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映画『モノリス』(2022)の「オープンエンディング」は、アウト!

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
リリー・サリバンの見事な一人芝居。過去を暴かれる女を演じ切った

スリラーとしては面白いが、SFとしては辻褄が合わない。見ている映像が妄想だとすれば突拍子のないものが見えていてもおかしくないけれど、実際に存在するものが見えているとすれば理屈には合わず、突拍子がないだけだ――。

『モノリス』はラスト15分間をどう解釈するかによってジャンルが変わる。いわゆるオープンエンディングの、見る者が解釈をする作品だ。

すべて妄想狂による妄想物語と解釈すれば、ジャンルはスリラーとなる。そしてスリラーとしてはよくできている。

■スリラーとしての良作『モノリス』

女優一人しか出て来ない低予算映画だが、主人公がポッドキャスターという設定で、常に誰かの話を聞きつつやり取りしているシーンが続くので、一人芝居という印象を受けない。次々と不思議なことが起こっていくお話はテンポが良く、謎が謎を呼んで引き込まれていく

で、後になってよく考えれば、映像として登場するのは主人公だけで残りの人物は声の出演だけ、舞台も主人公の自宅内だけ、ということに気が付く。

『モノリス』の1シーン
『モノリス』の1シーン

つまり、低予算=一人芝居がお話を限定しておらず、お話の中に一人芝居の必然性がちゃんとあり、結果的に低予算になっている。もちろん、「お金がない」を大前提としてスタートしたプロジェクトなのだろうけど、それに気付かせず、「安っぽいなぁ」とか「お話が小さいなぁ」とかにはならない。

実際、お話は自宅から飛び出して、世界各地で起きている陰謀にまで広がっていくのである(もちろん一切、ロケなしで)。

これはやはり大したことだ

女優も良い。お話も良い。演出も良い。編集も良い。

スリラーである場合、黒いレンガ状のモノリスは”忘れていた嫌なことを思い出させ、生涯あなたを責め苛む、トラウマほじくりマシーン”のような存在だ。

『モノリス』の1シーン
『モノリス』の1シーン

■SFとしての怪作『モノリス』

ラスト15分間のトンデモ展開で、「あれっ、これSFだったの?」と疑問が生まれる。妄想ではなくて、起こっていることが事実だとすると、この作品はSFということになる。

陰謀は「論」ではなくて確かに存在し、あのモノリスは”宇宙人の侵略ツール”だったり、”人を狂気へ導く新型ウイルス発生装置”だったりする。

あの15分間がなければスリラーとしては完璧だったが、余計な15分間のために鑑賞後に「うーん」と頭を捻る羽目になり、SF的に納得のいく着地点を模索させられる。

そして最後に、いろいろ納得のいかないもの、回収されない伏線が残るので、SFとしては良作ではなく「怪作」と評さざるを得なくなってしまうのだ。

『モノリス』の1シーン
『モノリス』の1シーン

考えさせられることは、オープンエンディング作品ならではのメリットだ。

だが、あのトンデモ展開をSFとして解釈するには、謎があまりに多過ぎないか?

以下、持論。

オープンエンディングにも「良いオープンエンディング」と「悪いオープンエンディング」があって、「良いもの」は複数の納得できるオプションがあるもの――AでもBでもCでもあり得るもの――で、「悪いもの」はどのオプションでも――AでもBでもCでも納得し切れないもの――だと思っている。

SFとしての『モノリス』は後者で、大風呂敷を広げ過ぎて収拾が付かなくなっている、というのが私の感想だ。

ぜひ日本公開をしてもらって、みなさんの意見を聞いてみたい。ラスト15分までの緊張感とスリリングさは保証しますゆえ。

※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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