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「自分ごと化会議」のすゝめ

加藤秀樹構想日本 代表

1.政党のガバナンス

 政府の不祥事が続き、内閣改造を待たず稲田防衛大臣が辞任した。一方、蓮舫氏が民進党代表の辞任を表明した。それぞれ別々の理由によるが、共通するのは政党のガバナンスの欠如だ。安倍内閣は国会議席の圧倒的な多数と高い支持率で長期政権を維持してきたが、それはルール、規律、道義などに基づく「しくみ」としてのガバナンスによるものではなく、官邸の強権的な運営によるものだった。強権による政治はよほど禁欲的でない限り、権力の濫用、そこに擦り寄ってくる者、そしてそれらの間での腐敗を産む。一連の不祥事はいずれもこのような状況の中で生じたと言えよう。

 一方、民進党のガバナンスの無さは民主党政権の時以来定評がある。余程辛抱できない人の集まりなのだろうか。組織運営能力がないということは、権力の使い方を知らないということでもあると思う。

 政党のガバナンスに関しては、構想日本で10年来「政党法」の制定を提唱してきた。その内容についてここでは述べないが、企業についてはコーポレートガバナンスという言葉で表される、実に多くのルールが会社法や証券取引所の規則などで定められている。ところが、より公的な組織である政党の運営に関して、日本には何のルールもない。国会運営には時代がかった細かな決まりが山のようにある一方で、最高レベルの「公益法人」であるべき政党運営のルールがないという後進状態は一日も早く変えないといけない。

2.自分事と他人事

 さて、ここからが本題だが、企業と比べてもう一つ大きく異なるのは、消費者の目の存在だ。企業と消費者の関係と、政治家と国民(有権者)の関係は同じではない。しかし、消費者が買い物をする時には、価格や品質や好みなどを相当吟味する。一方、有権者が投票する場合、候補者の人格や政策などについて同じくらいよく考えるだろうか。ましてや議員になった後の行動や自分にとって役に立っているかどうかなどになると、ほとんど知らないと言ってもよい。候補者や議員について十分な情報がないが、有権者の側の関心も薄いのが現実だ。

 やや乱暴な比較だが、この違いは何だろうか。政治を身近に考えてもらうために俗な言い方をすると、違いの大きな原因の一つは、損得が分かりやすいかどうかだ。

 私たちが買い物をする時は、同じ1,000円ならどっちがお得かなど「損得」を考える。高い買い物ほど真剣に考える。つまり「自分事」なのだ。

 これに対して政治、政治家、政党になるとこういう分かり易い比較はできない。だから「自分事度」が低くなる。政治を文字通り損得で考えるべきではないのだが、もう少し広い意味での損得意識があってもいいのではないだろうか。

 私たちは誰もが税金や保険料を払う一方で、医療、子育て、ゴミ処理など様々な行政サービスを受けている。政治家や政党の選び方によっては、税金が高くなったりサービスの中身が変わったり、税金が高くならない代わりに財政破綻が起きて国全体が大変なことになったりする。自分が投票した政党が共謀罪に賛成か反対かで将来テロを防ぎ易くなるかもしれないが、ある日突然警察から「お前はよからぬ事を考えている」と言われ身に危険が及ぶかもしれない。さらには、今の選挙での選択が、20年後戦争という形で自分に返ってくるかもしれない。

 欧米人はタックスペイヤー(納税者)意識が強いと言う。これは損得意識だと言ってもよいだろう。フランス人は大変利己的な人たちだと私は思っているが、一方でストに寛容だったり、国の政治に関心が強かったりする。これも、ストは自分の給料にはね返ってくる、国が戦争でも始めようものなら、自分の楽しい生活がすべてパァになる、冗談じゃない!といった具合に、自分の損にならないように社会全体のこと、政治家がする事や政治の動きに注意しておかないといけない、という感覚があるからだ。

 政治は買い物などよりもずっと遠い所にある。だから他人事になり易い。しかし他人事にしていると、いずれ何かの形で自分が大きく損することになる。だから常に「自分事」として考えようということなのだ。

3.日本は世界有数の政治「他人事」国

 感覚的なことではあるが、民主主義国と言われる国々の中で日本は最も政治の「他人事度」が高いのではないか。

背景としては、学校で政治をタブー視してきちんと教えないということもあるが、 世の中が長期間うまく回っていたことの結果と言えるのかもしれない。戦後半世紀ほど、安全保障上の心配はそれほどなく、経済成長に専念し、人口も増え続けた。社会全般に右肩上がりが継続する中で、治山治水、交通から医療、年金、教育そしてスポーツまで行政主導型の、すなわち税金を使って公共的な政策、事業を進めるというやり方で一貫してきた。その結果、公共的なことは「官」が担うものだという考えが国民の側にも、政治家、公務員の側にもすっかり定着した。マスメディアを含めて民間の側は何かというとすぐ政治家やお役所のせいにする。政治・行政の側は事業や補助金を手立てに行政事業を次々積み重ね、制度や組織を作り、拡大していく。

 メディアや多くの識者は、官の自己増殖を一般論としては否定しながら、福祉をはじめ各論になると行政により多くを求め、これを助長している。

 官依存の体質は、行政事業の中身や、税の無駄をチェックすることについても「他人事」であるため、ますます国民の役に立たない事業、その積み重ねとしての財政赤字が増え、自分たちの不利益を増やす結果になっている。はたしてこの政治・行政の体制はサステイナブルなのだろうか。

