トランプ大統領の誕生が示す歴史的な意味としての「先進国の開発途上国化」
1月20日、ドナルド・トランプ氏が第45代米国大統領に就任しました。選挙戦で展開された方針がどこまで実現されるかは未知数ですが、そうであるがゆえに各国はその動向を注視せざるを得ません。
ただし、保護主義的な貿易政策やヒトの移動の制限は、冷戦終結後に米国自身が主導して作ってきたグローバル化の潮流を否定するもので、それは「グローバル化の終わりの始まり」とも呼べます。以前に述べたように、「米国第一」を掲げ、国際秩序の形成と距離を置くという方針が実現されれば、それは米国が超大国の座を降りることを宣言するものに他ならず、戦後、特に冷戦終結後の国際秩序は大きな転換点を迎えたことになります。
その一方で、より長期的な視点でみたとき、トランプ氏の大統領就任には、もう一つの大きな意味を見出すことができます。それは「先進国の開発途上国化」とでも呼べる現象で、世界全体の西洋化に対する、非西洋世界からのある種の逆襲でもあります。
反歴史的な「国民」
トランプ氏は「米国を再び偉大にする」と叫び、「国民の結束」を求めました。その一方で、ムスリムやヒスパニックをはじめとする外国人、そして性的少数者に対する排他的な言動は、「それらを排除することで理想的な米国社会を取り戻せる」という前提に基づいています。裏返せば、そこには「理想的な米国人」イメージに基づく「国民」イメージがあるのですが、その要素としては白人、キリスト教徒、異性愛者などの属性を見出すことができます。
ただし、米国社会がこれらの属性をもつ人々によってのみ支えられてきたというのは、一種の神話に過ぎません。
20世紀を代表する政治哲学者の一人ハンナ・アレントは、著書『革命について』で、アメリカ革命(日本でいうアメリカ独立戦争)とフランス革命を「自由の創設」という観点から比較して、前者を成功、後者を失敗と分類しました。フランス革命は貧困や格差といった社会問題をエネルギーにしていたがゆえに、王政の打倒と生活状況の改善がイコールで想定されていました。しかし、政治体制が変更されただけで人々の生活がよくなるはずはなく、国王を断頭台に送っても一向に社会問題が解決しないことが人々の不満を増幅させた結果、ロベスピエールの恐怖政治やナポレオンの登場といった政治的混乱が生まれました。これに対して、アメリカ革命は入植して既に経済的に自立していた独立自営農民を主体としていたため、その目的は「自分たちで自分たちのルールを作る」ことに集中し、それ以上のものを政府に求めることはありませんでした。その結果1787年に制定された合衆国憲法は、修正を重ねながらも、基本的に現在まで続いていますが、これは20世紀に至るまで王政、共和政、帝政などが目まぐるしく入れ替わったフランスと比較して、米国の政治的安定を示すといえます。
ただし、ここで注意すべきは、貧困や格差が蔓延していた当時のヨーロッパ諸国と異なり、なぜ当時の米国人が経済的に自立していたか、ということです。ここに関して、さすがにというべきか、アレントは奴隷制の存在を指摘することを忘れませんでした。つまり、黒人奴隷の困苦のうえに白人入植者の経済的自立は成立していたといえます。
当時の法律では、奴隷に人権は認められていなかったので、法的には「黒人は米国人でなかった」となります。とはいえ、少なくとも「米国社会がキリスト教徒の白人のみで成り立ったことは一度たりともない」ことだけは確かです。つまり、トランプ氏あるいはその支持者が振りまく「国民」イメージは反歴史的な「過去のイメージ化」によって立つもので、現在の米国人の多数派を占める属性をもって「国民」と強弁する傾向が顕著といえるでしょう。
フィクションの誕生
もちろん、特定の属性をもって「国民」イメージが作られることは、トランプ氏に始まったことではありません。その古典的な例として知られるのは、1492年のスペインにおけるユダヤ教徒追放令です。
15世紀のスペインでは、中央集権体制が急速に形作られていました。そのなかで「スペイン」という国家のメンバーである「スペイン人」イメージを作る際、「キリスト教徒」であることが共通項として想定されたといえます。ヨーロッパでユダヤ人が迫害されたことは広く知られていますが、それはキリスト教が絶対的な権威だった中世よりむしろ、「国家」や「国民」という概念が普及した近代において、より激しくなったのです。
ただし、このような強制的措置もありながらも、近代西洋では「国民」イメージが比較的受け入れられやすい環境にあったことも確かです。ヨーロッパの国境線は非常に複雑ですが、それは数百年に渡って幾度となく戦争を繰り返して確定されたものです。そのため、長い時間をかけて、文化や言語の広がりが、国境線によって相当程度区切られることになりました。
