Yahoo!ニュース

がんで死ぬか死刑執行か…死刑判決の前に末期がんを宣告された被告が面会室で語ったこと

篠田博之月刊『創』編集長
名古屋拘置所(筆者撮影)

異例の展開をたどった裁判の行方

 山田(旧姓・松井)広志被告は名古屋拘置所の面会室に松葉づえをついて現れた。以前から脚が不自由で、法廷には車椅子で出廷している。

 事件当時は松井姓だったが、寝屋川中学生殺害事件で死刑が確定している山田浩二死刑囚と何年か前に養子縁組をして山田姓になった。といっても、その山田死刑囚自身は、獄中結婚で水海姓になり、現在は溝上姓だ。

 その改姓の経緯は今回のテーマと関係ないので、話を名古屋拘置所の面会室に戻そう。山田広志被告は2017年3月、名古屋市で80代の夫妻を刺殺、現金1227円の入った財布を奪ったという事件で裁判が続いているのだが、この裁判も異例の展開をたどっている。

 強盗殺人の罪で起訴されたのだが、2019年の1審名古屋地裁は、強盗でなく窃盗の罪を適用して無期懲役を宣告した。ところが20年の名古屋高裁判決は、強盗目的を推認できるとして審理を名古屋地裁に差し戻すという判決だった。被告は最高裁に上告したが、最高裁も2審判決を支持。再び名古屋地裁で、裁判員裁判が行われた。

 その差し戻し審の判決は今年2023年3月2日に出され、裁判長は強盗殺人罪を適用し、死刑を宣告した。殺害後直ちに夫婦宅を物色していた点を重視し、「殺害時点で強盗目的があった」という認定を行ったのだった。窃盗なのか強盗なのかで、死刑と無期懲役が分かれるというのがこの裁判だった。

死刑判決の前に末期がんの宣告

 死刑判決は一般的には衝撃のはずだが、法廷で宣告を受けた山田被告は「だから?という感じでしたね」と言う。実は彼は2022年、拘置所ですい臓がんに侵されていると宣告を受けていた。しかもステージ4の末期で、余命は長くないとされたのだった。自分がまもなく死ぬという現実を完全に受け入れるまでに約2カ月を費やしたという。死刑判決ではそれに重ねて死を宣告されたわけだが、もう驚きはさほどなかったという。

 裁判は被告が控訴したのでまだ続くのだが、山田被告は、仮に死刑が確定してもその執行前に自身ががんで死亡してしまう可能性もある。がんで死ぬか、死刑執行で死ぬのか。自身に与えられた選択肢はそのどちらかというわけだ。彼は今、支援者の協力を得てnoteに自分の事件について詳細な手記を連載しているのだが、そのタイトルは「癌が先か死刑が先か」だ。

https://note.com/from_prison/n/n74379b3f8871

 その手記の冒頭は事件の経緯を書いたものだが、第1回で描かれた犯行現場についてはこういう内容だ。

《事件は2017年3月1日、俺は当時、生活保護を受けていた。朝の9時には区役所に行って保護費を受け取り、ケースワーカーの人と仕事の面接をしていた。》

《パチンコで負けイライラし、帰りの途中に大声を上げた。本当は、数人に借金や飲み屋のスナックに付けがあり、申し訳ないと思い乍ら、必ずパチンコで取り戻してやるとアパートに向う…

 途中に近所と言ってもお互いの家と俺のアパートは出れば見える距離で、俺が帰る途中に、被害者のTさんのおばさんに「こんにちはー」と声をかけたら、「お兄ちゃん遊びの帰り?」

 俺「まーそんな所です」

 Tさんに「仕事もしてないのにいいご身分ね」と言われ、体に電流が流れた。一旦はアパートに帰ったが、部屋の中で、先程の被害者になってしまうTさんのおばさんの言葉を思い出してしまい、また怒りが込み上げてしまい…》

《気付けば、台所のシンクの上に包丁が目に付く、その包丁を俺は手に持っていた…。後は何も考えず、被害者の家に向ってた。》

 そこで最初に遭遇したTさんの夫を、ついでTさんを殺害、現場にあった財布に気づき、それを奪って逃走した。これが窃盗なのか強盗なのかが、死刑か無期懲役の分かれ目になったのだった。

 山田被告とは面会室で30分ほど話した。実はもともと死を覚悟したのは、犯行後、自首した時だという。自分ではその時点で強盗殺害事件と認識しており、警察でもそう語ったし、死刑覚悟で出頭したのだという。強盗ではなく窃盗ではないかというのは、弁護士に言われてわかったことだという。

「生きた証しを残したい」と面会室で語った

 山田被告については、面会したのは今回が初めてだが、以前より何人もの関係者から話を聞いていたし、手紙もやりとりしていた。その日は、彼が拘置所で抗がん剤の投与をはじめ、どういう治療を受けているか詳しく聞いた。

