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【パリ】ル・コルビュジェの浮かぶ建築 再浮上した「アジール・フロッタン号」続報

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
2021年2月26日の「アジール・フロッタン号」(写真はすべて筆者撮影)

百年の数奇な運命船

1919年に石炭運搬船として建造された鉄筋コンクリート製の船。最初の役目が終わると、ル・コルビュジェが改造を手掛け、救世軍の船としておよそ60年にわたって難民の避難所になっていたこと、老朽化による廃船の危機、そして、沈没の憂き目にあいながらも、日本とフランスの有志の努力によって再浮上を遂げたことまで、これまで2回にわたって「アジール・フロッタン号」のお話をご紹介してきました。

奇跡の再生なるか ル・コルビュジエの浮かぶ建築 「アジール・フロッタン」(2019年12月19日)

【パリ】沈みかかった船の復活劇 「アジール・フロッタン」号の続報(2020年10月21日)

昨年10月19日、再浮上作戦が無事に成功した後、いったい船はどうなっているのでしょう。

「アジール・フロッタン号」が一時沈没してしまったのは、セーヌの水位が大幅に上昇して、船体が岸にのりあげてしまったことがきっかけでしたが、この冬もまたセーヌはかなりの増水を記録しました。けれども、「アジール・フロッタン号」は冬を無事に生き延び、いまもオーステルリッツ高架橋のたもとにひっそりと停泊しています。

幸運にも先日、わたしは「アジール・フロッタン号」の船内を訪れる機会を得ましたので、その時の様子をご報告します。

※船内はこちらの動画からもご覧いただけます。船の登場は2分01秒からです。

船主は日本のアソシエーション

ル・コルビュジェによる改造が行われたとき、のちに日本の近代建築の先駆者になる前川國男がパリのル・コルビュジェのもとで修行中で、彼が描いた船のスタディが今でも残っています。つまり、この船は日本の建築史にとっても大きな意味のある船。そのため、現在は日本建築設計学会が船主になり、多難な再生プロジェクトに取り組んでいます。

昨年10月19日、浮上作業が無事に成功したあとは、船内に溜まった大量のドロとの格闘。2週間以上かかったというかき出し作業を経て、1919年建造時の骨格が姿を現しました。

船内の様子。柱(ピロティ)、天井などは改造時に加えられたもの。
船内の様子。柱(ピロティ)、天井などは改造時に加えられたもの。

コンクリートの厚さは6〜6.5センチほどだそうで、全長70メートルの船体としては案外薄いような気がします。壁と底にたくさんの格子状の枠が付いているのは、その構造を補強するための技術。建造当時、ほかには屋根も柱もなにもない空き箱のような物体で、そこに直接石炭を積んでいたようです。

1929年に難民の避難所にすべく、ル・コルビュジェの設計によって改造が行われたわけですが、彼が提唱した「近代建築の五原則」がここで見事に実現されていたことがわかります。屋根を支えるための「ピロティ」、「自由な平面」、「自由な立面」、「水平連続窓」、「屋上庭園」。それによって、コンクリートの空き箱が居住空間に生まれ変わりました。100以上の2段ベッドを並べるために、床板が張られましたが、現在はそれがなくなっていて、格子状の枠が並ぶ底が見えています。

改造では、もともとあった壁の格子枠に木製の扉をつけて、ロッカーとして利用できるように工夫していたそうですから、そのあたりにも、シンプルで機能的な居住空間というル・コルビュジェのビジョンが表れています。

改造では、元々の壁の枠組みに木の扉を付けてロッカーとして生かした。
改造では、元々の壁の枠組みに木の扉を付けてロッカーとして生かした。

再生プロジェクトの目標は、ル・コルビュジェが改造した状態を復元することですが、今のところは、浮上後の診断調査中。フランスの文化財は、所有者の一存で修復や改装をすることができず、文化財建築家というタイトルを持つ人物を中心にチームを組んで、測量士、コンクリートのラボラトリー、構造建築のエンジニアなど、各分野の専門家たちが調査検討にあたることが必要なのだそうです。

建造当時のコンクリートの成分分析、浸水していた間に鉄筋がどれくらい酸化してしまったのか、また、アンバランスな状態になったことで、船体そのものにどれくらいの歪みが生じたのかなど、さまざまな計測や調査が必要です。

コンクリートの柱(ピロティ)は時代を追うごとに何度も塗り重ねられた。復元の際には、専門家によって特定された1929年当時の色が再現される予定。
コンクリートの柱(ピロティ)は時代を追うごとに何度も塗り重ねられた。復元の際には、専門家によって特定された1929年当時の色が再現される予定。

そうした結果を総合してはじめて、どの程度までの修復が可能なのか、どんな方法をとるべきかがわかってくるというわけです。それでも、昔と今とでは安全基準が異なることもあり、かつての屋上庭園を復元できるのかどうかなど、思いどおりにはいかないこともあるかもしれません。

予定としては、この夏くらいまでに方針を決めて、できれば来年早々に修復に着手。再来年、つまり23年の秋、ル・コルビュジェの誕生日である10月6日を目処に一般公開したいというのがプロジェクトの理想的スケジュールです。とはいえ、資金調達も含め、プロジェクトの続行には楽観できない要素が少なくないようです。

船の歴史と復活プロジェクトについてはこちらのサイトから詳しくご覧いただけます。

船の屋上部分。
船の屋上部分。

人々の思いが詰まった船

ところで、今回船内を案内してくださった古賀順子さんは、翻訳家、通訳としてこのプロジェクトに長年関わってきた方です。日本とフランスの関係者の架け橋になっているだけでなく、現在はポンプアップ作業のために毎日船に通っています。

というのも、100歳を超えた船なだけに、細かい亀裂から川の水が入ったり、枠だけになった窓から雨水が入ってきたりするので、それらを取り除く必要があるのです。そんなふうに日々船と密接に関わっている方ならではの体験の一部を、古賀さんはこんなふうに語ってくれました。

今日ポンプアップをしていたら、フェンス越しに船をじっと見入っている年配の方がおられました。

「この船で何度も食事をしました。クリスマスには岸でパーティーがありました」と話してくれました。

かつてホームレスだった人なのでしょう。苦難の渦中にある人にとって、この船の明かりがどれほど心の拠り所になっていたのかが伝わってくるような回想です。

この5ヶ月、毎日いろいろな人が前を通ります。名前も分からず、マスクを付けていることもあって顔も覚えられませんが、一言声をかけていかれる方も多いです。

「スイスの建築家で、自分もこの船を何とかしたいと思いスイスで支援活動もしましたがダメでした。日本人が浮上させてくれて嬉しい」

「毎日ジョギングしていて、また船が浮かぶとはびっくり」

「屋根の上でスケートボードさせてくれないか」

などなど、嬉しいことから呆れることまでいろいろです。この船は多くの人に愛され、多くの人に安らぎを与えたことを実感します。

1年半前、セーヌに沈んでいた時には想像もできなかった船内。浮上した今は枠と柱ばかりのガランとした空間のようですが、実際に中に入ってみると、何か不思議に感動に近いような思いが湧いてきます。

「朝、船に通ってきて、窓からの光がさしてきていたりするととくに、神々しさを感じます」

という古賀さんの言葉に、わたしは思わず大きくうなずきました。数奇な運命船、多くの人たちの思いが詰まったこの船には、どこか聖堂にも通じるような空気が流れているような気がします。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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