ある日、夫が“消えた” 〜中国が恐れるのは民主化?弁護士が拘束される中国のひどい真相
取り調べなど300人以上。5人が服役中
中国で人権派の弁護士や活動家が、2015年7月9日をきっかけに、次々と身柄拘束された。その日付からこの事件は「709弁護士一斉拘束」などと呼ばれる。
香港のNPO「中国維権弁護士関注組」によれば、国家政権転覆罪などで李文足(33歳 以下敬称略)の夫、王全璋(42歳)を含む十五人が起訴された。それ以外にも、これまでに取り調べを受けたり、行動の自由を制限されたりした人は三百人以上に上ったという。
起訴された十五人のうち、王全璋を除く十四人は、すでに判決が確定している。その中で、懲役七年の実刑判決を受けた周世鋒弁護士、懲役八年を受けた人権活動家の呉淦ら合わせて五人が、現時点で服役中である。
その一方で、王全璋は身柄拘束から三年以上たった今も、裁判さえ開かれず、本人に関する情報がほとんど漏れてこない異常な事態が続いている。
「中国にもこんな弁護士たちがいてくれた」
去年8月、北京市内にある小さな法律事務所に、弁護士らが集まっていた。
母親が身柄拘束中に殺害されたという女性の訴えを聞き、当局を追及する手段を協議するためだ。真相究明をどのように進めるべきか、盛んに意見が飛び交い、古い扇風機が首を振る会議室は、熱気に満ちた。
「母が殺された事件に、注目してくれて、初めて人の温かさを感じました。中国にもこんな弁護士たちがいてくれたのですね」
集まった二十人近くの弁護士や法曹関係者を前に、まだあどけなさを残す女性はそう述べ、感謝の気持ちを精一杯表現した。
女性に支援の手を差し伸べたのは、庶民の権利を守るためには、時に体制側に不都合な問題の追及をも辞さない弁護士たち。人権派と呼ばれる。
三年前、行方不明になった王全璋もそうした人権派の弁護士の一人である。中国政府が邪教と呼ぶ集団「法輪功」の信者の弁護なども手掛け、当局との対立も恐れず活動していた。
そもそも弁護士の一斉拘束は、なぜおきたのか。
警察の発砲事件が一斉拘束の「導火線」に
複数の人権派の弁護士らは、その二か月前、2015年の5月に東北地方の黒竜江省でおきた事件が、弁護士一斉拘束の「導火線」になったのだと言う。
国営メディアが報じたその事件の概要は、以下である。
慶安という駅の構内で、45歳の男と警察官が殴り合いになった。男は制止を聞かず、警棒を奪い警察官に殴りかかった。そのため警察官が発砲し、男を射殺した。
しかし、人権派弁護士らはこれを「警察による殺人」だと追及した。そして市民がこれに呼応し、支持が広がった。「私を撃て」と書いたプラカードを掲げる人々が、慶安駅に集まった。当時、そうした写真や映像が、SNSで拡散した。
警察の対応を問題視した弁護士
謝燕益弁護士(43歳)は、慶安駅の発砲事件が発生した直後、現地に赴き、射殺された男性の家族などへの聞き取りもした。警察の対応を問題視し、社会に訴えた張本人である。その謝燕益自身も、7月に一斉拘束された一人。約一年半の拘束の後、保釈された。
保釈から半年以上経った2017年8月、謝燕益に接触できた。本人は当局の監視を気にしており、自宅から離れた北京市内のファストフード店で落ち合った。治安当局の尾行がついていないのを確認した上で、近くの茶館に場所を移して話を聞いた。
中国当局は、何を嫌がって人権派の弁護士たちを一斉に摘発したのだろうか?
民主化を恐れる当局?
謝燕益は、取り調べを受けて、当局が弁護士らを拘束した狙いについて、次のように感じたという。
「お前たちには、最終的な共通の目的があるのではないか。つまり目的は、平和・民主化にあるのではないか。例えば、慶安の事件は、誰が組織し、その目的は何だったのか。法律上の刑事事件ではなく、政治事件なのではないか、と」
慶安駅の事件は一例に過ぎない。当時、同様の現象、即ち弁護士が庶民の権利を守るために行動を起こし、それに呼応した人々や人権活動家が連携して抗議活動などに結びつく動きが、中国各地で生まれていた。
「弁護士や市民は、ばらばらに散らばっているべきで、一つになってはいけないと彼らは考えています。一つになれば、権力層に対する脅威になるからです」
謝燕益は一年半の勾留の後、保釈された。その際、今後、取材に応じない、人権活動に参加しない、民主化活動など政治的に敏感な問題には関わらない、などという条件を認めさせられたという。
メディアが手錠をかけられ連行
今年5月、北京弁護士協会は、謝燕益が過去に扱った案件に、違法性がなかったか否かを審査するための公聴会を開いた。その際、記者たちが本人から話を聞こうと、公聴会に向かう謝燕益を歩道上で取り囲んだ。謝燕益はそれに快く応じようとしたが、周囲にいた警察官らがこれを阻止した。ちなみに、取材したいという者とそれに応じる者がいる状況において、警察がその取材を妨害する根拠は全くない。
しかし、そんな道理がこの国では通じるわけはない。おそらく、制止に抵抗してカメラを向け続けていたのだろう。数人の警察官が、ほとんど殴るような勢いで、一人の男性カメラマンを地面に組み伏した。さらに後ろ手に手錠をかけて、このカメラマンを連行した。謝燕益は、警察の取材妨害に抗議したが、彼自身も別の警察車両に乗せられて連れ去られてしまった。
謝燕益はしばらくして解放され、公聴会に参加したと後に打ち明けたが、少なくともメディアに対する発言は封じられたわけだ。
取材・報道の自由がない中国とはいえ、メディアに手錠までかけるのは珍しい。連行されたのは、香港のナウ・テレビのカメラマンだった。同社はすぐさま放送で中国当局の対応を非難し、即時釈放を求めた。
補足だが、香港は「中国の一部」であるが、1997年にイギリスから返還された後も一国二制度という仕組みを採用しており、中国本土とは異なる社会体制を維持している。返還後に自由度は少しずつ狭まっているが、大枠では、イギリスの統治時代に築かれた民主主義の社会を享受し、言論・報道の自由もある。
弁護士活動を封じられた謝燕益
そのため、中国本土のメディアがまず取材することはない敏感な問題でさえ、香港メディアは、海外メディアと同様に、いや、むしろそれ以上に果敢に挑んでいく。見上げた同業者たちである。よって現場では、しばしばこうした取材妨害も経験する。香港と中国はこんなところでも違う。
一方、謝燕益は、今日に至るまで弁護士資格が更新されない状態が続いている。つまり、もはや中国で弁護士はできない。