もなくなり、食事も拘置所のクソまずい飯が今はシャバと似てるので、味は薄いと言われています。病院食が、今の私には超旨くて、体重が5キロ増えました。なので、ちょっとずつですが体力が戻ってきてはいます。ただ、がんそのものは消えないので、痛みはちょっとずつ出て来て、身体の痛みは痛み止めの薬で散らしています。
がんでいずれ死ぬことには変わりはありません。拘置所側もそれをわかっているので、10月10日に医務課長や施設の人とかが病院まで来て、私が延命をするか(息が止まった場合)、それとも、そのまま楽にがんの余命で死ぬのを望むかという書類にサインがほしいと言われて、私は、延命せず、余命で息が止まれば何もせず、そのまま楽に死なせてほしいとサインをしました。
まだ痛み止めも、モルヒネを使ってないので、今のところは、まだ生きられそうですが、それは私の勝手な考え方であって、実際は明日のことはわかりません。
私に死刑判決するのは、別に構わないのだけど、人は一度しか死ねない訳であって、私が末期がんを宣告されて死を受け入れた訳で、そこに死刑判決を下されて、一体それが何の意味を持つのかがサッパリわからず…裁判の意味すら薄れてる感があるのが正直な気持ちです。
とにかく、入院して少しずつ回復してきたので、入院できたことに、正直驚いています。拘置所側も、ただの検査入院で3日ぐらいと思ってたらしく、本当の入院になってからバタバタしてました。
ただ、24時間中、手錠してますし、毎日、看守が個室に3人居ますので、看守のイビキがうるさい時もあるので、別のストレスは溜ります。 2023年10月10日》
「死刑囚表現展」のイラストが黒塗りされた理由
さて前掲のイラストは、「死刑囚表現展」に出品された溝上(旧姓・山田)浩二死刑囚の作品だ。ここに手紙を紹介した名古屋拘置所の山田(旧姓・松井)広志被告は、その溝上死刑囚と養子縁組をして山田へと改姓したのだが、そもそもの元祖・山田死刑囚のほうはその後、溝上と改姓した。ややこしい話だが、その死刑囚の作品が拘置所の判断でなぜ黒塗りになり、そこに何が書かれていたのか。
実は塗りつぶされた部分にはこういうセリフが書かれていた。
「すい臓癌なんかに負けるな。俺なんかより先に死ぬな。Never give upやで。皆応援してる、頑張れ」
別に黒塗りされるべき内容ではないのに、なぜそれが黒塗りになったかといえば、恐らく獄中者同士の通信にあたると判断されたのだろう。「2023年7月7日に」という表記は、それが月刊『創』(つくる)本誌8月号の発売日だから、その号の山田広志被告の手記を読んで、溝上死刑囚は、この作品を描こうと思いついたのかもしれない。
ちなみにこの寝屋川中学生殺害事件の溝上死刑囚や、相模原障害者殺傷事件の植松聖死刑囚は、『創』に獄中手記を書いてきた関係もあって、今でもやりとりができているし、『創』を愛読している。
重篤な病状にもかかわらず十分な治療も受けられないとか、書いたものを黒塗りされるとか、死刑囚をめぐる状況はやはり厳しいと言えよう。末期がんと死刑判決という山田被告の直面した困難は今後どうなるのだろうか。