また、政治学者アーネスト・ゲルナーが指摘するように、18世紀に生まれた産業革命も、「国民」イメージの形成を促した条件になりました。産業革命によって資本主義経済が発達したことは、貴族と平民といった封建的身分制を破壊しました。それまで、一つの国であっても貴族と平民は別個の存在としてあり、「国民同士」ではありませんでした。つまり、身分制の崩壊は、それに代わる新たな「我々」イメージの形成を促したといえます。それに加えて、産業化が進んだことで、各国では農村や地方を単位とする自給自足に毛の生えた状態から、一つの国を単位とする国民経済が生まれました。それは、やはり長い時間をかけて、人々の移動範囲や、法律の適用範囲にもおよそ重なって発達したことで、人々に「国家」や「国民」といったイメージを抱かせやすくしたといえます。
つまり、国境線で文化がかなりの程度区切られ、そのなかで人々の生活圏が確立したことで、西洋では「国民」としての自覚をもちやすい環境が醸成されたのです。
これと連動して、アメリカ革命やフランス革命に象徴されるように、18世紀の西洋では民主主義が普及しましたが、これも「国民」イメージの形成と無縁ではありませんでした。専制支配を拒絶した後、国家の主権を引き継ぐ主体が誰なのかという話になった時、一番分かりやすかったのは「総体としての国民」でした。
こうして、例えスイスのように公用語が4つあったとしても「スイス人」がいるように、西洋世界では文化的な違いを超えて、フィクションとしての「国民」が実際に存在するものとして扱われるようになったのです。フィクションとしての「国民」が多少なりともリアリティあるものとして普及したことは、西洋に特有の条件が重なった、極めて特殊なものだったといえるでしょう。
開発途上国の苦悩
このフィクションは、18世紀からの列強による植民地支配と、19-20世紀にかけての独立を通じて、非西洋世界に「移植」されることになりました。しかし、当然というべきか、現在の先進国の多くを占める西洋世界で長期にわたって形作られたこのフィクションが非西洋世界、つまり現在の多くの開発途上国に定着することは困難でした。
開発途上国の多くでは、選挙が行われていたとしても民主主義が必ずしも定着しておらず、個人の権利などが制約されがちです。その一方で、強権的な政府は国民統合の求心力としてナショナリズムを叫ぶことが一般的で、そのなかで支配者個人がカリスマ化されることも稀ではありません。その大きな背景には、「国民」としての意識の薄さがあげられます。
例えば、イラクでは2003年のイラク戦争でフセイン政権が倒され、2005年の選挙で初めて民主的な政府が樹立されました。しかし、その結果として誕生したマリキ政権のもとで、人口の約60パーセントを占めるシーア派が政府の要職を占め、豊富な石油資源からの収入のほとんどは中央政府を通じてシーア派に手厚く配分されました。露骨なシーア派優遇にスンニ派やクルド人が不満を募らせたことは、いわば当然でしたが、米国などがこれに忠告すると、マリキ首相(当時)は「イラク・ナショナリズム」を前面に掲げ、これに反発しました。この状況下で台頭した「イスラーム国」(IS)に、スンニ派住民のなかから自発的に参加する人々が現れたことは、不思議ではありません。すなわち、マリキ首相も、ISを支持したスンニ派住民も、「イラク国民」という、あるのかないのか分からない結びつきより、「シーア派」、「スンニ派」という確固たる結びつきを選んだといえます。
イラクのように激しい戦闘にまで至るケースは稀ですが、多くの開発途上国ではフィクションとしての「国民」が、文字通りのフィクションに過ぎないものになりがちです。そこには、多くの開発途上国に共通する条件があります。現在の国境線の多くは植民地支配の遺物であり、現地の文化や言語の広がりと無縁にひかれたものです。そのため、一つの国のなかに多くの民族や宗派が林立したり、逆に一つの民族や宗派が国境線で分断されたりすることは珍しくありません。
これに加えて、多くの開発途上国では、西洋世界のように「国家」が経済的単位として成立することもありませんでした。イラクの石油に象徴されるように、帝国主義時代にアジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカでは西洋向けの輸出産品の生産が中心の経済構造が確立され、その傾向はグローバル化によって加速しました。つまり、フィクションとしての「国民」を、多少なりともリアリティあるものとして受け入れることを可能にする物質的な条件も、開発途上国では揃わなかったのです。
