東京五輪と日露戦争を同列に見る森元総理の思考を読む
フーテン老人世直し録(163)
文月某日
安倍総理による新国立競技場建設計画の「白紙撤回」を受けて、にわかに時の人となった森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委会長が22日に日本記者クラブで会見した。総理との会談直後に「たった2500億円を国が出せなかった不満はある」と語ったが、その認識は全く変わっていない。
そして森氏は自分に責任があるかのように言われている事を、「大変迷惑している。組織委が競技場を造る訳ではないし、ああしろこうしろと言った事もない」と述べ、さらに「責任は全体にある。役所の機構上の問題だ」と責任問題に蓋をかぶせた。
会見を聞いてフーテンは「70年前の敗戦も3・11の大震災の時もそうだったが、我々は壮大なる無責任体制を見せつけられている。その無責任体制に手を付けない国が戦争を語る資格があるだろうか」と思った。安保法案を審議する前に国家の存立を危うくする機構上の問題を徹底して洗い出し、改革する事が先決ではないか。
森氏は会見の冒頭で、2013年9月にブエノスアイレスで東京オリンピックが決まった時の喜びに言及し、「日本人にとって日露戦争以来の喜びだ」と表現した。森氏が日露戦争を経験した筈はないが、森氏の頭の中は「日露戦争の勝利」が日本人の歴史上最も喜んだ事例として整理されているのだろう。2020年オリンピック招致はそれに匹敵すると森氏は考えている。
この「日露戦争発言」にフーテンは引っかかった。フーテンも日本の近代史を多少は勉強している。確かに大国ロシアに勝利した事で日本国民は熱狂的に喜んだ。勝てる筈のない戦争に勝つため国民は多額の軍事負担に耐えてきたからである。
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