少子化の時代に、地方のトップが心がけるべきこと
地方が疲弊する大きな要因とは
日本では近年、毎年20万人のペースで人口が減り続けています。日本の総人口から見れば今のところ、その減少率は0.2%程度にすぎないのかもしれません。しかしそれ以上に深刻なのは、東北や九州、中国、四国など、地方の人口がその数倍のペースで減っているということなのです。
人口の減少要因には、死亡が出生を上回る「自然減」と転出が転入を上回る「社会減」の二つがありますが、地方に行けば行くほど自然減の影響だけでなく、社会減の影響も大きいという状況にあります。若者が大都市圏に流出する傾向が止まらず、出生数の減少に伴う少子化に拍車がかかっているからです。
地方の自治体のなかには、婚活や子育て支援に力を入れてきたところはあるものの、少子化を緩和する本質的な処方箋ではないので、その効果は乏しいままとなっています。人口流出に悩む多くの県では、県内の高校を卒業した学生の半数以上が進学や就職のために県内を離れ、多くはそのまま県外に就職するという流れに対して、抜本的な対策を打つことができていません。
そもそも学生が地元を去る大きな素因は、地方の多くが賃金も含めて魅力的な雇用を提供できていないということです。もちろん、学生にも大都市圏で生活してみたいという憧れがあるのかもしれませんが、やはり地方の学生や親の大半が、大都市圏の大学に進学したほうが就職に有利だろうと思っている点が大きいのです。就職先として良質な雇用がなければ、地方から若者が減っていくのはやむをえないというわけです。
地方からの若者の流出は、短期的には人手不足に悩む地方経済に打撃を与えるのみならず、長期的には地方の出生数減少の加速化を招き、地方の人口減少がいっそう進むという悪循環をもたらします。地方自治体が若者の流出は止められないと諦めていたら、地方はなし崩し的に悪い方向へと進み続けるだけです。人口流出を食い止めようと必死の努力をしなければ、多くの自治体が20年後、30年後には破綻の憂き目に遭ってしまうでしょう。
大企業と大学の組み合わせが地方を救う
私はこの大きな流れを止めるためには、「大企業の本社機能の地方への分散」しかないだろうと考えています。(大企業の本社そのものが地方へ移転することが理想ですが、落としどころとして地方への分散が現実的であると考えています。)9月4日の記事では、建設機械大手コマツの事例を取り上げ、出生率は飛躍的に引き上げられるという数字的な根拠を示しています。大企業が地方で良質な雇用をつくる努力をすれば、それだけで効果的な少子化対策になるというのに加えて、若者の地方からの流出が緩和されることも十分に期待できるのです。
私のかねてからの持論は、「大企業の本社機能の分散」は「地方大学の振興」と組み合わせてこそ、いっそうの効果が発揮できるだろうというものです。しかし現状では、地方の大学が都市部の大学を上回る魅力を持つにはいたらず、若者の流出に歯止めがかかっていません。少子化により若者の数が減り続ける見通しだったにもかかわらず、日本の大学数は1988年の490校から増加の一途を辿り、2016年には777校にまで増えてしまっており、定員割れを起こしている大学が300校近くもあるのです。長い目で見れば、多くの大学が淘汰される厳しい状況下であっても、地方自治体は若者をつなぎとめるために、地方大学の学力や魅力度を底上げできるように懸命に努力しなければならないでしょう。
たとえば、地方自治体が大企業を誘致する条件として、大企業が欲する人材を教育する専門職大学や単科大学をつくるというアイデアはどうでしょうか。当然のことながら、専門職大学や単科大学をつくるために、最初からそのすべてを地方の財政で賄うというのは無理があります。だから地方自治体は、淘汰により廃校になった大学・高校や不要になった施設などを改修・刷新することで再利用するという選択肢を持つべきなのです。採用に直結する専門職大学や単科大学であれば、学生と企業の双方にメリットがあり、卒業後に若者が大都市圏に流出するという事態も回避できるはずです。
さらに地方大学の振興を促進するためには、卒業の要件を厳しくする必要があります。誰でも大学に進学できる環境を整えながら、全員が必ずしも卒業できないシステムに改めていくことが求められているのです。大学が卒業生に対して専門職にふさわしい知識や技能、思考力を担保できなければ、地方大学の振興には程遠いし、ひいては地方経済の発展に寄与することなど到底できないからです。東京の有名大学に先駆けて、地方の大学からこういった取り組みを始める必要があるのではないでしょうか。現に、秋田県の国際教養大学は卒業が難しいカリキュラムで知られ、大企業が相次いで秋田まで採用活動に訪れているというのです。
