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ウクライナ侵略 消えたキエフの気象データが復活し、これから”泥将軍”がやってくる

森田正光気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長
キエフ(ウクライナ)の気象観測データ (出典:気象庁)

 かつて「気象データは軍事機密なので戦争になると消える」と言われていました。しかし現代はそんなことは無く、気象データが途切れる事は、その観測場所に何か異変があったことを意味します。

 また、軍事と気象が深い関わりがあることは昔から変わらず、これからウクライナの地には、「泥将軍(どろしょうぐん)」がやってくるでしょう。

戦火の中での気象観測

 日本時間2月24日、ロシアは突然ウクライナへ軍事侵略を行いました。

 表題のグラフはウクライナの首都キエフの、過去一か月の気温と降水量です。折れ線が気温(最高・平均・最低)を表し、緑の棒グラフが降水量を示しています。これを見るとロシアが攻撃を始めた2月25日、最低気温(青)は観測されていますが、その日の最高気温は欠測になっています。

 このことから、首都キエフはロシアによる攻撃とともに大混乱をきたし、気象観測を継続することも困難な状況になったことがうかがえます。

 なにをいまさらと言う向きもあるかも知れませんが、気象観測というのは世界的にもっとも国際協力がなされている分野で、国際連合の専門機関である世界気象機関(WMO)に加盟する191の国や地域によって日々、世界中で気象観測が行われ、これが天気予報の基になっているのです。当然、ロシアもウクライナも世界気象機関の加盟国ですから、よほどの事が無い限り観測は続けられます。

 そしてグラフを見返すと7日間の欠測の後、3月5日の最高気温からキエフの気象観測が、なんと復活しています。この原稿を書いている3月21日現在、ロシア軍がすぐそばまで侵攻していると伝えられていますが、キエフの観測は続けられているのです。つまり、ミサイルや砲撃がいつ来るか分からない状況の中でも、気象観測を行っている気象関係者が健在だということを示しています。

 では、他のウクライナの観測はどうでしょう。

観測データから見えてくること

ウクライナの観測地点 (出典 気象庁 スタッフ加工)
ウクライナの観測地点 (出典 気象庁 スタッフ加工)

 上図は赤丸がウクライナの平均気温の観測地点(クリミア半島含む)です。上がロシアの侵略前の2月18日、下が侵略後の3月18日です。

 図をみて一目瞭然ですが、ウクライナ東部を中心に観測データの欠測が目立っており、ウクライナ全土では26地点から16地点に減っています。

 残念ながら激戦地であるマリウポリやハリコフなどのデータは消えたままです。ただ仔細にみると、途切れながら観測を続けている地点もあります。

オデッサの観測データ(出典 気象庁)
オデッサの観測データ(出典 気象庁)

 そのひとつが、黒海沿岸にある港湾都市のオデッサです。(上図参照)オデッサは地理的にみてもウクライナ海上交通の要ともいえる場所で、海の影響を受けて冬でも比較的温暖です。ただ気圧配置によって日々の気温変動は大きくなります。

 報道等を参考にすると、今後の焦点となるのはこの黒海に面した都市、オデッサの帰趨(きすう)のようです。

 オデッサは2月26日以降、最低気温と降水量の観測は行われていますが、最高気温など一部のデータが欠測になりました。この欠測はロシアの侵略によるなんらかのトラブルがあったと思われますが、それが3月15日から再び正常に戻っています。

 つまり気象観測は行われているわけで、オデッサがまだロシアの直接の侵略を受けていない事が推測できます。

 逆に言うとオデッサの気象データが完全に途絶えるようなことになると、ウクライナ南部一帯はロシアの制圧下に入ったということなのかも知れません。

泥将軍(どろ将軍)

ウクライナ周辺の地図
ウクライナ周辺の地図提供:イメージマート

冬から春へ 雪解けの季節
冬から春へ 雪解けの季節写真:イメージマート

ぬかるんだ道
ぬかるんだ道写真:イメージマート

 ロシアやウクライナには、春と秋の二回「ぬかるみの季節」というのがあります。国土が広くて道路事情が良くないロシアでは秋は雨により、そして春は雪解けのために土の道路がぐちゃぐちゃになってしまうのです。

 これを現地ではラスプティツァ(ぬかるみの季節)と呼んで、この季節は自動車による移動などは支障が出るのが当たり前のようです。

 気象と歴史の関係に詳しい田家康(たんげやすし)氏によると第二次世界大戦のおり、ヒットラーがロシアに攻めこんで冬の寒さに敗北した史実がありますが、これも1941年秋のラスプティツァ(ぬかるみの季節)によってドイツ軍が疲弊していたのが、大敗北の一因だったようです。

 ナポレオンのロシア遠征(1812年)、ヒットラーのソ連侵攻(1941年)などを冬の寒波が阻止したことから、寒波の事を「冬将軍(ふゆしょうぐん)」と言ったりもします。それと同じように、実は泥でぬかるんだ道で進軍がままならないとき、軍事用語では「泥将軍(どろしょうぐん)」という言葉もあります。

 今回のウクライナ侵略について言えば、多くの軍事評論家の方は「ロシア(プーチン)は数日でキエフを落とせると甘く考えて侵攻したのではないか」と指摘しています。ところが実際には開戦から約一か月も経つのに、まだキエフは持ちこたえています。

 キエフの最低気温は3月下旬現在、氷点下が続いていますが最高気温はプラスになってきています。ロシア軍は「春のラスプティツァ(ぬかるみの季節)」の前にキエフを落とそうと考えたのかも知れませんが、凍った雪道がやがてぬかるみになって泥将軍と化すのは間違いないでしょう。

註 ラスプティツァの「ぬかるみの季節」は意訳です。

参考

世界史を変えた異常気象 日経ビジネス文庫 田家康 著

航空軍事用語辞典

気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ会長

1950年名古屋市生まれ。日本気象協会に入り、東海本部、東京本部勤務を経て41歳で独立、フリーのお天気キャスターとなる。1992年、民間気象会社ウェザーマップを設立。テレビやラジオでの気象解説のほか講演活動、執筆などを行っている。天気と社会現象の関わりについて、見聞きしたこと、思うことを述べていきたい。2017年8月『天気のしくみ ―雲のでき方からオーロラの正体まで― 』(共立出版)という本を出版しました。

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