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ある日、夫が“消えた” 〜パパは死んじゃったの? 弁護士が拘束される中国のひどい真相

宮崎紀秀ジャーナリスト
弁護士の夫が行方不明になって3年。涙ながらに語る李文足(今年9月北京にて)

夫の帰りを待ち続ける女性

 今年9月。北京市内のあるマンションを訪ねた。エレベーターで8階まで上がって、その階に並ぶ白いドアの一つをノックすると、女性が笑顔で迎えてくれた。

 事前に訪問を告げていたためだろう。まだ午前中だったが、彼女は、すでにばっちりメイクをしていた。濃く引いた眉は、二重まぶたの大きな瞳を一層引き立て、オレンジ色がかった淡い色の口紅は、白い肌によく映えた。栗色に染めたショートヘアーも、活動的な彼女によく似合っていた。

 これから始まる切ない物語の主人公としては、あまりに綺麗で、正直少し戸惑ったが、それはこちらの勝手な思い込みが原因である。本来ならば、彼女も他の同年代の女性がするように、化粧やお洒落を楽しみ、幸せな日々を享受してしかるべき、なのだから。

 女性の名は李文足(33歳、以下敬称略)。

夫の最後の写真を指す李文足(今年9月北京にて)
夫の最後の写真を指す李文足(今年9月北京にて)

 通してもらった広いリビングルームは、無駄な家具が無く、綺麗に整頓されていた。そのリビングに接して6畳くらいの部屋がある。5歳になる一人息子の部屋である。今日は幼稚園に行っていて息子はいない。その一面の壁には、プリントされた家族の写真が沢山貼られていた。二十枚以上はある。

夫の最後の写真

 李文足は、その中の一枚を指差した。

「駅で別れた時、彼は『行くよ』と手を振って行きました。それ以来、今まで離れ離れになっています」

 写真の中にはメガネをかけた男性が写っている。夫、王全璋(42歳)である。おそらくその駅に到着する前に電車の中で撮ったのだろう。写真の中の王全璋は、隣の席の上に立ち上がっている、まだ幼い息子を優しげに見守っていた。

 これが、夫の姿を捉えた最後の一枚になったという。夫はこの写真の一か月後、行方不明になった。

 李文足は「それっきりですよ、ハハハ」と、乾いた声で笑う。

行方不明になった夫・王全璋の最後の一枚。息子を優しく見つめていた(2015年6月)
行方不明になった夫・王全璋の最後の一枚。息子を優しく見つめていた(2015年6月)

 李はかつて「毎日泣いてばかりはいられませんから」と話したことがある。確かに息子と二人で夫の帰りを待つ生活も、今では三年を超えた。敢えて明るく振る舞わなければ、やっていられないのかもしれない。

「こうやって写真を見ながら、パパの姿を覚えていてほしい…」

 張りのある声が、ふと途切れた。彼女は、大きな瞳で写真を見つめながら、ふー、と長い溜息をついた。

夫は人権派の弁護士

 李文足の物語は、三年前に遡る。

 夫の王全璋は弁護士である。中国政府が違法な宗教とする「法輪功」の信者の弁護や、時に地方政府などとの利害が対立する強制立ち退きの被害者の弁護も厭わない人権派と呼ばれる弁護士だった。

 その日、二人は中国南部の蘇州に一緒に向かった。夫は出張のため、李文足は友人に会うためである。先の写真はその際に撮った一枚である。二人は、到着した蘇州の駅で別れた。6月9日である。それが、李文足が夫の姿を目にした最後の瞬間となった。

 その一か月後、2015年7月10日から王全璋は音信不通となった。夫の行方は、忽然と消えた。

行方不明になった王全璋弁護士。李文足はまだ幼い息子を抱いている
行方不明になった王全璋弁護士。李文足はまだ幼い息子を抱いている

弁護士が一斉に拘束された

 実は、2015年7月9日を境に、中国全土で人権派と呼ばれる弁護士や活動家が次々と失踪した。後に、これが中国当局による一斉拘束だったことが明らかになる。王全璋もその一人だったが、当初、家族がそれを知る術もなかった。

 突然、夫が音信不通となった二日後の7月12日、李文足は、その夫の名を国営・中国中央テレビのニュースで聞くことになる。

 ニュースは、王全璋が所属する北京鋒鋭弁護士事務所を舞台とする、犯罪集団を警察が摘発したという内容だ。

「警察は、北京鋒鋭弁護士事務所の周世鋒主任を首謀とする、重大な刑事犯罪容疑のあるグループを潰した。これまでの調べで、四十件あまりの敏感な事件を騒ぎ立てるよう画策し、社会の秩序を重大に混乱させたことがわかった」

 ニュースはそう報じていた。

 この“犯罪グループ”の、計画・行動を担当するメンバーとして、数人の弁護士と共に王全璋の名前が挙げられた。

 しかし、それだけである。王を逮捕したとも、どこの警察が調べているとも触れているわけではない。何よりも、これはあくまでもニュースであって、司法当局からの正式な知らせがあったわけではない。

安否は今もわからない。夫、王全璋の顔をプリントしたTシャツ(今年9月北京にて)
安否は今もわからない。夫、王全璋の顔をプリントしたTシャツ(今年9月北京にて)

夫は本当に生きているのだろうか?

