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スペイン非常事態宣言の原因は“マスク非着用”の大いなる誤解

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
非常事態宣言前夜、10月24日のマドリッドでのフラメンコショーで(写真:REX/アフロ)

我が街グラナダを1時間ばかり歩いた。

10万人当たりの直近1週間の新規感染者数が500人超で、東京の約65倍、アンダルシア州では市外への移動禁止が最初に出た街である。

散歩ついでに通り過ぎる人、周りの人のうち何人がマスクをしていないかを数えてみた。日暮れで人通りは多くなかったが、300人以上見た中で、非着用者は1人だった。

イギリスの調査機関のアンケート調査によるとスペインの着用率89%は欧州ではトップだが、私の実感ではもっと高い。

これ、日本だとどのくらいなのだろう?

意外にマスクをしているスペイン人

マスク非着用がスペインの非常事態宣言の原因となった、というのは、この第二波の場合は間違いだ。

この国では8月中旬以降、屋外屋内を問わず、ソーシャルディスタンス(以下、SDと略す)を保てているか否かを問わず、マスク非着用は100ユーロ(約1万2500円)の罰金となった。

マスメディアも着用率アップに大いに貢献した。

7月、8月はチャンネルを捻るととにかくマスク、マスクと連呼。視聴者がマスクをしていない“不届き者”の動画をテレビに投稿。それをニュース番組で紹介して叩く、ということが毎日行われていた。

マスク非着用は恐怖にまで高まった

マスク着用自体は良いことだ。

だが、このキャンペーンは行き過ぎた恐怖を人々に植え付けることになった。

「屋外でSDを守ればマスクを外しても比較的安全」という類のポジティブな方のメッセージを誰も出さなかったのだ。そのせいで、猛暑下の屋外で周りに誰もいないのにマスクを着けっ放し、という日本人の私には理解できない光景が普通に見られた。

(これについてはここに書いた)(また第一波でのマスクの着用状況についてはここに書いた

その恐怖の延長が、前回紹介した屋外での喫煙禁止、マスクを外して一口飲み食いして再びマスク着用などの、まるで“マスクを外すとウイルスが口に飛び込んで来る”といわんばかりの極端な対応を生んだ。

だが問題は、それだけ一生懸命マスクを着けても感染拡大が止まらなかったことだ。

マスク狂騒曲の陰で。2つの感染拡大要因

なぜか? 日本との違いは何なのか?

政府も原因究明できていない(するつもりもない?)ところで恐縮だが、推論してみた。

まず、日本ではなくてスペインではあったのが、「若者の集団飲酒」

数十人から数百人単位で若者が集まって夜、公園や広場で飲酒する行為は、スペインでは普通に見られる。当然、羽目を外す彼らがマスクをするはずもなく、ここで感染し無症状で帰宅して家族や親戚に感染拡大、というシナリオ。ツーリスト用のアパートを借り切って、そこでどんちゃん騒ぎ、というパターンもある。

今回の非常事態宣言が夜間の外出禁止に重きを置いているのは、こうした無法を阻止するのが狙いだ。

次に、日本でやってスペインでやらなかったのが、「クラスター追跡」だ

おそらく若者の暴走よりもこちらの方が、主因であろう。

今日、新聞を読んでいたら「スペインには7月の2倍の追跡員がいるが、手遅れだった」という記事が出ていた(『エル・パイス』紙10月27日付)。同紙によると、7月中旬にはスペインには3500人の追跡員がいて、それは必要数の半分だったらしい。3カ月後の今、倍以上の8500人に増強されたらしいが、新規感染者の増加ペースが7月と比べて18倍に増えていては、とても手が回るわけがない。

日本の報道を見ると「これまでに感染が確認された人の濃厚接触者」が新規感染者の50%程度いるが、スペインでは「12%」(同紙)。

つまり、日々9割の感染源が不明では、拡大を止められるわけがない。

感染は常に個人の無責任のせいにできる

第一波終了時の宿題であったクラスター対策を、時間があったのにやらなかった。マスク、マスクと騒いでいるうちに、肝心な方、感染源を絶つ方が疎かになっていた。

以前、ここで書いたことを繰り返しておく。

『因果関係がわかりにくく感染経路がつかみにくいコロナ禍では、責任のすり替えが起こり易い。

どんなに周りが感染していてもマスクとソーシャルディスタンスで自分を守ることができる。そういう意味では、”究極の感染対策はマスクとソーシャルディスタンスであり、結局のところ一人ひとりの責任だ”という強弁もまかり通りかねない。』

2度目の非常事態宣言に際して、“クラスター対策に不備があった”という為政者の反省の声はまったく聞こえてこない。

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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