 これから高裁の審理が始まるわけで、山田被告の裁判はまだ続く。周知のようにすい臓がんは、発見がしにくいため見つかった時には末期に至っていることが多く、宣告されてそう長くない時期に亡くなってしまう事例が多い。山田被告もそういう状況は認識しているはずだ。死と生の問題が独特の形でのしかかっていることになる。

 山田被告は最近、noteで長文の手記を公表し始めたし、最近はSNSでの発信も行っている。死を覚悟したうえでそんなふうに自己を発信したいと考えるようになったのはどうしてなのか。面会の最後にそう尋ねると、彼はこう答えた。

「自分が生きてきた証しを残したいんです」

 こういう言葉を聞くと、恐らく「突然殺害された被害者2人はそんな思いを考える余裕もないまま命を奪われたのではないか」と怒る人もいると思う。それは当然の感情だと思う。ただ、ここでは山田広志という絶望的な状況に置かれた人物の話に少し耳を傾けようと思う。

 というのも、山田被告の話は、死刑というものについて考える材料を提供しているように思えるからだ。

 死刑は国家が個人の命を奪うという究極の刑罰だが、様々な死刑囚と接する過程で、その刑罰の体系に疑問を投げかけるようなケースに遭遇することがある。典型的なのは、死刑を覚悟して、時には死刑になるために無差別殺傷事件などを起こすというケースだ。こうした事例では、死刑が究極の刑罰という意味合いは成立していない。

 私が一時期、接していた奈良女児殺害事件の小林薫元死刑囚(既に執行)など、裁判の過程で「死んでしまいたい」と言っており、死刑判決を宣告された時に法廷でガッツポーズをとった。その彼に死刑を宣告することに果たして何の意味があるのだろうかと感じざるを得なかった。

 今回の山田被告も「死刑判決は私に対して意味があるのか」と書いている。彼の話は、死刑について考えるためにも、役に立つ。

 以下、本人が書いてきた手紙の内容を紹介しよう。

すい臓がんを宣告され頭が真っ白に

《今、私は末期がんです。すい臓がんで肝臓にも転移していて、手術もできません。余命も残り少ないし、いつ死んでもおかしくない身体です。身をもって命の尊さや儚さを知りました!

 私がすい臓がん(ステージ4)を宣告されたのは、令和4(2022)年2月21日の午前、医務室ででした。

 このがんを宣告される1年前の健康診断(1年に1回行われる)にて、肝臓の数値が悪いと言われ、3~4カ月に1回のペースで採血検査を受けていました。その間は、食欲もなくなり、身体の倦怠感が毎日続き、その件も含めて、採血の検査の結果時(医務診察時)に伝えていたのです。

 数値の方も、特に酒飲みに多いガンマGTPが高くなっていく一方なのですが、何科の先生かは知りませんが、「様子見」ばかりのリフレインでした。私の方も、こんな倦怠感や食欲不振は、精神面もあるのかな?ぐらいに思ってたのですが…体重はとにかく20キロも減少しましたし、独居房の畳に座ってるのもキツい状況でした。

 それでも我慢して座り、本当にあ~ダメだという時はフロアー担当に言って少しだけ横にならせてくださいと伝えていました。医師は「様子を見ましょう」と言うばかり。食欲がないことや体がだるいことも伝えてますが、一切、検査はしてくれません。なのでやはり、精神面から来る症状なのかと思ってました。正直、生きてるのに疲れてもいましたし…。

 ただ裁判もまだ終ってないし、このままじゃダメだと思い返して、気合論じゃないですが、その倦怠感と闘おうと思い直すという、その繰り返しの日々でした。

 それで、4回目ぐらいの採血検査をした時ですが、医師は数値が上がってても様子見と言うのだろう、そんな極端の数値ではないし…と思ったのですが、ここ名古屋拘置所では見たことない医師がエコー検査してくれたのです。そして「肝臓がかなり弱ってますね!!」と言ったのです。

 それから、突然、外の病院に車で連れて行かれて、CTスキャンをしたのですが、そこにいた医師がエコー検査をしてくれた先生だったのです。名古屋市西区の名鉄病院です。

 で2月21日の午前中に主任が部屋に来て、医務室に連れていかれました。そこで初めて見た医師が、後に医務課長と知るのですが、「山田さん、そこの椅子に座ってくれますか?」と言うのです。私はてっきり肝臓のことを言われるのかと思ってたのですが、そうではありませんでした。

「すい臓がんです。ステージ4で手術もできません。このままでは、余命も残りわずかです。治療と言っても延命治療的なもので、点滴治療か抗がん剤の飲み薬ですが」云々と言われました。さらに「この治療をしても5年生存率は2~3%です。点滴は副作用が強く、リタイアされる方が多いので勧められません。ですので、私は抗がん剤を勧めます。明日からと言わず、今日から始めてください!」と言うのです。