いずれにしても地方自治体には、各々の地方の強みや特色をデータの形で見える化したうえで、マーケティングに力を入れながら地方大学の振興策に取り組んでもらいたいところです。地方大学の底上げという問題はそれだけを考えていては不十分であって、良質な雇用の確保という問題と併せて考えるようにしなければ中身の薄いものとなってしまいます。ところが、ほぼすべての自治体がこれらを別々の問題として捉えているため、対策を講じても効果は出ない結末となっているというわけです。
身近な例をひとつ挙げれば、私の地元に筑波大学という優秀な大学があります。勉学に励む優秀な学生が多いため、大企業の採用部門の評価が非常に高いことでも有名です。したがって、卒業生がそのまま茨城の企業に就職するケースは皆無に等しく、卒業生の圧倒的多数が東京の企業に就職するという状況に甘んじているのです。この筑波大学の事例などは、先ほどの秋田の国際教養大学と同じく、せっかく地元に優秀な大学があっても、地元に良質な雇用がなければ意味をなさなくなるという典型例であるといえるでしょう。
地方自治体には自らの地域の特色や強みを分析したうえで、大企業の誘致と地方大学の振興を組み合わせた施策を進めてもらいたいところです。やはり、相性の良い施策を組み合わせてこそ、相応の効果を発揮することが期待できるからです。地方に良質な雇用が生まれれば、若者が地方に残って働くという選択肢も広がります。それが地方における少子化の緩和や活性化にもつながっていくし、ひいては日本全体の人口減少の加速を止めることにもつながっていくというわけです。
地方が現状を維持するか、転落していくか、それは首長の才覚次第だ
そういった意味で私は、地方が破綻しないための改革を推進していくには、地方の首長の強力なリーダーシップが欠かせないと確信しています。地方の首長が地域の住民に何としても明るい未来を見せたいという情熱を持たなければ、首長が柔軟な思考力と本質を見抜く才覚を持っていなければ、その地方の未来は極めて暗いものとなってしまうでしょう。要するに、これからの地方が何とか現状を維持していくのか、それとも坂を転げ落ちるように転落していくのか、それは首長の情熱と才覚にかかっているというわけです。
数か月前の話なりますが、ある自治体の知事選挙に出る候補者から「何か目玉になる政策はないか」と意見を求められたので、「大企業の本社機能の一部を誘致することと、地域の大学の底上げをすること(有名大学の誘致や大学の新設も含めて)の二つが核になる」と申し上げたところ、「そんなこと、できるわけがない」と切って捨てられました。できない理由ばかりを挙げて現状を放置したらその地方はどうなってしまうのか、その候補者はまったく理解していなかったのでしょう。
これから少子高齢化が加速度的に進む日本では、最初からできないと解決策を放棄してしまう首長は、確実にその自治体を負け組に追いやってしまうだろうと考えています。実のところ、長野県や富山県など複数の自治体の首長は、大企業の本社機能の一部を地元へ移してもらおうと、一生懸命になって働きかけているからです。できない理由を考えるのではなく、できるようにするには何をなすべきかを考えるほうが、これからの地方のトップには不可欠な資質であるはずなのです。
過去の人口が増え続けていた時代では、たとえ何も考えていない首長が何期もリーダーを務めたとしても、よほどの稀なケースでないかぎり、自治体が苦境に陥るようなことはありませんでした。しかしながら、これからの人口減少が加速していく時代では、首長の情熱や才覚がかつてないほど試される時代に入ってきたといえるでしょう。地方自治体のあいだで住民の奪い合いが始まり、否応なく弱肉強食の様相が強まってくるからです。首長の情熱や才覚によって、持ちこたえる自治体と転落する自治体に峻別されていくというわけです。
たしかに、これから10年以内にはすべての都道府県で人口が減り始めるというのに、地方のあいだで人口を奪い合っても意味がないという意見があるかもしれません。しかし、そのくらいの危機意識を持った競争にならなければ、多くの自治体も一生懸命にはならないのですから、むしろ全体としては大いに意味があることだと思っています。将来の日本が少子化をできるだけ緩和するためには、どうしても東京や大都市圏への人口集中を逆回転させるような競争が必要だからです。
仮に出生率が現状の1.44のままで推移するとすれば、40年後の日本では毎年90万人以上の人口が減り続けると試算されています。これは、今の香川県や和歌山県といった自治体が1年ごとに消滅していくという衝撃的な数字です。そうなってしまっては日本には悲惨な未来しか待っていないので、国民全体でもコンセンサスをしっかりと持って、できるかぎり出生率を上げていく努力を続けていかなければならないのです。そうすることによって、90万人以上減るといわれている数字を、45万人や30万人に縮小させることは十分に可能であるからです。