4.「他人事」のツケは自分に返ってくる

 現代の民主主義は、大雑把に言うと、選挙を通して私たちの利害や期待を議員に託す、そしてその託されたことを議員や議会、政府がどの程度実行しているか、あるいは努力しているかを情報公開を通してチェックし、見届けるというしくみだ。これは私たち国民、住民みんなが、政治や行政に関心を持っていることを前提にしている。

 ところが、社会がある程度うまく回っていると、私たちの関心は個人の利益や興味に集中し、政治・行政が「他人事」になる。「他人事」になるとは、政治家や公務員に任せっぱなしにすることだ。任せっぱなしにすると、任せられた側は自分の都合で回していく。これは政治に限らず会社でも家庭でも同じだ。

 政治を政治家や公務員に任せっぱなしにするとどうなるか。以下のような問題が起きてくる。

利害関係者を優先し、不公正が増える。既得権、前例踏襲が強くなる。国民(住民)に良いことしか言わず、自己正当化が強まる。政権の維持が目的になり、政治家や公務員が内向きになる。こういったことが積み重なると、無駄な行政や財政赤字が拡大し、あわせて政治が社会の変化に遅れたり、制度疲労も進んだりする。

 繰り返しになるが、こうやって、結局ツケは自分たち(国民、住民)に返ってくる。歴史を見ても、それは不正の増大、格差の拡大から財政破綻、さらには戦争といった形であらわれるが、現代ではそこに至るまでに政府が行ってきたことは、形式的には民主主義のプロセスを経ているため「国民は政府の決定に合意している」ことになる。つまり、「他人事」の帰結は、社会あるいは国の危機という形で「自分事」になるのだ。

 先に述べたように、民主主義は国民が政治を「自分事」と考えていることを前提として成り立っている。高齢化、格差の拡大、インフラの維持など日本が直面する政治・行政の課題は多い。人口は減少し、大きな経済成長は期待できない。国民と国が必要としている政策や事業を実施するには、これまで以上に民主主義の合意形成機能が公平かつ有効に機能しないといけない。そのためにはまず政治・行政が「他人事」⇒「自分事」にならないといけない。

5.「他人事」を「自分事」にするには

 では、政治・行政を「自分事」にするにはどうすれば良いか。

基本は、

 1)みんな(住民、国民)が政治・行政に関心を持ち、普段からチェックすること

 2)そのために政治・行政が実情を正直に示すこと(情報公開)

だ。これは実際にやってみると決して難しいことではない。

 欧米など世界各地で様々な試みが行われているが、一言で言うと、行政の事業や課題について、行政職員と住民が対話を行うというものだ。その際カギとなるのは、参加する住民の選び方だ。日本では無作為に選ぶことが重要だと思う。具体的には、住民基本台帳で無作為に抽出した住民に案内を送り、その中の希望者が行政の取組みに参加する方法で、従来の公募や一本釣り形式では参加しなかった、行政と接点の少なかった人、参加を躊躇していた人など、広範な市民の参加が期待できることが特色だ。

 行政職員や首長は「無作為に選ぶ」ことに不安を示すことが多い。彼らは住民の意見を聞く場合「有識者」とか「公募」という形で住民を選ぼうとするが、それでは行政に都合のよい意見、利害を持つ人の声が中心になる。そうなると「ふつうの人」が政治・行政を「自分事化」する入口にはならない。

 一方、これまで政治・行政に関わるきっかけがなく「他人事」になっていた住民の多くは、一度参加すると自分の町の事情や行政が行っていることに大いに関心を持ち、自ら何かをしようとするようになることが多い。

 参考までに、構想日本の経験を示しておこう。これまで住民が事業評価を行う行政事業レビューや事業仕分け、あるいはゴミ問題、医療・介護、防災など地域の課題を住民が議論する住民協議会などにおいてこの方式による住民参加を46自治体で94回(案内送付数は約14万人、それに対する応募者は約7,000人、2017年7月現在)行ってきたが、そのアンケート結果は次のとおりだ。

無作為抽出での住民参加の成果1
無作為抽出での住民参加の成果1
無作為抽出での住民参加の成果2
無作為抽出での住民参加の成果2

 この方式でもう一つ重要なことは、住民に対して政治・行政が正確な情報を提供することだ。目の前の政策や行政事業、課題について正確な情報に基づいた対話こそが健全な民主主義を育て、建設的な結論を生む。欧米で、Brexit、トランプ、ルペンなどに投票した人たちにとって、政治は大いに「自分事」だったとは思う。しかし、雇用、移民、EUとの関係などについて正確な情報が十分でなかったため、その隙間に耳障りが良く、感情を盛り上げるポピュリストの声が入っていったのだと思う。

 構想日本はこのような住民参加を『自分ごと化会議』と名付けて全国に広げていきたいと考えている。関心のある人、地域には資料の作り方や住民のための事前研修など構想日本のノウハウを喜んで提供したい。

 政治・行政との対話を経た「自分ごと化」は、ポピュリズムに対する抵抗力も持つ。世界有数の「他人事」国日本を「自分ごと化会議」によって世界有数の民主主義国にしていきたい。

構想日本 代表

大蔵省で、証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などに勤務した後、1997年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から立案・提言、そして実現するため、非営利独立のシンクタンク構想日本を設立。事業仕分けによる行革、政党ガバナンスの確立、教育行政や、医療制度改革などを提言。その実現に向けて各分野の変革者やNPOと連携し、縦横無尽の射程から日本の変革をめざす。

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