 そこで抗がん剤の治療をOKはしたのですが、正直、頭の中は真っ白で、説明の半分も頭に入っていませんでした。主任に連れられて、取り調べ室で「案外冷静に聞いてたので、良かった」とか言われて…何か、何かその言葉に腹立ってきました。何も良くねーのに…。

 その日、病人がいる所に転房となったのですが、そこの担当が「ここはいいですよ~!」などと言ってきて……その「いいよ~」とか「良かった~」とか、今さっき末期のがんだと宣告された俺に言う言葉か!(怒)って、すげーイライラしました。

 外の友人の話や新聞から、すい臓がんの詳しい内容とか知っていくうちに、食欲不振とか倦怠感はすい臓がんの初期症状らしくて、そもそも酒も呑まないのにガンマGTPが高いのもおかしい! 私に、ず~っと「様子見」のリフレインをしてた医師にその件を打ち明けたら、「あなたがすい臓がんなら今、生きてませんよ! 1年も生きられません」とか言うので、「いい加減にしろ」ってと怒鳴ったんです。

 そして、これはおかしいと思い、国賠訴訟をしようと法テラスの弁護士に任せたんです。でも裁判所には証拠保全も断わられ、ここのカルテとCTスキャンした病院のカルテでは難しいということになって、あきらめました。

死刑判決を受けても驚きはなかった

 がんの余命宣告をされて、私はよりいっそう死を受け入れました。いっそうというのは、私は自首時には死刑を受け入れてたので、それがよりいっそう身近になったということです。だからそんな私が死刑判決を受けても、はっきり言って驚きもなく、ただ、あーそうですか!って感じです。

 今、控訴しているのは、死刑が納得行かないとかではないのです。弁護士の先生方は、死刑廃止にこだわってますが、私はもしそうなって当然の罪であれば死刑でいいと思ってます。ただ、私の場合はそもそも強盗目的ではないのです。警察と検察のデタラメなストーリーで、私が言ってもないことを、同じ留置場にいた奴に、運動時に私がそいつに「強盗目的で殺人した」云々と話したと供述させてるのです。こういう歪んだ日本の刑事司法の結果、多くの無実の者が冤罪で不当にパクられている。そういう権力に対して、争ってるだけです。

 私は確かに尊い命を奪い、被害者宅から1227円入っていた財布を盗りましたが、やってもない罪まで認めたくはありません。そこは闘わなければ、警察や検察は、これからも調子に乗り、公権力を濫用するでしょう。

 そもそも、1審の裁判員裁判では私の主張が認められたのに、高裁では、検事が新しい証拠を出したわけでもなく、裁判長の屁理屈も合理的ではないとか云々で、イレギュラーの差し戻しにした時点で出来レースです。この差し戻しは強盗殺人しましたという前提であり、私の方は、それをひっくり返す証拠がないとダメなんです。そんな証拠を見付けるのは本当に大変です。そもそもが、1審で殆ど証拠は出してますし。裁判長(高裁・最高裁)は何の決め手の証拠もなく「強殺不成立は誤認」と言いますが、その理由は全て、「推認」でしかなく、それに対して私の方には証拠を出せですから、ひどい話です。

 私の事件はネットで調べれば出てきますが、ネット情報を本気にしないで下さい。私は2人を殺め財布を盗みましたが、ネット上では「金に困った」とか「金をパチンコで使い果たした」とか書かれている。これは全くの嘘で、裁判記録には全て載ってます。警察の嘘の情報が出廻ったのでしょう。やつらのオハコです。

 確かに私は自首時、強盗殺人しましたと言っています。被害者の言葉で怒りが爆発して殺してから財布を盗ったのですが、私は当初、それを強盗だと思っていました。ただ、その後、弁護士が来たので、検事に話したことを伝えると、「松井さん、それは殺人と窃盗です。最初の目的が強盗ではないからです」と言われ黙秘してくださいと言われたのでビックリしました。警察や検察はそんな話は一言も言わないし、なので不信感を抱き、それから黙秘したのです。

 それにしても、高裁の裁判長の判決の「強殺不成立は誤認」差し戻しにはビックリです。その根拠も、いかにも、強盗する人は金に困ってる! 借金をしている! 被害者宅に現金があることを知っていた云々と、この判事はきっと、私の事件をちゃんと調べてないんでしょうね! 金に困ってたら強殺する! 借金をしていたら強殺する!って……バカげてます。それも、借金って言っても10万円以下、7~8万円ですよ!

 被害者宅には財布の中の千円以外にもお金があるのに、部屋は物色してません。財布を衝動的に盗んでしまい、中には1227円ですよ。それで、借金払えますか?

 私の場合、死刑判決も受けました。でもその前にもう末期がんの死刑宣告をされてますし、執行される前にがんで死にますので、死刑判決は私に対して意味があるのだろうか?と思っています。》

 山田被告からはごく最近も手紙が届いた。今年の夏の暑さゆえか熱中症で倒れる事態になっているという。がんで免疫力が落ちているせいかもしれない。命の危険にさらされて生活しているという。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

篠田博之の最近の記事