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「Bento」として世界で広がる日本の弁当。その一翼を担う日本人の挑戦(1)

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
NYで弁当を作り続けて17年になる古川さん。(c) Kasumi Abe

今、日本の弁当がアメリカでにわかに注目されている。

アメリカのランチといえば、ピザやピーナッツバター・サンドイッチにリンゴなど栄養価が偏ったものが主流だが、都市部では健康志向の高まりや食の多様化と共に、栄養バランスの良い弁当が「Bento」として脚光を浴びている。

フードコートではBentoという名のセットメニューに出合うこともしばしばだし、雑貨店では弁当箱も売られるようになった。“Bentoとは?”という注意書きもないことから、当地でBentoの概念が浸透したといっても過言ではない。そしてこれはアメリカのみならずヨーロッパでも見られる傾向だ。

そんな世界的な潮流の中、ニューヨークの弁当屋、BentOn(べんと・おん)の古川徹さんに、弁当にかける思いや異文化への挑戦について聞いた。

雑貨店などで普通に売られるようになった弁当箱。(c) Kasumi Abe
雑貨店などで普通に売られるようになった弁当箱。(c) Kasumi Abe

店舗拡大に機内食事業…弁当事業17年間はまさかの「挫折だらけ」!?

「ほぼ挫折しかないです」。弁当と共にあるこれまでの人生について、開口一番、古川さんから意外な言葉が出てきた。

東京で3代続く弁当屋、あづま給食センターの次男として生まれ、遊び場は仕出し工場だった。大学時代に語学留学したアメリカに魅せられ、再渡米のチャンスを窺っていた矢先の2006年、たまたま見たテレビが運命を変えた。

「ニューヨークで弁当事業をする中国系の男性が紹介されていました。仕事がないかとそのおじさんに手紙を書いたら会いに来なよと返事が来て、数週間後にはニューヨーク行きの飛行機に乗っていました」と古川さん。その男性とは意気投合し、住む場所を貸してもらう条件で働くことになった。さらに2週間後には「この事業、君がやった方がいいよ」と言われ、経営を引き継ぐことになったというのだ。

「疑ったらキリがないし騙されたらそれだけのこと。とにかく偶然出会ったこのおじさんを全部信じてみようと思った」

NYの弁当事業を買収した当時の古川さん。(写真は本人提供)
NYの弁当事業を買収した当時の古川さん。(写真は本人提供)

ただし当時の古川さんに、特段弁当への情熱があった訳でもアメリカで弁当を広げるんだという野望があったわけでもなかった。とにかく何でもいいから移住できないかと考えていた時に出会い、しかも実家で養った経験を活かすことができる。まさに渡りに船だった。貯金はゼロだったが実家の事業を通して資金調達ができ、Fuji Cateringという名の弁当事業を買収した。

トントン拍子に動く運命の中で受け継いだニューヨークでの事業。手始めに日系企業への訪問販売からスタートすると、事業は軌道に乗った。さらに数年後にオープンした2つの実店舗は、現地の人々で混み合う人気店に成長した。

デルタ航空の全米路線の機内食も請け負うことになり、コロナ禍後の今年はいよいよ全米に事業拡大すべく中西部にも新工場をオープンした。このような順調な業歴があるのに、「挫折」とは一体どういうことだろうか?

異文化でのビジネス=困難の連続

最初の挫折は、異文化での食の捉え方の違いによる煩雑な規制との闘いだった。「常温」が常の弁当はアメリカ人にとって未知の食べ物。常識を覆し、いかにして理解を得るかに古川さんは苦労した。

「この国では熱いものは熱いまま冷たいものは冷たいまま食べる習慣があるのを当時知りませんでした。ニューヨーク市保健衛生局でも飲食店が提供する食品の設定温度は厳しく取り決められています。そこで常温のBentoは『何だこれは、温度違反ではないか』と目をつけられたのです」

現場レベルでの話し合いでは埒が明かないため、当局のトップに直接会って説明したいと懇願し、理解を求めた。話し合いを重ねることで、弁当という食のスタイルがわかってもらえるようになり、違反切符を免れて営業ができるようになった。

ホッとしたのも束の間、今度はリーマンショックが訪れる。さらに東日本大震災で日本人駐在員が激減した。さらなる打撃は、円高による日本の食材費の高騰だ。弁当価格は7ドル(当時の為替で約700円)から10ドル(約1000円)以上への値上げを余儀なくされた。しかし日本人客が弁当に求めるものは「安さと(すぐに食べられる)便利さ」。値上げをした途端に弁当が売れなくなった。

ここで古川さんはシフトチェンジを余儀なくされる。「ターゲットを在住日本人からアメリカ人に拡大しよう」ということだった。アメリカ人には弁当は安いものという固定観念がなく、料金が高くてもブランディングされたものに価値を見出し買ってくれる。

そこで思いついたのは初の路面店だ。Bentoという文字を入れたBentOnに社名を変えての再スタート。米市場への本格的な参入の始まりだった。

2013年にオープンした初の店舗はニューヨークのビジネス街、ミッドタウンにある。日本人のみならず現地の人々が多く訪れる。(c) Kasumi Abe
2013年にオープンした初の店舗はニューヨークのビジネス街、ミッドタウンにある。日本人のみならず現地の人々が多く訪れる。(c) Kasumi Abe

日系をはじめ多国籍企業の多いミッドタウンの店舗販売は、多様な食文化への理解もあり弁当は順調に売れた。一方で翌年の14年、今度は金融がメインのウォールストリートという毛色が違うビジネス街に開いた2店舗目は閑古鳥が鳴いた。「初日売れた弁当はたったの2個でした」。

聞き取り調査をすると、アメリカ人は惣菜が決まっている形式に興味がなく、おかずを自分で選びたいということだった。そこで古川さんは客が惣菜を自由に選べる新コンセプトの弁当「BentOn Demand」を発案。好みのおかずを選べるスタイルで弁当は飛ぶように売れた。

店舗拡大を狙い16年にはセントラルキッチン(自社工場)もオープン。米系市場への弁当の拡大は順調に進んでいくはず、だった。

常時3種類の弁当は11.48ドル(税別)より。昼過ぎにはほぼすべての商品が売り切れる。(c) Kasumi Abe
常時3種類の弁当は11.48ドル(税別)より。昼過ぎにはほぼすべての商品が売り切れる。(c) Kasumi Abe

しかしその後も「挫折」はついて回る。近年の最たるものは、新型コロナによるパンデミックによる打撃だった。

後半に続く)

(Text and most photos by Kasumi Abe)無断転載禁止

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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