 李文足が次に、王全璋の情報を得るのは、それから六か月を待たなければならなかった。

 それは、翌2016年1月、天津市警察からの王の実家に送られてきた一通の逮捕通知書だった。天津市の警察が、国家政権転覆罪の容疑で王全璋を逮捕し、天津第二留置所に拘置しているという内容だった。

 李文足は、その後、天津の留置所に足繁く通い、面会を求めたり、金や服を差し入れたりしようとする。しかし、何故かそれは悉く拒絶された。窓口でパソコンに王全璋の名前がない、と言われたこともあるという。

 面会は家族どころか、家族が依頼した弁護士さえできない状態が続いた。

「私が雇った弁護士が面会でき、夫が健康だ言わない限り、誰の話も信用できない」

 李文足はそう訴えていた。

 夫は本当に生きて拘束されているのだろうか?

 その疑問が当然、沸き起こる。夫の安否を求めて奔走する日々が始まった。

 ちなみに、李文足によれば、三年を過ぎた今も、家族の元に届けられた正式な通知は、この逮捕通知書だけである。逮捕後の法的手続きも正式には何も知らされていない。

最高人民検察院を訪れた李文足(右)。李と行動を共にするのは、やはり拘束された弁護士の妻・王峭嶺(2017年8月北京にて)
最高人民検察院を訪れた李文足(右)。李と行動を共にするのは、やはり拘束された弁護士の妻・王峭嶺(2017年8月北京にて)

仲間と共に行動へ

 私も何度か、李文足のその後の行動を取材したことがある。その一つは、北京市内にある最高検察院に行き、夫との面会を妨害する天津の留置所や裁判所を訴えるというものだ。李と行動と共にするのは、王峭嶺(46歳)である。彼女の夫も三年前の7月に一斉拘束された弁護士だ。王峭嶺の夫、李和平(48歳)は、2017年4月、国家政権転覆罪で懲役三年、執行猶予四年の判決を受け、一年十か月に及んだ勾留を解かれた。王峭嶺は夫の釈放後も、夫が勾留中にひどい拷問を受けた事実を訴えている。

 検察院の建物に入る前に、一悶着ある。なかなか建物に入れてもらえない。李文足らをは、その様子をスマホで撮影する。自分たちの行動の記録と不当な扱いを受けた証拠を残すためだ。警察官らも、その李たちの様子をカメラで撮影する。建物の中に入れても、目的の検察官らにはまず話を聞いてもらえない。

夫・王全璋弁護士の失踪から924日(今年1月北京にて)
夫・王全璋弁護士の失踪から924日(今年1月北京にて)

 それでも李文足は、そうした行動を繰り返し続けた。警察官や時には身元不明の者たちから受ける「嫌がらせ」を撮影し、ツイッターなどのSNSで発信する。夫、王全璋の顔を描いたTシャツやトレーナーを着て行動するようにもなった。

 夫が中国政府によって連れ去られ、生死さえ不明のまま今に至っている事実が、闇に葬り去られないためである。李文足は、人々が、そして、海外のメディアが事件に関心を持ち続けてくれることを望んでいる。

パパは死んじゃったの?

そんな生活も三年が過ぎた。

 李文足は、この三年で「強くなった」と認める。確かにいつも気丈な彼女だが、話題が息子に及ぶと、すぐに泣き出す。

「子供に、『パパはもしかしたら死んじゃったの?もうパパに会えないの?』と聞かれても、どう答えていいのか分かりませんでした」

「パパは死んじゃったの?」と聞かれても答えようがない、と涙する李文足(今年9月北京にて)
「パパは死んじゃったの?」と聞かれても答えようがない、と涙する李文足(今年9月北京にて)

 大きな瞳に、みるみる涙がたまる。そこに止まることができず、溢れ落ちて頬を伝わる滴を、綺麗にマニキュアの塗られた細い指が拭う。

「他の子達は父親と一緒にサッカーしたり、一緒にスポーツしたりできるのに、この子には、パパがそばにいてあげられない」

(「ある日、夫が“消えた” 第2話」)

ジャーナリスト

日本テレビ入社後、報道局社会部、調査報道班を経て中国総局長。毒入り冷凍餃子事件、北京五輪などを取材。2010年フリーになり、その後も中国社会の問題や共産党体制の歪みなどをルポ。中国での取材歴は10年以上、映像作品をNNN系列「真相報道バンキシャ!」他で発表。寄稿は「東洋経済オンライン」「月刊Hanada」他。2023年より台湾をベースに。著書に「習近平vs.中国人」(新潮新書)他。調査報道NPO「インファクト」編集委員。

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