デマではないが正しくない。「結婚したいが9割」という説のカラクリ
デマではないが正しくもない情報が流布されている
「結婚したいが9割」
まるで何かの書籍のタイトルのようだが、非婚化や少子化の話題になったとき、メディアでよく持ちだされるフレーズである。9割が結婚したいのに非婚化が進むのは、やれ経済問題だ、雇用問題だ、若者の草食化だ、政府の対策の怠慢だ、などと原因を追及するためのいわば枕詞として重宝されている。
しかし、この「結婚したいが9割」という数字だが、いろいろと正確性に欠ける。正しくない情報が一人歩きして、恣意的に使われていると言える。とはいえ、全くのデマでもない。そもそも出所は国立社会保障・人口問題研究所「出生動向調査」の独身者調査結果からである。
確かにこれを見ると、直近の2015年の結果では、未婚男性の85.7%、未婚女性の89.3%が「いずれ結婚するつもり」と回答している(対象は18〜34歳未婚者)。
1982年から2015年までの長期推移で見てみると、男女とも1982年には95%前後が「いずれ結婚するつもり」と回答していたものが、30年と少しで男性は10ポイント、女性も5ポイント減少しているのだが、その減少傾向についてはあまり言及されず、四捨五入すれば大体9割なんだから「結婚したいが9割」でいいじゃないか、という雑な扱いをされている。内閣府「少子化対策白書」などにおいてそのように読み取れるような論調で使われている。
9割の数字のカラクリ
そもそも「結婚したい」ではなく「いずれ結婚するつもり」という調査結果にすぎないものを、「結婚したいが9割」に言い換えてしまうこと自体が正しくない。むしろ、「いつの時代も9割が結婚したがっている」という言い方に歪めることで、「みんな結婚の意欲はあるのに未婚率が上昇しているのは、最近の若者の情熱や努力が足りないからだ」という精神論にすり替えようとする恣意性すら感じる。
しかし、「結婚したいが9割」が正しくないのはそれだけではない。この調査での設問は、選択肢が「いずれ結婚するつもり」か「一生結婚するつもりはない」の二者択一なのである。どちらかを選べと迫られたら、現段階で「一生結婚するつもりはない」という強い意志を持つ人以外は、結婚する意思や希望の有無に関係なく、「いずれ結婚するつもり」を選ぶしかなくなるのではないだろうか。
実は、出生動向基本調査においてはではこの後に続く質問がある。「いずれ結婚するつもり」を選んだ人に対して、「1年以内に結婚したい」「理想の相手ならしてもよい」「まだ結婚するつもりはない」のいずれかを回答させている。ちゃんと詳細な結婚意思の確認まで調査はされているのだが、この調査結果がメディア等で紹介された事例を私は見たことがない。
実際、結婚に前向きな若者は何割なのか?
「いずれ結婚するつもり」か「一生結婚するつもりはない」の二者択一設問と、次に続く詳細結婚意思設問のこれら2つの回答をまとめて未婚男女の結婚意思別状況の経年推移がわかるグラフを独自に作成してみた。赤系が「結婚前向き」で、青系が「結婚後ろ向き」という意味である。
直近調査の2015年でいえば、結婚に対して前向きなのは、男性39%、女性47%でしかない。それどころか、個々の数値は若干変化しているものの、赤系の色で示した「結婚前向き度」は男女ともこの30年間あまり変わっていないことがわかる。男性はほぼ4割弱、女性も5割弱という同じレベルで推移している。一番古いデータの1987年は、まだ日本が皆婚時代といわれていた(生涯未婚率が男女とも5%以下)頃である。その皆婚時代と比べても、結婚したいという意思がある人の割合はあまり変わっていないのだ。
つまり、結婚に対して実質的に前のめりになっているのは、30年間ずっと男性で4割以下、女性も5割以下で、一度も過半数にすら達したことがないのである。ここからわかるのは、「結婚はするのかもしれない、とは漠然と思いつつも、結婚するつもりは今のところない」という未婚者が大半だということだろう。そして、この傾向は、近年急に上昇したわけではなく、30年前からずっと同じであり、もしかしたら戦前も明治も江戸時代ですらそれほど変わっていないのではないかとすら思う。
結婚しているか否かで人間の価値は決まるのか?
「9割も結婚したがっている」という正しいとは言えない数字を前提にしてしまうから、「結婚するのが当たり前」というステレオタイプの常識がまかり通るし、未婚者は「結婚できない人」扱いされてしまう。やがて、「結婚意欲があるくせにできないのは、本人が努力を怠っているからだ、または、何かしら欠陥があるからだ」という決め付けにもつながる。そうして「草食化だ」「金がないからだ」「性格に難があるからだ」というもっともらしい理由をどこかから見つけては納得しようとするのだ。
今ではハラスメント認定されるので減ってはいるだろうが、ほんの数年前までは、適齢期の男女に対して「早く結婚しろ」「まだ結婚しないのか」という上司の圧力があった。企業によっては、未婚者であるという理由で管理職に昇進させないというところもあった(今もあるかもしれない)。結婚や子育ても経験していないような人間は部下の育成もできないというのがその理屈らしいが、それが公然とまかり通っていた社会規範があったことも事実である。
そうした後付けの因果論や社会規範が広く流布されることによって、当の未婚男女自体が「どうせ自分はダメだ」と自己否定することにもつながっている。
結婚しているか否かで人間の価値など決まらない。結婚できた人は能力が高く、結婚できなかった人は能力が足りないという話では必ずしもない。結婚したくない人もいるし、結婚する必要性を感じない人は、前述の調査結果の通り半数以上存在するのだ。
婚姻数を増やしたいのならば…
では、30年前も半数以上が結婚に後ろ向きだったのに、なぜ1980年代までは皆婚社会が実現できていたのか。それは、こちらの未婚化の原因を「イマドキの若者の草食化」のせいにするおじさんへのブーメランという記事でも少し触れたように本人たちの意欲や意思を超越した次元で、お見合いや職場縁など社会的なマッチングシステムが機能していたからである。言葉を選ばずに言えば、強制結婚システムだった。現代にそれが再適用できるとはとても思えない。
少子化の問題について最近ようやく政府も自治体も根源的な問題は婚姻数の減少であるということに気付き始め、自治体が主催する婚活パーティーやマッチングの仕組みがいろいろと実現されてはいる。着眼点として間違ってはいないが、果たしてどこまで婚姻数の増加に結びつけられるかどうかは疑問である。結局それが奏功したところで、もともと結婚に前向きな層の5割弱が成婚するだけであって、残りの5割にはまったく到達しない仕組みだからである。
もし、本当に婚姻数を増やしたいのであれば、「結婚したいが9割」などということを言うのはやめて、そろそろ「結婚に後ろ向きが5割以上、しかもそれはずっと昔からそうだった」である事実をちゃんと認識し、そこを前提に議論にした方がよいのではないだろうか。
前提を間違った上での戦略にのっとったところで、どんなに実行し続けても未来永劫何の成果も出ないのではないか。