W杯共催、J2開始、アジア枠の導入と廃止…。時代で追う韓国人Jリーガーの変遷
今やJリーグで欠かせぬ存在になっている韓国人選手。その第一号となったノ・ジョンユンがやってきた1993年から、リーグ創設30年となった2023年までに日本にやって来た韓国人選手(日本で生まれ育った在日韓国人選手は含まず、出身地を韓国にする選手たちのこと)の数を調べた。
その結果、その数は288名だったことがわかった。また、「30年・288名」の統計についても調べた結果、149名が日本でプロになっていたこと、ポジションで最も多かったのはDF(100名)、MF(95名)、FW(63名)、GK(30名)という順であったこと、2年以上Jリーグでプレーした韓国人選手の割合は全体の60%になることなど、さまざま統計結果が明らかになった。
(参考記事: 【日韓初】Jリーグ30年・韓国人Jリーガー全288名の統計をとってわかったこと)
ただ、「30年・288名」という括りとその統計結果だけでは韓国人Jリーガーの特徴などは説明しきれない。また、そもそも時代によって来日する韓国人選手たちの特徴も異なる。
総合スポーツ雑誌『Sports Graphic Number』第829号(2013年6月13日号)内の記事「若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか」においても、韓国人Jリーガーの変遷を次のように時代区分している。
「盧廷潤(ノ・ジョンユン)が韓国人Jリーガー第一世代とすれば、97年以降に来日した高正云(コ・ジョンウン)、黄善洪(ファン・ソンホン)、河錫舟(ハ・ソクジュ)、柳想鐵(ユ・サンチョル)、崔龍洙(チェ・ヨンス)らは第二世代と言えるだろう。Kリーグで実績を積み、韓国代表の主軸でもあった彼らは、高額年俸に加え専任通訳、住居、高級車も用意されるなど、待遇も良かった。ワールドカップ共催の友好ムードもあって、その動向は韓国でも詳細に報じられた。(中略)
そして第三世代の朴智星(パク・チソン)が新たな成功例を示す。(中略)。アジア枠導入の09年以降は、代表経験はおろかプロ経験もない選手が大挙来日するようになった。若くて無実績の第4世代の登場である」(『Sports Graphic Number』第829号「若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか」)
(参考記事:今だからこそ知りたい!! 韓国人Jリーガー、あの人たちは“いま”)
また、韓国のサッカー専門ウェブメディア『FOOTBALLIST』は2013年11月23日発の「ノ・ジョンユンからペク・ソンドンまで…コリアンJリーガーの足跡」と題した記事内で、「1期=先駆者ノ・ジョンユン 2期=コリアンJリーガー黄金期を牽引したホン・ミョンボ、ファン・ソンホン、ユ・サンチョル 3期=成功的なワールドカップ開催、Jリーグラッシュとパク・チソン 4期=大学生選手たちのJリーグラッシュの始まり」と時代区分をしている。
このように時代によって韓国人Jリーガーの特徴は異なるわけで、その変化を調べるために、筆者は前出の2記事を参考に韓国人Jリーガーの時代区分を次のように分類した。
■韓国人Jリーガーの時代区分
時代区分は、Jリーグの組織改編やJリーグを取り巻く環境に影響をもたらす出来事があったかなどを考慮して設定した。
例えば第1期は、1993年のJリーグ開幕から始まり1999年のJ2リーグのスタート、そして日本と韓国が共同開催した2002年ワールドカップまでの期間とした。
そして、2002年ワールドカップを成功的に終え、J1リーグが現行の18チーム体制(2020年シーズンのみ新型コロナウイルスの影響で20チーム体制での運営)となった2005年を含めた時期を第2期とした。
第3期のスタートを2009年としたのは、このシーズンから「アジア枠」がスタートしたからだ。「アジア枠」とはAFC加盟国の選手1名は、外国人選手枠に含まず登録できるという制度で、Jリーグでは2009年から導入された。このアジア枠が2014年から始まったJ3リーグにも採用されたこともあって、2015年までを第3期とした。
ただ、そのアジア枠も2019年には廃止されている。その前後から現在に至るまでの期間で韓国人Jリーガーの特徴を把握すべく、2016年から2023年までを第4期と区分した。
この4つの時代区分によって、韓国人Jリーガーはどんな質的特徴を持ち、時代によってどんな変化が発見できるか。次回はそれについて詳しく触れていきたい。