女を恐れよ!男よひれ伏せ!シッチェス史上最高傑作『The Substance』
シッチェスの国際ファンタスティック映画祭(10月3日から13日)に来ている。今年は48本見るつもりだが、6本目でもう滅茶苦茶おススメ作、この映画祭で500本ほど見てきた中でも自分史上最高作に出会った。
その名は『The Substance』。
日本公開はまだ先のようなので、ここではあらすじ等は一切書かない。下に予告編のリンクを張っておくが見たくない人は見なくていい。内容紹介や劇中写真を含めたレビューは先のためにとっておこう。映画好きのみなさんはとりあえずこのタイトルを覚えてほしい。
■わざとくどく、わざと汚く
自分的には100点満点で98点だ。
マイナス2点は「くどさ」だけ。何度も終わるタイミングがあったが、終わらないで最後のとことんまでを露悪的に見せた。別のタイミングで終わらせた方が良かったと思うので、そこがマイナス2点。
でも、お前ら目を背けるな!と、モラル的・視覚的な検閲を排除した、嫌悪感で正視できない映像を見せ付けられた挙句、笑うしかない結末に導いてくれたのは、このくどさのお陰なのである。
フェミニズム的な主張をしようとすれば、もっと綺麗に終わらせることができた。だが、それを拒否してわざと終わり方を汚したことでオリジナルとなった。
↑同じ監督の『REVENGE』。これも延々と血みどろが続く「くどい」良作だった
■クローネンバーグ超えのエログロ
このコラリー・ファルジャって監督、デヴィッド・クローネンバーグの隠し娘じゃないの? これ褒め言葉です。息子のブランドンよりも、いや父をすらも描写の容赦なさで上回っている。
私には偏見があった。
クローネンバーグは男でなければならない必然がある、という。女性はデリケートで繊細だから、エログロの描写は甘くなりがちだ、と。その甘い描写こそが「女性らしさ」ではないか、と思っていた。
だが、この監督のエログロ度ときたら、男監督どものそれをはるかに超えている。凄い才能が現れたものだ。
■「女だから甘い」の偏見ぶっ飛ぶ
特に、ホワイト社会に脅え、アイドル起用の商業主義に屈し、甘いホラーや幼稚なスプラッターばかり撮り続ける最近の日本男子たちは、彼女の爪の垢を煎じて飲むべきだ。
血の量と、肉を切り刻む痛さの度合いにおいて男女平等はすでに実現している、否、大半の男どもは彼女の足下にも及ばない。
もう一人の女性、デミ・ムーアの女優魂も凄まじい。
テーマがテーマだから全裸にはなる。だが、本当に凄いのは体の裸ではなく、心まで裸になってさらけ出したことだ。61歳になるまでハリウッドでの生き様を心と体に刻み込んできた者だからこそ、できた演技だったろう。
鏡の前で自分の裸に直面させられた彼女の心をえぐったのは、現実の残酷さか? それとも時の非情さか?
よくこんな役を引き受けた。
彼女しかできない役で、主人公と本人の生き様が重なるということは俳優冥利に尽きるだろうが、この作品では心の古傷に指を入れる苦痛を伴うものだったはずだ。
コラリー・ファルジャ監督とデミ・ムーアの前に我ら男どもはひざまずくしかない。必見です。
※日本公開が近づくか、始まったタイミングでレビューを書きます。
※カンヌ映画祭で脚本賞を受賞。サン・セバスティアン映画祭でも上映された。こんな「不健全な」作品が受賞、上映されることが、逆説的に映画祭の「健全さ」を表している。