例えば、アフリカ大陸で最も人口の多いナイジェリアの場合、公式に確認されているだけで250以上の民族がいるといわれます。ワールドカップなどでナショナルチームを応援することはあっても、サッカーの試合が終わればそれまでの、極めて薄い国民意識しかない国がほとんどであることに鑑みれば、多くの開発途上国が分離独立運動を抱えていることは、偶然ではありません。
そのような状況の下で、国家権力を握る(多くの場合は多数派の)民族や宗派は、ナショナリズムを叫ぶことで、自分たちの支配を正当化しやすくなります。しかし、その実態は、イラクのシーア派のように、特定の集団の利益を代弁したものに過ぎず、それがあからさまであるほど、力ずくで抑え込むか、経済的な利益をばらまくことでしか、自らの正当性を保てなくなります。こうしてみたとき、開発途上国に「独裁者」と呼ばれる人間が多いことも、選挙がただ多数派の支配を追認する儀式でしかないことも、経済的な恩恵を与えることが前面に出やすいことも、全て当然の帰結といえるでしょう。
それは裏返せば、我々が「普遍的なもの」とみなしがちな「国民」という観念そのものが、近代西洋(と日本のようなごく例外的な国)においてのみ、多少なりともリアリティをともなって成立した、きわめて特殊なものであることを意味するのです。
開発途上国の逆襲
ところで、今さらいうまでもなく、トランプ氏の大統領就任だけでなく、ヨーロッパでの極右政党の林立や分離独立運動の高まりなど、日本を含む先進国では「国民」を強調する勢力の台頭が目立ちます。その直接的な背景には、移民の急増や経済的な困難があげられますが、これらはいわば、これまで先進国でフィクションとしての「国民」が広く受け入れられていた状況が覆った結果といえます。
グローバル化によってヒトの移動が自由化したことで、先進国にはそれまで以上に多くの地域から人間が集まるようになりました。いまやムスリムがロンドン市長になる時代です。その一方で、やはりグローバル化によって、先進国企業が開発途上国への進出を加速させました。それは従来以上に生産活動を活発化させる原動力になったとはいえ、経済的な単位としての「国家」のリアリティを、限りなく薄くする効果もあったといえます。こうして、フィクションとしての「国民」に、多少なりともリアリティを与えていた、先進国に特有の特殊条件は衰退していきました。
しかし、この状況は、これまでみてきたように、開発途上国ではむしろ当たり前のことでした。先述のように、西洋世界で生まれた「国民」の観念は、いわば西洋世界やごく少数の例外でのみ成立する特殊なもので、世界中のほとんどの地域では、まさにフィクション以外の何物でもないものであり続けました。その結果、開発途上国では、ナショナリズムを高唱しながらも、批判的な勢力をムチで抑えるとともに経済的な恩恵というアメを与えることで、分裂する国内を支配する権威主義的な政府が多くならざるを得ませんでした。それは、「特殊なもの」を「普遍的なもの」として植え付けてきた無理が生んだものともいえます。
言い換えると、先進国を中心とするグローバル化が進行した1990年代以降、開発途上国からヒトやモノが押し寄せるなかで、フィクションとしての「国民」を成立させていた特殊条件が衰退したことは、開発途上国が長く直面し、苦労してきた状況が、先進国に上陸したことを意味します。トランプ氏やその周辺が「白人キリスト教徒の共和国」を理想化することは、「選挙で多数派を獲得した」ことを錦旗に、特定の文化集団の利益を「国民の利益」と位置付け、それ以外を(程度の差はあれ)合法的に抑え込もうとする点で、マリキ前首相がシーア派を優遇しながらイラク・ナショナリズムを高唱したことと、大差ありません。
こうしてみたとき、グローバル化は結果的に、植民地時代以来、西洋世界から押し付けられた基準により開発途上国が抱えてきた苦悩を、先進国に逆流させる契機になったといえるでしょう。そこには、一種のブーメラン効果を見出すことができます。
こうして生まれたトランプ現象、BREXIT、極右政党の林立、分離独立運動の活発化などは、フィクションである「国民」をリアリティあるものとして受け止められなくなったときに生まれたもので、「フィクションを本当のものにしようとする」試みともいえるでしょう。言い換えるなら、既存の国境線を否定するISを、近代西洋が生んだ「国民」というフィクションを全否定する急進派とするなら、トランプ氏はフィクションとしての「国民」にしがみつく守旧派の代表格と呼べます。
とはいえ、米国社会が白人のみで成立したことがないように、フィクションを現実にしようとすることは、開発途上国に「国民」を生み出そうとしたのと同様に、無謀と言わざるを得ません。むしろ、そこで求められるべきは、文化的に林立し、海外との経済取引に依存する現代社会に適応した、新たな「国民」イメージを構築することのはずです。少なくとも、環境に適応せずに「過去のイメージ」に囚われることが、生産的でないことだけは確かといえるでしょう。