【パリ】沈みかかった船の復活劇 「アジール・フロッタン」号の続報
【ル・コルビュジェゆかりのコンクリート船】
パリのセーヌで半分沈んでいる船。その再生にかける物語について、昨年12月、【奇跡の再生なるか ル・コルビュジエの浮かぶ建築 「アジール・フロッタン」】としてご紹介しました。今回はその続報をお届けします。
前回の記事の骨子は次のとおりです。
「アジール・フロッタン」号とは、第一次世界大戦中に石炭運搬船として造られたコンクリート製の船で、その後、ル・コルビュジェの設計で難民のための宿泊所になり1990年代まで活用されていました。その役目を終えてからは、歴史遺産としての価値を認められて文化施設として再生する計画が進められていたのですが、さまざまな障害から実現には至らず、そうこうしているうちにセーヌの増水にともなうアクシデントのために半ば沈没したままセーヌに係留されているという状態でした。
船はル・コルビュジェゆかりの建築物である上に、当時ル・コルビュジェの設計事務所で働いていた若き日本人建築家、前川國男さんがこの船の図面を描いていたなど日本との関係も深いことから、「アジール・フロッタン」の再生にあたっては、神戸大学大学院教授の遠藤秀平氏、日本建築設計学会(ADAN)らがかなり尽力しています。昨年の記事では、そのあたりのことも遠藤教授のインタビューとともに紹介していますので、どうぞご覧ください。
【歴史遺産の命運】
ところで、この沈没しかかった「アジール・フロッタン」の再浮上計画は本来ならば昨年中には行われるはずだったのですが、記事公開後まもなく「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動)」が起こり、続いて新型コロナ感染拡大にともなうロックダウンと、社会状況が大きく変化してしまいました。ただでさえ波乱万丈だった「アジール・フロッタン」ですが、こうも行く手を阻まれてしまっては再生が難しいのではないか…。わたしは正直なところそんなふうに思っていました。
ところが、この秋になっていよいよ浮上プロジェクトが実現するという知らせを受けたのです。
決行日は10月19日。わたしが現場に駆けつけると、関係者が見守るなか、船の上に設置されたポンプによって船内に溜まった水が勢いよくセーヌに吐き出されている最中でした。
作業を見守る人々のなかには、ル・コルビュジェ財団のディレクター、ブリジット・ブヴィエさんの姿もありました。
2018年の10月からこのプロジェクトを見守ってきました。セーヌの増水がきっかけになって事業が遅れたり、あげくには船が難破したりしましたけれども、未来への希望を失わず前向きに取り組んできた素晴らしいストーリーがあります。この歴史遺産を活かそうとする遠藤教授をはじめ、ADANの熱意。そして連帯し続けることの価値。
さまざまなことが不確実になっている今。わたしたちの未来についてとてもネガティブなことばかりが聞こえてくるこの時期に、船を救おうとするこの取り組みが希望のメッセージになると思います。
日本人にはル・コルビュジェへの愛がありますが、フランス人には日本文化へのパッションがあります。ふたつの国は文化で結ばれている特別な関係だと思います。
今日は「歴史的な日」です。しかもどうでしょう、このいいお天気。ル・コルビュジェの言葉を借りれば、Une Journee Radieuse(ユヌ・ジュルネ・ラデューズ )ですね。
※Journeeの最初のeにアクサンテギュ
「ラデューズ」とは、「光り輝く」とか「喜びに満ちた」という意味。ブリジットさんは、ル・コルビュジェの代表作品、マルセイユの集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」の別名「シテ・ラデューズ」とこの記念すべき日とを重ね合わせています。
【南仏の名人登場】
「アジール・フロッタン」号の浮上作業は入札で業者の選抜が行われましたが、南仏ナルボンヌを拠点とするチームが請け負うことになりました。
「これが243隻めの仕事だよ」というマーク・ジャンドルさんは、沈没船を浮上させるエキスパート。ひとりの力だけで船一隻を上げることもあるそうですが、「アジール・フロッタン」号の場合はそうはいきません。たくさんの機具と人手が必要な上に、800キロ近く離れたパリまでそれらを輸送しなくてはなりません。
しかも現場はパリ中心のセーヌ川となれば、岸辺の安全対策など作業に付随するさまざまな措置が義務付けられていて、その準備だけでも大変なことです。というわけで、やはりナルボンヌを拠点にしている公共工事の会社「CAP SUD TP(キャプシュド・テ・ペ)」も参画。つまり、マークさんの名人芸とキャプシュド・テ・ペの総合力がコラボレートする形で、事業は進められました。
「当初の予定では1年前に作業するはずでしたが、遅れたおかげで準備期間を十分にとることができました」と語るのはキャプシュド・テ・ペのギヨーム・ブスケさん。「1週間前から現場に入って、船体の穴という穴、沈没の原因になった箇所はもちろんですが、窓や、小さな穴も念入りに探して完璧な状態にしました。そのうえで、いま水をかき出しています」
ギヨームさんのパートナーのマノン・エスカンドさんは、法制、行政上の手続きなど事務方を担当。
「ものすごい量の書類を作成しました。でもわたしたちにとってはとてもいい経験です。歴史遺産を救うという意味のある仕事ですし、この事業に何年も関わってきた素晴らしい人達とのいい出会いがありました」
【浮上の先の未来】
船内に溜まった水が掻き出されるにつれて、船体は徐々に上昇し、傾いていた状態から水面と平行になり、正午すぎにポンプのモーターの音がやみました。この日の作業は大成功。人々の顔に安堵の色が広がったのでした。
1995年から「アジール・フロッタン」に関わってきていて、この事業でも重要な役割を果たしている古賀順子さんは言います。
「これでようやくスタート地点にたつことができました」
浮かび上がらせることそのものも大事業でしたが、「アジール・フロッタン」の運命の第3ステージ、文化活動の舞台となるその日まで彼らの奮闘は続きます。